みちのく瓦版

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大阪夏の陣で七手組が出撃していれば?

znza


1: 戦国オタク 2010/09/06(月) 17:23:51 ID:bwW71Nf4
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/b/be/%E5%A4%A7%E5%9D%E5%A4%8F%E3%AE%E9%A3.png

http://indoor-mama.cocolog-nifty.com/photos/kassenzu/oosakanatunozinfuzinnzu.jpg

上記の布陣ですが。各部隊の戦力は豊臣方
真田信繁本隊三千五百、与力二千、計五千五百。毛利勝永六千五百。
大野治房四千六百。速水守久隷下七手組一万四千六百。

徳川方
松平忠輝九千、松平忠直1万五千、井伊直孝三千。藤堂高虎四千五百、
本多忠朝五千五百、榊原康勝五千四百、酒井家次五千三百、
前田利常以下二万。徳川家康一万五千、徳川秀忠二万三千、徳川義直一万五千。

史実に沿った戦闘経過。
天王寺口では五月七日正午毛利勝永隊と本多忠朝隊と戦闘、毛利隊は本多隊撃破、
ついで第二陣榊原康勝隊、第三陣酒井家次隊をも撃破、家康本陣に突入。
真田信繁隊は松平忠直隊と激戦の末これを突破、家康本陣に突入。
岡山口では大野治房隊と前田利常隊が戦闘、井伊直孝、
藤堂高虎両隊は家康救援のため戦線離脱。大野治房は自軍の一部を秀忠本陣に突入させた。

七手組は秀頼の参陣をまって出撃予定であったが秀頼は来ず待機のままであった。
信繁家康本陣突入時、速水守久久が自己の判断で家康本陣に突入していれば家康は
討ち取られ、その後、速水守久隊、毛利勝永隊、真田信繁隊、大野治房隊が
秀忠本陣に突入すれば、家康討ち死にで志気の低下した徳川軍は撃破可能だったろう。
その後は徳川軍は一旦退き体制の立て直しを策したろう。
豊臣恩顧の外様集は秀頼に帰参したろう。




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4: 人間七七四年 2010/09/06(月) 18:27:02 ID:MgXZCIGY
出撃→幕府軍のあまりの多さにビビる→城に逃げ帰る

おしまい

9: 人間七七四年 2010/09/06(月) 21:21:04 ID:MLjRR1uR
天王寺・岡山の戦いは中央を薄くして両翼を厚くし、家康を囮として中央に誘引し
側面攻撃を行うという作戦だとすると大成功に終わっている

11: 戦国オタク 2010/09/07(火) 11:27:07 ID:FtYa3kV4
>>9
天王寺・岡山の戦の布陣をみれば家康本陣の前面は相当分厚く、第一陣本多忠朝五千五百
第二陣榊原康勝隊五千四百、第三陣酒井家次隊五千三百。毛利隊はこの三陣を蹴散らし
家康本陣一万五千に襲い掛かっている。真田隊は松平忠直1万五千を蹴散らして
家康本陣に突入している。家康は囮にはなるだろうが、主将討ち取られれば徳川軍敗退に
なってしまう。自軍が絶望的に劣勢なら主将が囮もありえるが、自軍が優勢な時には
ありえない。

12: 戦国オタク 2010/09/07(火) 13:28:13 ID:FtYa3kV4
天王寺、岡山口決戦当時、大阪城内三千、明石全登、仙石秀範、長宗我部盛親等
の部隊三千残存していた。秀頼はこの内三千を率いて七手組と合流、
計一万八千の内七千を押さえとして残し、残り一万一千を率いて家康本陣に切り込む。
家康の首級は簡単に取れたろう、秀頼の救援があれば真田隊、毛利隊の消耗も少なく、
二万程度は戦闘力保持可能、家康救援にはせつけた藤堂隊は前日の戦で長宗我部勢に痛めつけられ
戦力はかなり低下、井伊勢も木村重成との激戦で戦力低下、秀頼本隊の攻勢に立ち向かえないだろう。
かくして秀忠本陣に二万の部隊が、大野治房も千五百の兵で合流秀忠本陣と決戦。
秀忠本陣前面の加藤嘉明、黒田長政は豊臣恩顧でもあり又家康討ち死にとあればあえて
秀頼に刃向かわんでしょう。秀忠本陣後方の徳川義直1万は救援に駆けつけるでしょう。
結局秀頼軍2万一千と秀忠軍三万三千の戦ですが、数的には劣勢とはいえ家康を討ち取り
意気あがる豊臣軍と、意気消沈の徳川軍では秀頼の圧勝と考えます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%E7%B0%E5%A9%E5%B8%B8
又天王寺の戦いで家康劣勢となったとき、「大坂夏の陣に際しては、
城方が巻き返した折前田軍中から城方に味方するようにとの声が起こったが
取り合わなかったという逸話が伝わる。」との説があるくらいだから徳川方は
寝返りの恐怖のため怯えて敗走の可能性も高い。


13: 人間七七四年 2010/09/07(火) 14:05:44 ID:Xrs4au/b
>>11
中央は戦闘正面が他と比べて広い
本来なら数を生かした戦いをしたいが、戦域が狭いのでそれも出来ない
となると、相手をのめり込ませて釣り上げるしかなくなる

幕府軍の配置は左翼は大和路勢35,000と浅野長晟勢5,000、松平忠直勢15,000の合計55,000
中央は五5,000強が三手に家康本陣15,000で31,200
右翼が先鋒20,000、中備7,500、本陣23,000の5,0500
総予備が1,5000で戦闘正面が広いにも関わらず中央が一番少ない

後、総予備というのは動かないというか動けないもの
基本的に後ろにまだ兵がいるというのは重要で、それがないとあっさり
裏崩れすることが多い
それに仮に投入するにしても最後の切り札なので大抵は時期を見誤り、
失敗している

悪いけどよくある机上の空論の1つかと

14: 戦国オタク 2010/09/07(火) 15:36:59 ID:FtYa3kV4
>>13
「相手をのめり込ませて釣り上げる」と言ったて、家康が討ち死にしちゃえば
おしまい。現実に家康が助かったのは単に運がよかっただけ。総予備
一万五千の半数だけでも突っ込んでれば、家康の首は無く、徳川軍総崩れ。

15: 人間七七四年 2010/09/07(火) 15:50:14 ID:Xrs4au/b
>>14
家康は逃げるのが得意ですから
腹を切るというのも桶狭間、三方ヶ原、本能寺と何回も言っているけど死んでませんし
もう、死ぬ死ぬ詐欺かいなという感じで

16: 戦国オタク 2010/09/07(火) 17:50:03 ID:FtYa3kV4
>>15
本来なら討ち死の局面で生き延びたって事でしょう。
運が良くなきゃ天下は取れない。

17: 人間七七四年 2010/09/07(火) 18:07:27 ID:Xrs4au/b
>>16
どうでしょう、家康は戦場ではかなり気がはやる人物のようですから
思ったことをそのまま口に出しているだけな気がします
まぁ、総大将がそんなこと言っても冷静に突っ込める人物が多いのが徳川家ですが

10: 人間七七四年 2010/09/06(月) 23:31:10 ID:MWx6Y5fu
夏の陣に限れば家康が討ち取られれば幕府軍は総崩れだろうな
ただでさえ豊臣軍に押されてるんだから
惜しむらくは毛利も真田もいいところまで押してるんだが予備隊が投入されなかったこと
あくまで毛利や真田は前線指揮官であって総大将の戦略眼で予備隊の投入が望まれたわけだが
大野修理とかまで前線に出たのは間違いじゃないか?
勝手バラバラに死に場所探しの旅になっちまってさ


19: 人間七七四年 2010/09/07(火) 18:33:55 ID:PoAw1Plk
そもそも秀頼出馬してればかなり良い確率で何とかなったと思うんだが
所説はあるけどホント何で出無かったんだろうなあ

20: 人間七七四年 2010/09/07(火) 21:03:29 ID:hr3/Wooi
部下に止められたとか、城内で騒ぎが起こったとか…
本人は出る着まんまんだったらしいけどね

22: 人間七七四年 2010/09/07(火) 21:18:07 ID:Bu2YSPtT
真田が徳川茶臼山陣に迫ったのも、運が良かったため、だけでしょう

23: 人間七七四年 2010/09/07(火) 22:55:22 ID:mI5IkHBV
家康は当時一番修羅場くぐってた男だから危なくなったらすぐ逃げるんじゃないか
それにとりあえず幕府軍を追い返す手だてはどうなのかね
家康を殺す以外ないってのならかなり厳しいと思うが

28: 戦国オタク 2010/09/08(水) 09:27:40 ID:ExlDLDBW
>>23
この戦いで、秀忠は踏みとどまって戦おうとしましたが、家康は現に逃走しています。
それでも真田隊にもう少し余力があればしとめられたと思います。
豊臣の生き残り手段は戦場で家康仕留める以外なかったと思います。

29: 戦国オタク 2010/09/08(水) 09:39:32 ID:ExlDLDBW
>>28
家康が討ち死にすれば、戦場には豊臣恩顧の武将がうようよしており、
彼等の向背量りがたいので、秀忠は危なくて戦闘継続できんでしょう、
とりあえず兵をまとめて引き上げるしかなかったでしょう。

32: 人間七七四年 2010/09/08(水) 11:13:27 ID:mU8OckB1
>>29
結局豊臣が滅亡してたとは思うけどあの時点で家康が討ち取られたら天王寺口は壊走だろうし京と大和方面に撤退でしょうね
まぁ豊臣側は手練れが多いので当然徹底的に追撃するでしょうけど第一線の毛利や真田も戦力的には限界ですしね
ただ家康の死で伊達とかまた馬鹿な事考えそうな気はするねぇw

30: 人間七七四年 2010/09/08(水) 10:21:55 ID:phDnK22n
>>28
「真田はあと一歩で家康を討ち取れた」というのは願望です

31: 戦国オタク 2010/09/08(水) 10:39:47 ID:ExlDLDBW
>>30
http://sanadasandai.gozaru.jp/itsuwa/yukimura/yukimura-07.htm
同時代資料の記述からみても、家康相当やばかったと思いますよ。

24: 人間七七四年 2010/09/07(火) 22:55:56 ID:fvaXWcyh
ホント真田昌幸が生きてればなぁ
徳川に2度勝ってる上に三方原でも参戦してるし作戦全般取り仕切れただろうに
あっさり冬の陣で滅亡してたかもしれんがw

25: 人間七七四年 2010/09/07(火) 23:17:18 ID:PoAw1Plk
流石の昌幸先生も夏の陣の状態じゃどうしょうもなさそうな気もするなあ

26: 人間七七四年 2010/09/07(火) 23:47:59 ID:mI5IkHBV
ただ昌幸がいれば家康がビビって攻めてこないかも
直接戦いたかったとか思ってたら死ぬけど

27: 人間七七四年 2010/09/07(火) 23:57:37 ID:fvaXWcyh
夏の陣でも主攻正面を南と割り切って毛利、信繁の先方で突き崩して
予備隊投入すれば一気に突き崩せたんじゃないかなぁ
冬の陣以降の戦いだけでも毛利や信繁が幕府軍に恐れられるような名声獲得したんだから
昌幸なら最初から幕府軍も及び腰になりそう
家康ならそれを口実に黒田とか加藤とか伊達すり潰す口実にして先鋒に使いそうだけど

28: 戦国オタク 2010/09/08(水) 09:27:40 ID:ExlDLDBW
>>27
豊臣方は戦線中央を正面と割り切って真田隊、毛利隊で攻め込み
徳川の陣形を完全に突き崩しています。その結果七手組から家康本陣まで
完全にがらあきになり、七手組は進撃さえすれば家康本陣攻撃可能でした。

33: 人間七七四年 2010/09/08(水) 11:29:29 ID:phDnK22n
凄い活躍をしたとはある、勇戦奮闘したともある
また幕府軍が苦戦したのも事実だし、家康・秀忠の旗本も戦闘に加入したのも事実

しかし家康が危機だったという話はない
混乱し損害を追いつつも撃退したというのが適当だと思う
『大日本史料』を読んだ感想だけど
http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/index-j.html

34: 人間七七四年 2010/09/08(水) 11:33:13 ID:3KTuFpc2
大阪の陣で伊達はpgrだったな
片倉の息子が又兵衛討ち取ったぐらいしか

35: 人間七七四年 2010/09/08(水) 11:51:37 ID:mU8OckB1
>>34
伊達に限らず藤堂とかも酷いねw
黒田、加藤、上杉とか一応戦国末期に生き残りも大したことないし
まー領土貰えるわけでもなく嫌々出陣してる部分もあるんだろうけどさ

36: 戦国オタク 2010/09/08(水) 14:26:49 ID:ExlDLDBW
>>35
一等酷いのは前田だろう、その気になれば大野治房隊など一撃で壊滅できたはず
なんとなく戦闘したふりしてただけで、治房に秀忠本陣突っ込ませても平気な顔してる。
隙があれば寝返る気満々。

37: 人間七七四年 2010/09/08(水) 16:31:25 ID:PQw8X8Hd
いやいや冬の陣の佐竹隊でしょう。

38: 人間七七四年 2010/09/08(水) 17:18:53 ID:3KTuFpc2
そして一番可哀想なのは神保さん

39: 人間七七四年 2010/09/08(水) 19:17:54 ID:s7xs4WQs
伊達の犠牲になったのだ……

40: 人間七七四年 2010/09/09(木) 09:27:57 ID:IeYhNQxo
家康が切腹を口走ったのは後世の作り話じゃない

43: 人間七七四年 2010/09/09(木) 14:29:13 ID:IeYhNQxo
『朝野』に切腹の話があるのは『老将談話』という書物1つのみ、他には書かれていない
後は『耶蘇会年録』にも似たような話がある

前者は服装を白い小袖としているが『慶長見聞集』では茶色としている
実際問題、白い小袖は遠目に映えて危険なのでそのような格好をするとは思えない
また、後者も家康敵視の記述なので問題がある(家康死亡時に暗殺説を載せているし)

ちなみに『老将談話』の当該箇所には編纂者の「変更の要ありか」という注釈文がある

どちらかというと噂話のレベルかと

44: 戦国オタク 2010/09/09(木) 15:13:34 ID:nCElX3ig
>>43
逆の解釈も可能と思いますが、家康が自害寸前追い込まれた、と言う
話は側近から伝わり広く知られていたが、記録に残すのは皆躊躇した。
『耶蘇会年録』は幕府に遠慮せずそのまま記録した、『老将談話』
は徳川の実戦経験豊富な武将の話、当時の歴戦の武将は苦境に追い込まれて
自害寸前にいたったとしても武将として不名誉と考えていなかった。
しかし編纂者はこの事実をそのまま記録するのはやや危険と判断した。
家康の旗印が打ち捨てられて敗走した時点で生命の危機に陥ってると
考えるのが普通だと思う。

45: 人間七七四年 2010/09/09(木) 15:55:40 ID:IeYhNQxo
>>44
『耶蘇会年録』はキリシタンを弾圧しているこの時期の家康についてはバイアスをかけた表記なのは事実
それに『老将談話』という題名に惑わされてはいけない、後世の軍記物がスゴそうに見えるような題名を
付けることはよくあること

それに勝敗相反すとか東軍の醜態を記した手紙を載せた「細川家記」や、勝利は家康の運とか家康の旗本を
三里に渡り追い散らしたとする「薩摩旧記」にもそのような話は無い
ちなみに「薩摩旧記」には同じ文中に家康・秀忠の旗本で逃げたものはいないとも書いている

46: 人間七七四年 2010/09/09(木) 16:57:46 ID:IeYhNQxo
>>45
「逃げたもの」でなく、「逃げないもの」だったわ

47: 戦国オタク 2010/09/09(木) 19:33:08 ID:nCElX3ig
>>45
「家康の本陣総崩れとなり家康は身代わりとして
本多正純を将座に残し自分は身をもって玉造方面さして落ち延び
その到底のがるべからずとして二度まで自害せんとす」
朝野旧聞哀稿のこの記述はかなり具体的で実際に現場に居た武将の
談話と思うよ、自害寸前の事実は広く知れ渡っていて隠しようがなかったんじゃない。
「細川家記」や「薩摩旧記」の記述者は現場に居なかったので詳細は
記述出来なかったと思うよ、それに外様だから、伝聞だけで余計な記述
しないほうが無事と思ったんじゃない。

50: 人間七七四年 2010/09/09(木) 20:25:12 ID:IeYhNQxo
>>47
床几に正純を置き、家康が玉造方面の谷間にいたのは戦闘前から
しかもこの組み合わせ、関ヶ原合戦でもやっていたりする

ちなみに「大日本史料」ではこの部分の記述は除かれている
東大のエライさんは載せるに値しないと判断したということ

48: 人間七七四年 2010/09/09(木) 20:01:30 ID:lU0kMNCw
家康は戦場ではすぐ逆上する人だから、切腹しようとしても不思議はないな。
切腹しようとするたびに家臣に止められてるけど。
三方が原以来倒れることのなかった家康の馬印が倒れるほど本陣が
混乱していたのは確かで、家康が危機に陥ってたのは確かでしょう。
ただ、あと一押しがあれば家康を討ち取れたかっていうと疑問符がつく。
ケツまくって逃げ始めたときの家康の逃げ上手さは史実が示すとおり。
家康を討ち取れなければ、大坂方はすぐにジリ貧に陥るだろうね。

51: 戦国オタク 2010/09/09(木) 20:40:12 ID:nCElX3ig
>>48
仮に真田信繁が適当な白髪首を槍先に掲げて、「江戸内府討ち取ったり」
て喚き叫んで突っ込んでいったらどうなっただろう。加藤嘉明、黒田長政、
前田利常あたりは動揺して戦闘中止したんじゃないかな。そうすると
秀忠隊が戦線離脱、一時的かもしれないが幕府軍大和に撤収、になったかも知れない。

52: 人間七七四年 2010/09/09(木) 21:11:50 ID:DZOrgz6H
家康が逃走したにもかかわらず総崩れにならなかったところが結局幕府12年間の成果なんだろうな

54: 人間七七四年 2010/09/09(木) 21:12:52 ID:IeYhNQxo
ちなみに『老将談話』の話で家康の切腹を止める人物は金地院崇伝と文殊院勢誉なのだが、
後者は慶長17年に既に亡くなっているので、この逸話は論外なのです

55: 人間七七四年 2010/09/09(木) 22:05:05 ID:hzbRKfV9
そもそも~を討ち取ったと敵が叫んでなんだってと信用するおめでたい奴はいないだろう
まずは目先の事を片付けるだろうし真田が家康討ちとれるとこまで来てるなら包囲されて殲滅されあぼん
つーか現将軍たる秀忠がいるしそこまで動揺しないだろうし秀忠もむやみに退いたりしないでしょ

57: 人間七七四年 2010/09/10(金) 11:00:20 ID:UIakjD27
まーこの時の徳川は家康と秀忠のツートップな訳で
将軍も秀忠だし
実際天王寺口はあの状況で本陣突かれても崩壊してないんだからさ
家康が討ち取られても案外整然と退却できたかも

58: 戦国オタク 2010/09/10(金) 11:17:58 ID:U7a+73OQ
>>57
外様の武将は徳川家に忠節心持ってるわけじゃなく、家康怖さに参陣
してるだけ。秀忠の命令に素直に従うかどうか?
真田信繁もそのあたり狙って家康付けねらったんだから。

59: 戦国オタク 2010/09/10(金) 12:01:08 ID:U7a+73OQ
>>57
「家康が討ち取られても案外整然と退却できたかも」
古来退き戦が一等難しい、兵に退却の指令だした時、追撃されれば
総崩れが相場。

60: 人間七七四年 2010/09/10(金) 12:52:47 ID:UIakjD27
大坂方で追撃できるのは毛利勢くらいじゃね?
真田や大野は消耗してるし親衛隊様は動く気ないし

63: 人間七七四年 2010/09/10(金) 16:29:58 ID:aUNzHvR4
いやいや
外様でも黒田、藤堂、池田、浅野、京極なんかは
純粋に徳川への忠誠心で動いてると思うよ
後は豊臣への積もりにつもった恨み
毛利とか島津とか伊達あたりは忠誠心なんてかけらもないと思うけど

64: 戦国オタク 2010/09/10(金) 17:13:43 ID:U7a+73OQ
>>63
戦国大名そんな甘い連中じゃないでしょう。
幕末の諸藩は譜代、親藩さえ新政府に忠節誓ったんだよ。
長州の恨み買った会津は抗戦しましたがね。
「純粋に徳川への忠誠心」そんな武将居る訳ないっしょう。

65: 人間七七四年 2010/09/10(金) 18:41:25 ID:RfpySgls
幕末にむりくり合わせるならそれこそ豊臣家=幕軍で江戸幕府軍=新政府軍って状況なんだが
三百年余りたった幕府と各藩の関係と出来たばっかの頃の関係を同列に語られても困る

69: 戦国オタク 2010/09/10(金) 18:48:44 ID:U7a+73OQ
>>65
戦国大名は利害以外では動かない、その点は幕末よりもっと徹底してる
一歩間違えれば一族滅亡が現実に起こっていた時代。忠節心など持ち合わせてない。

71: 人間七七四年 2010/09/10(金) 19:01:39 ID:RfpySgls
>>69
それはそうだな
そうするとだ家康を討ち取ろうが秀頼が出陣しようが寝返る奴は出よう筈も無い
滅亡寸前の豊臣に付き危ない橋を渡るより家康が死んでも揺るぎそうもない強大な徳川家に尽くし政権内の地位を高めた方が安全だしな

68: 人間七七四年 2010/09/10(金) 18:47:13 ID:cmoqVBhe
単純に考えれば寝返ったりしたら領国の周辺諸将にがら空きの領土攻め込まれるしねぇ
下手に戦わなかったりしたら幕府から咎められて改易になるかもだし
例え戦況が不利でも寝返る奴戦わない奴なんかいんのか
大阪城周辺以外全部幕府側だぞ 忠誠だの戦況以前に幕府にマイナス行為をする利益がない
秀忠家康が二人死んだら話は別だけどさぁ

70: 戦国オタク 2010/09/10(金) 18:59:01 ID:U7a+73OQ
>>68
この時代の戦では、戦況が不利になれば寝返る武将履いて捨てるほどいたよ。
家康が討ち死にすれば幕府が存続するか否か不透明。
秀忠は無類の戦下手、徳川譜代衆、旗本は合わせて五万くらいは居たようだが
真田隊5500、毛利隊6500、大野治房の別働隊1500に引っ掻き回され
敗退重ねる弱兵、戦国武将はその点を良く見てるよ。

75: 人間七七四年 2010/09/10(金) 19:37:09 ID:cmoqVBhe
>>70
別に大御所が死んだって将軍健在なら不安定にはならなくないか?
将軍あっての幕府だけど大御所は別に必要ないし
仮に頭おかしい奴が一人寝返ったらそいつの国元に周りの幕府の諸将が攻め込むでしょ
国元が落とされたら付き従う兵士は霧散するしどうすんの

72: 人間七七四年 2010/09/10(金) 19:20:37 ID:RfpySgls
翻弄は出来ても撃破出来ないのが豊臣の限界だわな
仮に家康を討ててもその時点でほぼ無力化する部隊の方が多いし
ヘッド家康を失っても副ヘッド秀忠が無事で翻弄されててもまだまだ元気で数の居る徳川と疲れはて数も少ない豊臣どっちに付いたら得かなんて子供にも分かる

73: 人間七七四年 2010/09/10(金) 19:24:30 ID:qdkRcU2k
家康が死んだ後、秀吉没後の家康が台頭したようなことがあったか?
江戸幕府に抵抗した大名がいたか?いなかっただろ。
よって、夏の陣で家康が討ち取られようと普通に秀忠に従うわな

74: 人間七七四年 2010/09/10(金) 19:35:42 ID:/VwxitrZ
家康が死んで外様大名に多少同様が走ったとして、本多正信や土井利勝といった
幕閣の政治外交手腕に対抗できる人物が豊臣家には皆無。
真珠湾で米国海軍に大打撃を与えた旧日本軍が、最後にはアメリカに
物量や政治力で押し切られたのと同じように、豊臣家が最終的に敗北する
結末が目に見えてる。

80: 人間七七四年 2010/09/10(金) 20:59:47 ID:0vEpjbu1
天王寺口の家康本陣が毛利、真田に蹂躙されるのを傍観してた黒田と加藤が
「あれは誰かな?」「あれは毛利勝永だよ」とか見物してたエピソードは笑うな
こんな戦で無理に兵力失う気は全くないってのがよく出てて

83: 戦国オタク 2010/09/11(土) 09:57:46 ID:Qmr068hJ
>>80
黒田と加藤は秀忠隊二万三千が大野治房別働隊千四百に切りたてられたのを
みて、しょうがねーなって感じで秀忠救援に向かったんだよ。百戦錬磨の黒田長政
加藤嘉明あたりは何こいつらって思ったでしょうな。山っ気あったら秀忠ぶっ殺してたろうね。

84: 人間七七四年 2010/09/11(土) 18:13:18 ID:r6UHIq92
どっちも関ヶ原での徳川軍のポカを見てるからああまたか程度にしか思ってなかったと思うぜ
もっとも山っ気があったろう政宗すら密かに真田の子女を匿う程度しかしなかったんだしその二人が寝返るなんてまず無いわな

85: 戦国オタク 2010/09/11(土) 18:48:07 ID:Qmr068hJ
>>84
徳川って1584年の小牧長久手以後30年間まともな戦闘経験無し。一方
豊臣浪人衆は朝鮮の役、関ヶ原で戦闘経験豊富、まともに戦闘やれば勝負にならない。
加藤、黒田、伊達の助勢でなんとか勝てただけ。外様がそっぽむけば逃げ回るしか
能ないポンコツ兵団。

87: 名無し名人 2010/09/11(土) 19:09:18 ID:TBTM51kA
>>85
司馬の受け売りなんだと思うが
小田原攻めでは結構活躍してるし
関ヶ原でも島津と戦っている

89: 戦国オタク 2010/09/11(土) 19:26:50 ID:Qmr068hJ
>>87
小田原攻めではまともな戦闘なし。関ヶ原では300名程度の島津隊
をよせばいいのに井伊直政、本多忠勝、松平忠吉三隊で追っかけて、反撃
食らって井伊直政は重傷(後に死亡)、松平忠吉負傷とポンコツぶり丸出し。

91: 人間七七四年 2010/09/11(土) 19:40:17 ID:IFx/VMbd
>>89
ああ島津は3000で、最初から井伊の旗本と松平忠吉と殺り合っていますよ

86: 戦国オタク 2010/09/11(土) 18:57:37 ID:Qmr068hJ
>>84
秀頼が七手組率いて家康本陣に殴りこみかけてりゃ如何動いたか解らない。
この時点でも徳川、浅野、黒田の主君は秀頼、徳川を誅するのは主君の
命により逆臣を討つで正当性確保でき、なんら精神的抵抗無かっただろう。

88: 人間七七四年 2010/09/11(土) 19:19:07 ID:4aAEagb4
>>86
局地戦で勝ったからと言って大局が変わるとは思えんな
家康秀忠両方が死なない限り幕府は健在で地元が不安になるから寝返るに寝返れないっての
そんぐらい家臣の身を預かる大名ならわかるだろ

94: 人間七七四年 2010/09/12(日) 07:10:56 ID:xMM39mgM
>>86
この時点においても秀頼が徳川の主だとか……。
征夷大将軍就任によって形式的に家康が上位に。
二条城会見によって実質的にも立場が逆転してる。

結局のところ、家康がスタコラ逃げまくって馬印が倒れて、
秀忠本陣も柳生宗矩が刀を抜いて戦わねばならなかったほど混乱しても、
外様大名は誰一人として鉾先を変えようとしなかった。
なぜなら大名達は将軍家に本領安堵を受けており、その御恩に報いるために
参陣しているのだから。将軍家の御恩を放り出して寝返るには、家康と秀忠の
両者が揃って討ち死にするくらいの事態にならないといけないが、
夏の陣の大坂方の力ではまず無理。

95: 人間七七四年 2010/09/12(日) 08:42:27 ID:1hCTNmTg
征夷大将軍というのはそれだけ重いということだね
下手に裏切ると朝敵にもなる
外様大名的には家康、秀忠本陣が蹂躙されるのは恩を売るチャンスとしてオイシイ状況だったんだろう
家康が本陣捨てて逃走してるのに崩れずに逆に真田が討ち取られて毛利が撤退してるのがその証拠

106: 人間七七四年 2010/09/12(日) 20:38:29 ID:CzKySauh
俺が豊臣恩顧だったと仮定しても
持久戦したら敗北街道まっしぐらの大坂より
全国の諸大名を味方にしてる徳川に味方するわ。
寝返った瞬間に留守にした城攻撃されたらたまらんし

109: 人間七七四年 2010/09/12(日) 22:04:09 ID:RGi7zShE
恩とかよりもとにかく事が始まれば勝てそうな方につくもんだ。人間は自分の命が一番大事なんだからね。
関ヶ原の戦いも家康が秀吉の遺訓を破ったりしてたけどそんなのはっきりいってどうでもいいんだよ。
いざ戦争が始まれば強そうな方につく。家康に味方した連中は家康が勝ちそうだったから味方した。
「家康は秀吉公の遺言をやぶっておる」などいくら奇麗事いっても、立花みたいに敗軍の将となり浪人になってしまえばアホなんだよ(立花は大名に復帰できたけど)

114: 人間七七四年 2010/09/13(月) 00:19:41 ID:p3j6vHGE
問題は
大阪城が裸城
大坂方の兵力は枯渇寸前
淀君と秀頼の体制は腐ってる
ことじゃね
淀君には外様もうんざりしてるんだろうし最後までそのわがままに付き合った加藤と福島はあんな状態だし
大阪の陣に参戦してる外様も十分な所領を経営してる訳で関ヶ原以降15年かけて築き上げた地位を投げ出すわけにはいかんでしょ

115: 人間七七四年 2010/09/13(月) 00:34:25 ID:n/zpWohf
豊臣秀吉による天下統一からだとすでに25年ほど時がたっている。
間に朝鮮出兵や関ヶ原の戦いこそあるけど、もう地方同士の争いは終結してずいぶん時間が過ぎてるわけで
「今の地位や領土を保ちたい」と安泰願う大名たちばかりになっていると思うよ
「豊臣に寝返ってあわよくば今より多くの領土を得る」なんてギャンブル思考なんておらんでしょ。そんなの考えてたのは行き場のない浪人だけだよ

116: 人間七七四年 2010/09/13(月) 00:39:56 ID:p3j6vHGE
>>115
実際2世大名が多いし江戸には妻子居るわけだしね
いまさら戦国時代に戻られても困るって大名も多いだろうな
特に東北の諸藩は政宗なんかが居るから幕府による統制が無くなると非常に困る

117: 名無し募集中。。。 2010/09/13(月) 00:44:17 ID:qFvMcqKi
>>115
徳川家康はそう思ってないから天下取ったんだろうね
家康が討たれれば野心たくましい伊達や
関ヶ原の雪辱をしたい上杉・毛利が動きそうだ
江戸に蟄居中の福島正則も張り切って出てきそう

118: 人間七七四年 2010/09/13(月) 00:51:04 ID:p3j6vHGE
家康死亡、秀忠存命と仮定した場合大和なり京に一時撤退するかね?
というのが第一の疑問
撤退したとしてそこから伊達だの上杉が勝手に戦線離脱出来るのか?
というのが第二の疑問
特に伊達とか上杉は幕府からは目を付けられてる訳で戦線離脱するならここぞとばかりに追撃食らうだけでしょ
もうこの段階で豊臣側について一発逆転なんて時代じゃないんだよ

121: 戦国オタク 2010/09/13(月) 09:37:20 ID:b8TwR206
>>118
「伊達とか上杉は幕府からは目を付けられてる訳で戦線離脱するならここぞとばかりに追撃食らうだけでしょ 」
以前はそう思ってたが、夏の陣調べていくうちに徳川軍にそんな能力無いと確信した。
戦国生き残りの武将はそれくらい見抜いたと思う。追撃なぞ屁とも思わないだろう。
夏の陣はギリギリだったので事態を動かせなかったが、冬の陣で真田、毛利、
後藤当たりが直接家康、秀忠の陣に攻撃加えその弱体ぶりを曝していれば手の打ち様あったと思う。
まさかここまで弱いとは想像出来なかったんだろう。

119: 人間七七四年 2010/09/13(月) 05:45:20 ID:sqU9n2dF
関ヶ原で官僚連中は軒並み粛清され豊臣には全国統治能力がない
仮に徳川が倒れたところで無政府状態になるだけで豊臣政権が復活するわけではない
軍事力よりも文治力の問題の方が遥かに深刻な問題だよ
この種のスレは家康が死ねば全員が秀頼に忠誠を尽くすという間抜けな考えが基準になっているから困る

122: 人間七七四年 2010/09/13(月) 09:54:35 ID:fMj/DTqz
っていうか、徳川軍がまともに機能してたのは小牧長久手くらいまで。
それ以降、兵力が肥大化してただの肉壁集団と化す。
おそらく軍制に致命的な欠陥があったのだろう。
のみならず、家康・秀忠ともに大軍の将としての資質はなかった。

庄屋仕立ての徳川家には大軍を動かすのは難しかったんだよ。

126: 人間七七四年 2010/09/13(月) 11:18:15 ID:hAdSoIRX
>>122
逆だ逆、当時でもっとも軍制が整備されていたのが徳川家
というより双方あわせて20万近い兵が一箇所で野戦をするなんていう戦い
しかもこれが最初となれば混乱しない方がおかしい

127: 人間七七四年 2010/09/13(月) 11:43:33 ID:fMj/DTqz
>>126
整備とかどうでもいいよ。機能しない軍制に何の意味もない。
そんなもんは有害なだけ。
だいたいだだっ広い大阪平野にたった20万程度の兵がいたくらいで
混乱するわけないだろ。
混乱するくらい密集してたっつーんならそれはそれで
指揮官の無能さの証明になるだけの話。

123: 人間七七四年 2010/09/13(月) 10:29:44 ID:hnwTnhtZ
大坂方が寡兵でも強いのは死兵だからでしょ
平和な時代に大名としてはこんな馬鹿げた戦争で兵士失いたくないだろうし
それは後の島原の乱も同じような構図な訳で

124: 戦国オタク 2010/09/13(月) 10:40:11 ID:b8TwR206
>>123
浅野、伊達、藤堂あたりは普通に渡り合ってるんだから、徳川の
弱兵ぶりは異様でしょう。

125: 人間七七四年 2010/09/13(月) 10:47:54 ID:hnwTnhtZ
伊達も誉田の戦いで真田と毛利に一蹴されてるしなぁ
藤堂も戦国の生き残りの割には大坂方に一方的に押されてるよね
確かに徳川は強くはないだろうけど元々徳川勢が力見せたのって姉川くらいじゃないの?
武田には滅亡寸前までボコられてたし小牧長久手も徳川の強さを見せつけた戦いでもない
関ヶ原ではひこにゃん重傷とか恥さらしてるし
徳川の強さは家康の根回しのうまさであって野戦能力じゃないんだろうね

130: 人間七七四年 2010/09/13(月) 11:50:42 ID:hnwTnhtZ
あの時代無線機がある訳じゃないし狼煙だけでは伝えられることに限度があるわな
幕府軍は基本家康の指示通りに出撃してたんだろうし指揮系統は確立されてたんだろうけど伝令によるタイムラグは避けられないわな
その点豊臣側は毛利正面での予期せぬ戦闘勃発で作戦が台無しになり「もう華々しくやろうぜ」みたいな感じで
指揮官の裁量で(といっても真田と毛利はお互いの動きをフォローしながらだろうけど)戦える分動きが速い
結局幕府軍が苦戦した理由ってそんな所じゃないの?

132: 戦国オタク 2010/09/13(月) 12:03:32 ID:b8TwR206
>>130
作戦の問題じゃなく、将、兵の質の問題。
外様衆の助勢が無いタイマン勝負だったら家康、秀忠首ぶっ飛んで、
京の町で見世物にされたんだろうな。

133: 人間七七四年 2010/09/13(月) 12:05:54 ID:hAdSoIRX
>>132
それはあなたの願望、妄想
結論が最初からできている人と話すのは苦痛だね

136: 人間七七四年 2010/09/13(月) 12:25:46 ID:hnwTnhtZ
>>132
作戦じゃなくて意思決定の速さを言ってるわけ
幕府軍は大所帯で統制第一にならざるを得ない
そこを真田、毛利が突いたのがあの本陣突撃
でも結局統制された幕府側が総崩れになることはなく真田は壊滅、毛利は撤退

137: 戦国オタク 2010/09/13(月) 12:52:52 ID:b8TwR206
>>136
総大将が命からがら逃げ出して統制もへちゃまくれもなかろうが。
加藤、黒田、藤堂、井伊、伊達あたりが動いて収容できたんだろう。
豊臣の親衛隊様が動いてれば間違いなく家康、秀忠の首は三条川原。

139: 人間七七四年 2010/09/13(月) 13:16:01 ID:hAdSoIRX
>>137
徳川の旗本がしっかり撃退していますよ、混乱したり逃げたものもいるようですが

146: 人間七七四年 2010/09/13(月) 18:14:34 ID:JSronLgT
石川数正出奔で、軍制を武田式に変更したあたりから
精強だった徳川勢は弱兵化した
豊臣秀吉が行った、石川引き抜きと徳川の関東移封は
効果的に徳川を弱体化させた

147: 戦国オタク 2010/09/13(月) 18:28:51 ID:b8TwR206
>>146
しかし豊臣にとっては何の益もなかった。真田一族は利益蒙ったようだが。

151: 人間七七四年 2010/09/13(月) 18:57:33 ID:Fe+5075w
なんというか後藤が戦死したのは痛かったね
後藤隊が天王寺口の2段目にいればそういう好機を逃すことはなかっただろうに

152: 人間七七四年 2010/09/13(月) 19:08:35 ID:ULzAB6B0
なんだかんだいって、親衛隊を率いるべき秀頼が出陣しなかったのがすべて。
徳川が崩れた時点で自身が出陣して総攻撃を指令しなかったということは、
つまり秀頼の指揮官としての能力が低かったということの証左では。
そんな将に率いられた部隊がまともな行動を取れるとは思えないなあ。

153: 人間七七四年 2010/09/13(月) 19:15:58 ID:Fe+5075w
そういうことだわな
そんな状態で浅野とかの裏切り期待するのが間違い

165: 人間七七四年 2010/09/14(火) 07:19:58 ID:5/In0qJt
秀家が八丈島から大阪まで泳いで指揮取れば勝ったも同然だな

167: 人間七七四年 2010/09/14(火) 09:04:30 ID:ohxt2av3
昌幸生きていたところでなぁ
戦闘における実績と、旧大名っていう経歴はあるだろうが
豊臣政権の中枢に居たわけでも、豊臣家と血縁がある訳でもないからな
秀頼の名代になりえる宇喜多か織田の方が、本人の実力が昌幸に劣っていても価値があるな

170: 人間七七四年 2010/09/14(火) 09:33:19 ID:rF/xIk0n
>>167
関ヶ原で豊臣の味方をして秀忠を足止めしただけでも居並ぶ浪人衆の中では最上位だと思うが
武田信玄の眼と呼ばれたほどの某将な訳だし

189: 人間七七四年 2010/09/14(火) 20:48:48 ID:ohxt2av3
>>170
雇われている側で最上位でも意味ねーんだよ
雇ってる側で発言力ないと
例えて言えば冬の陣の時点で講和にNOと言える首脳陣がいる必要性がある
それは雇われている浪人側では無理

173: 人間七七四年 2010/09/14(火) 12:02:44 ID:bshZzfli
土佐国主だった長宗我部盛親でも一浪人に過ぎない扱いだからな。
昌幸がいたって一浪人でしかなかっただろ。
秀吉から寵愛され大老宇喜多秀家なら指揮させてもらえるだろうけどな

174: 人間七七四年 2010/09/14(火) 12:13:19 ID:rF/xIk0n
盛親は実績がなさ過ぎると思うが

177: 人間七七四年 2010/09/14(火) 12:40:53 ID:RlUoS+Mm
実績か、地味な所では氏家行広とかか。

178: 人間七七四年 2010/09/14(火) 13:56:00 ID:N2Ufvzs5
昌幸も所詮は田舎の小名。せいぜい3000程度の将の器。
格も経験も不足過ぎて大軍の将なんてありえない。

179: 人間七七四年 2010/09/14(火) 14:05:05 ID:rF/xIk0n
昌幸は信玄の小姓してたからねぇ
三方原~勝頼時代にかけて主要な戦いにも参戦してるし
上州では北条相手に切り取ってるんだし
大坂方の諸将の中では大名格も相まってまとめ役としては最適だと思うが
徳川に二度完勝してるなんてのはこの時代比類無き実績でしょ

180: 人間七七四年 2010/09/14(火) 14:39:00 ID:/mHnCvYa
昌幸が生きてても兵6千の指揮官ってところだろ、立場が信繁と入れ替わるだけ
やる事も同じ、九度山幽閉時に親子で戦略練ってたんだろうし

まあ一番総大将に近かったのは織田信雄だろうね、逃げたけど

181: 人間七七四年 2010/09/14(火) 17:36:33 ID:05cbF9Ir
でも総大将として徳川撃破の実績がある昌幸と
昌幸の下でしか徳川と戦っていない信繁とじゃ、少しは待遇違うだろ。

182: 人間七七四年 2010/09/14(火) 19:43:23 ID:5/In0qJt
待遇違うどころか兵を与えるかどうかさえ怪しいな
昌幸は強い方に付くという蝙蝠を生き延びるためとはいえやっちまったから信用はほぼ0だろ

183: 戦国オタク 2010/09/14(火) 20:01:43 ID:mjNem3TP
>>182
徳川が相手にしてくれないんだから豊臣に付くしかないだろう。
徳川について武功挙げたって徳川には与える領地なんて無いんだから。

186: 人間七七四年 2010/09/14(火) 20:09:54 ID:5/In0qJt
>>183
昌幸じゃなくて秀頼やその周りが信用しないって話

188: 人間七七四年 2010/09/14(火) 20:22:13 ID:RlUoS+Mm
>>186
色々とやった宇喜多直家なんかは弟にすら信用無かったもんな。

184: 人間七七四年 2010/09/14(火) 20:05:35 ID:hltDA0JK
死んでる人間まで出したら収集つかなくなるぞ。
秀康生きてたら、信康生きてたら、
直政生きてたら、忠勝生きてたら、
とか徳川にだってそんなタラレバ
沢山あるよ。


190: 人間七七四年 2010/09/14(火) 20:58:21 ID:oCJWt/DT
そう考えると淀殺さないと勝ち目無いな
大筒で死ねば良かったのにな淀

191: 人間七七四年 2010/09/14(火) 21:04:27 ID:/mHnCvYa
淀が死んで秀頼が敵討ちに燃え覚醒って方が現実味があるなw

193: 人間七七四年 2010/09/14(火) 21:48:19 ID:duLVEUJM
大坂の陣、終わってみれば徳川氏にとって有意義だったな。
かつての天下の主豊臣が全国の浪人かき集めても江戸幕府軍には勝てなかった
これで徳川氏には誰も敵わないことを世に知らしめたわけだ

194: 人間七七四年 2010/09/14(火) 23:42:00 ID:oCJWt/DT
>>193
関ヶ原以降潜伏してた浪人衆が一カ所に集まるんだから笑いが止まらんねw

198: 人間七七四年 2011/02/05(土) 14:58:54 ID:0IdX/N42
この手の親衛隊って戊辰戦争の徳川もそうだけどホント役立たずだよな

199: 人間七七四年 2011/02/05(土) 15:43:59 ID:Ko+qPj0I
天王寺・岡山合戦では徳川の直属軍である大番や書院番は活躍しましてけどね

200: 戦国オタク 2011/02/06(日) 18:52:16 ID:zCa/Vj8r
>>199
二万の前田利常隊がその六分の一以下の大野治房隊三千と交戦中に、前田隊背後
に隠れていた徳川直属軍が大活躍し、多くの旗本衆が名誉の戦死を遂げられたと
言う戦国の最後を飾る洟ともいうべき武勇の誉れ高い逸話ですか。
武士の屈みとも言うべき武勲端ですね!

216: 人間七七四年 2012/06/11(月) 10:43:23.70 ID:fvxs281x
七手組、青木一重

慶長19年(1614年)の大坂冬の陣の後、和議交渉の一環として家康のもとへ赴い
た帰りに京で板倉勝重に捕らえられ、「大坂に戻れば弟可直を処断する」という
事を告げられたために大坂には戻らず、元和元年(1615年)の大坂夏の陣には参
加出来なかった。その後、剃髪して隠棲していたが、家康に家臣として召し出さ
れ、摂津国豊嶋郡をはじめとする地域に1万2,000石の所領を与えられた。この
後、幕府への配慮からか夏の陣で一重の代理で指揮を執っていた養子の正重を廃
嫡し、代わりに弟の可直の子である青木重兼を養子に迎え嫡子とした。後に弟・可直に2,000石を分与する。




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