みちのく瓦版

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義経は頼朝を倒せたか?

yee
1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/03/14(日) 16:58:15
司馬の「義経」を読んでフラストレーションがたまったので建ててみた。
うまくやってたら頼朝と北条氏を倒して義経が天下取れてたと思うんだよね。




根拠もない意味不明なことを名言ぽく言ってくスレwwww

「クマさんの 言うことにゃ お嬢さん お逃げなさい」←は???

【閲覧注意】生まれて初めて吐血したけど辛すぎワロタwwwwwwwwwww

乗ってる車で大体の人生がわかるwwwwww

【画像】中国人男性、頭が洗濯機にはまって取れなくなる

【人間の怖さ】俺が学生時代にバイトしてた飲み屋の監禁部屋

アヴァール人について教えて

海外「日本に生息しているサメがまるで竜なんだが怖すぎる…」→「モンスターだな」海外の反応

【悲報】非処女の女性、とんでもない処女の解釈をする

【怖い話】中国へ出張にいき、妻娘達とビデオメッセージをしていると妻からメールが…「今すぐその部屋から出れますか?」

30歳中小企業係長の俺氏www給料振り込まれた結果wwwww

いきなりステーキ「都内各地を『いきなりトラック』が駆け抜けます!」 → 横断歩道に突撃して男性殺害

【超速報】 阿蘇山がいよいよヤバイらしい・・・・・

上司に部下に優しくしすぎだと怒られたんだが意味が分からん

彼女の部屋でマッタリしてたら、彼女にメール来た瞬間ベランダに追い出されたw そこへ現れたイケメン兄ちゃん!覗いていたら彼女にシッシッとやられたったw お前ふざけんなww

2: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/03/14(日) 17:02:16
お、建てれた。

平泉が動けば結構簡単に鎌倉は倒せそうだとおもうんだが

3: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/03/14(日) 18:29:23
仮に義経が天下を取れても、彼に頼朝のような政治手腕はなく、室町幕府のような不安定な政権になったと思います

36: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/03/21(日) 09:40:33
>>3
鎌倉幕府も十分不安定な幕府だったと思うが。

やっぱ徳川幕府に比べると鎌倉も室町も駄目だったと思う。

4: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/03/14(日) 18:40:47
政治的手腕ないのかな?朝廷から官位もらったりしたのって
意外と対鎌倉を考えてたんじゃないかと思うんだが。

まあそれにしても部下に政治のうまい人がいればな。あの時代武士で
政治うまいのなんてほとんどいなさそうだが、

5: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/03/14(日) 18:53:43
弁慶がいるではないか

6: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/03/14(日) 20:05:22
弁慶は僧侶だしもっとちゃんとしたのが付くべきだったかな。

7: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/03/14(日) 22:18:46
朝廷から官位貰う時点で、政治的駆け引きダメダメなような気もするが
それに戦術的天才であっても
あのやり方は古参の武士には受けが悪いような気がす
結局は誰もついてこなくなるのがオチなような?

8: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/03/14(日) 23:59:39
西国での平氏追討は戦術家としては優れていた。
しかし、問題なのは、官職云々もだが、御恩と奉公の関係が分かっていなかったのでは。

義経は頼朝の名代だ。だから手柄を立てるべき立場ではない。
作戦は考えても良いし、実行しても良いし、戦っても良い。実は戦闘そのものはあれで
まったく問題なく、勝利した。三種の神器の問題はあるが。
問題は、その戦果を義経の手柄にしてはいけないという事だった。

例え義経のおかげで勝ったとしても「鎌倉の御家人たちの奮闘のおかげで勝つことができた」
という風に義経から頼朝に報告するような形があれば、その後の展開は大きく変わっていた
ことだろう。

10: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/03/15(月) 12:33:58
有る意味頼朝が化け物すぎる

11: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/03/15(月) 18:15:06
ん?頼朝は実はたいしたことないと思う。後の歴史考えると
多分北条一族が凄かったんじゃないかな?頼朝は北条一族の操り人形
って感じするわ。

12: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/03/15(月) 19:26:34
頼朝の頃はまだ頼朝自身の方が際立っていたんじゃ?
頼家・実朝の外戚が北条氏だから、そこで北条氏が際立ってきたような
外戚文化だからねえ、この頃は

15: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/03/15(月) 23:50:43
>>12
けど北条氏がそれほど力持つまでになるのを
止められなかった頼朝ってのはどうなんだろう?

結局、義経やノリヨリだかを遠ざけ、北条氏独占の時代を
作ってしまったし。結果実朝で滅んでしまったわけだし。

北条政子が一番の化け物な気がするな。

17: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/03/16(火) 00:11:44
>>15
平氏一族の奢りと没落を見ちゃったからだよ。
平氏は身内に甘く次々に昇殿した結果、
清盛の妻の兄まで恩恵にあずかった。
挙句が、

平氏に非ずんば人に非ず

だし。

だから身内に厳しくしなければ武士や世間に示しがつかないと考えたんじゃ?

18: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/03/16(火) 00:34:25
あっとほーむ平氏
地獄絵図の源氏

19: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/03/16(火) 08:20:39
けど徳川は身内で固めたりしてるし、頼朝はどうなんだろう?

20: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/03/16(火) 12:42:56
>>19
その身内が、KYな義経。

63: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/03/22(月) 23:46:48
>>19
亀レスだが、徳川は身内で固めたりしていない。
というと誤解の元かもしれないが「譜代」と「親藩」の違いでいえば、
徳川一族はむしろ政治に参加できないようにした。
本家の後継者となれば別だが。

譜代は、鎌倉時代で言えば義経ではなく、関東の御家人たちだ。
だから、この部分は源頼朝と徳川家康は共通するものが大きい。

家康は政策の要諦として「吾妻鏡」を読んでいたというから参考に
した可能性もある。
創業者一族を過剰に優遇したら、拠って立つ組織が長持ちしない。
これは現代の企業も似た傾向があるが。

21: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/03/16(火) 13:16:57
結束力抜群の平氏
身内仲が悪い源氏

23: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/03/16(火) 17:52:45
けどさ平家を倒せたのは義経だけだったと思うから。下手に
平家と戦わないで鎌倉と平家が弱ったところに義経が出てったら
もっとうまい事やれたんじゃないかな?

24: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/03/16(火) 19:35:48
頼朝と対立するまでは義経が関東から独立しているわけではないので無理

25: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/03/16(火) 23:17:10
いや、例えば義経が平泉にいたままで頼朝に会いに行かなければ良かったということでは?
藤原秀衡に大局観がなかった?

26: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/03/17(水) 20:43:35
義経の戦法は関東の武士にバレバレなんだから頼朝は倒せないだろ

27: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/03/18(木) 23:00:33
木曽と連合組めてたらどうだろう?木曽残党あたりをまとめてたら。
無理かな。

やっぱ平泉が味方について西で勢力伸ばし
関が原で頼朝と決戦とかになってたら面白かったんだが。

28: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/03/19(金) 00:38:33
義経は西国ではエグい戦さをしたからな
相手を調略するようなやり方で攻略したら、平氏の残党を味方にできたかもしれないが
一の谷、屋島、壇ノ浦って奇襲戦法や船のかじ取りを射殺すなど、相手からしたら卑怯千万
のやり方で勝った。これが後世に至るまで義経の武勇を高めたけれど、反面支持基盤が
拡大しないその場限りの戦いという事もできる。

義仲の残党も一緒じゃないかな。義経に帰順しようなんて残党はまずいないんじゃ?
関東の武士たちは頼朝あっての関東で、義経はその名代くらいにしか思っていないから
頼朝と義経が対立したらみんな義経から離れるよな。

この辺り、後世の楠木正成、織田信長、坂本龍馬にも似ている。

反面、徳川家康など、信長と共に滅ぼした武田の残党を抜け目なく配下に組み込んでいるし、
後北条氏滅亡後は関東で北条残党も組み込んでいる。遡れば今川の残党も。

敵を滅ぼすか、大将だけ倒して部下は引き込むかで、その後の運命が違うような。
徹底的に倒せばかっこいいけど最終的にはしりすぼみ。
うまく妥協して支持者を増やせば最終的に勝利者、天下人。

でも後世の評価は前者の方が高くなる。
どちらが幸せな生き方なんだろうな・・・・・

29: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/03/19(金) 00:41:50
>>28
前者は、早死にタイプが多いな

30: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/03/19(金) 00:55:21
もののふは命を惜しむな 名を惜しめ









なんてのは大抵最終勝利者が部下に言うキレイゴト

32: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/03/20(土) 02:39:33
けど義経は平家の娘を嫁に貰ってたりしたわけでしょ。
これは平家を味方につけるためではないの?

33: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/03/20(土) 12:27:01
ちゃう

37: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/03/21(日) 11:55:21
義経なら幕府すら作れていない

38: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/03/21(日) 11:57:56
>>37
朝廷に贔屓にされてる義経なら征夷大将軍ぐらいもらえるでしょ。
頼朝倒したらだけど。

39: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/03/21(日) 13:25:37
倒されない
それに征夷大将軍だからといって幕府を開いたことにはならない

42: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/03/21(日) 14:32:03
幕府は武士の支持がないと開けないだろ
安定するか不安定なのかは状況にもよるけど、多くの支持がないと幕府は開けないぞ

むしろ江戸幕府などは戦国の果てにできた例外的安定幕府で、不安定ということは
それだけ下の武士の勢力が強かったわけでこちらの方が普通なのかもしれない

44: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/03/21(日) 18:04:48
>>42
鎌倉武士はともかく
朝廷や一般庶民には義経は人気があったと思うけどね
やっぱり、武士の人気がいまいちなのは致命的だよな

45: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/03/21(日) 19:14:30
>>44
当時の一般人は義経のことなど知る由もない
平家物語以降だよ




なんか最近、無知蒙昧が増えてるな・・・・・・・・

46: 44 2010/03/21(日) 21:31:24
>>45
そういうものなのか?
普通、その時代の著名な人物くらいは知っているものでは?
特に都の人なんかは、当然義仲のことぐらいは知っているだろうし、義経のことも「平家を倒した人」くらいには分かっていそうなものだけど。
凱旋もしているんだし、知らないことは余程興味が無い限り、ありえないのでは?

48: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/03/21(日) 22:53:12
>>46
「一般庶民」という話もいろいろで、地方の人間は源氏だ平氏だが分かるかもしれない。
都に住んでいる人間はやや消息通だろうが、それでも義仲を倒したのも、平氏を追討したのも
「源頼朝軍」という認識だろう。その武将である九郎義経は、よほどの消息通でない限り
知らない名前だ。朝廷から叙任を受けた後は少しは知られるようになっただろうが、その
活躍であるとか、こんにちの我々が義経について持っているような情報は、そのほとんどが
平曲(平家物語)が琵琶法師などにより広まって以降の話となる。

49: 46 2010/03/21(日) 23:38:42
>>48
なるほど。そういうことなら理解できる。
ありがとう。

50: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/03/22(月) 12:06:59
頼朝は安房から再起したのに、義経は再起出来なかった。

56: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/03/22(月) 20:58:38
義経は権力欲は無かっただろうから無理でしょう
腹芸も出来なかったろうし

義仲未満

57: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/03/22(月) 21:51:55
いや検非違使に任ぜられて狂喜乱舞
腰越状の中でもそのことを偉そうに書いてるから「権力欲」はあったんじゃね?

幼稚なレベルでw

58: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/03/22(月) 22:34:06
朝廷で出世しようとしてた義経に対して頼朝が
対朝廷だったわけでしょ?

頼朝もちゃんと義経に説明してれば良かったと思うんだがな。

60: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/03/22(月) 23:17:17
>>56-57
欲があったかどうかは微妙なとこだが、
政治のことがさっぱり分かってないよな

ただ単に何も考えず検非違使になれるらしいのでなった(ある程度の権力が手に入ると知っても然り)、や
兄に喜んでもらうために検非違使になった、はまだ理解できるが
義経自体が検非違使になって後白河上皇と頼朝を対立させようとした、は過大評価しすぎだな

64: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/03/22(月) 23:53:34
藤原秀衡がもっと長生きしていたら義経が頼朝に勝てたかに興味があります

65: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/03/23(火) 19:34:41
奥州17万騎だっけ?の実力はどんなもんだったんだろう?
小説とかだと。義経がいなくなった後、頼朝対奥州になって奥州
はあっけなくやられたみたいな感じになってるけど
戦闘行為はあったんだよね?それこそ壇ノ浦とかレベルの戦だったんじゃないの?

66: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/03/23(火) 22:23:55
秀衡は66で亡くなったんだろ?
当時では順当な死だよ

それに秀衡死後の奥州はバラバラ
泰衡の急襲で討ち取られるような義経が勝つわけねーよw

67: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/03/24(水) 10:42:26
>>66
>討ち取られる
これは、正しくは間違い。細かいところを気にしないんだったら別にいいんだが

68: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/03/24(水) 14:10:50
政治的に奥州は追い詰められたからな
で、秀衡が生きていたら頼朝に勝ったかもしれないけどそれは秀衡が勝ったのであって義経の勝利ではないね

69: 月孔雀 2010/03/24(水) 18:04:35
義経は、頼朝と戦いたくなかった。
頼朝も、義経と戦いたくなかった。
けれど、状況が、彼らを戦うように仕向けた。
それは仕方がないこと。

弟が、兄を倒したということは、あまり聞かない。
その逆は、結構聞く。

?上杉謙信のケースがあった・・・
一応筋は通したはずだが・・・

よく分からなくなった。。。

71: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/03/24(水) 18:27:29
天武天皇は、(兄では無いけど)
兄の子供を倒しているよね。

でも、これは天武天皇の出自にいろいろな説があるから
微妙なとこだけど・・・。

72: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/03/24(水) 18:40:23
何を言う
織田信長は兄を何度も打ち負かしてるぞw

73: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/03/24(水) 18:41:17
北条時宗も

75: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/03/24(水) 18:49:59
毛利元就はつええぞw

77: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/03/24(水) 18:57:28
源行家や範頼はなんでもっと頑張らなかったんだろ

79: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/03/24(水) 23:43:21
載頼は自力で平家討伐出来ずに援軍に頼ったところがあるから、
立場が弱いんだろ・・・

結局彼も頼朝に追い詰められるが・・・

80: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/03/25(木) 00:18:51
範頼を追い詰めたのは頼朝じゃなく北条時政
殺されたのかもしれない
藤野巻狩りの後の消息不明
北条時政が殺したかの確証もないが御家人たちは結局源氏については最終的には抹殺したかったのでは

81: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/03/25(木) 00:19:16
藤野→富士の

86: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/03/25(木) 20:59:53
頼朝って戦らしい戦はしてないよね。戦場に出させたら普通に負けると思う頼朝って。
馬もろくに乗れないみたいだし。

101: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/03/26(金) 23:19:20
なんか頼朝ってやたら評価たかいみたいだけど
具体的になにがすごいの頼朝って?

103: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/03/27(土) 00:05:00
>>101
武家にしては良い血筋。
征夷大将軍となって初めて武士のみに近い状態の政治を行った
鎌倉幕府を開いた
13歳で流罪になってから、父の仇をとった

・・・と名目上は言われている事。

104: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/03/27(土) 07:46:04
武家による政治ってなんであんな形になったんだろう?
幕府を開くって発想はどこからきたのかな?先人に倣うなら
平将門みたいな事しちゃいそうだが。

105: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/03/27(土) 14:53:56
独立しようとした平将門は失敗した。
独立というのは、相手が(朝廷が)諦めるまで戦い続けるしかない。
平清盛は朝廷内で政権を取ったが貴族になってしまい、新興台頭貴族として反感を買った。
いずれも、朝廷の味方をする勢力に滅ぼされた。

頼朝は、そこで「朝廷の味方をする勢力」に徹したのが勝因だと思う。
後の枠組みは奥州藤原氏に近いかもしれない。
藤原秀衡は陸奥守にして鎮守府将軍、またそれを頼朝が討伐対象にしたこと、源氏はかつて
奥州支配を企て(頼義・義家)その連想から征夷大将軍を望んだのだろう。
朝廷の存在を前提として、実質的に政治を行う組織となった。

106: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/03/27(土) 17:49:18
幕府って朝廷の関東出張所だろ

107: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/03/27(土) 20:19:40
けど平将門の時代と違って貴族達より武力があったわけだから
簡単に転覆できたと思うけどな。承久の乱なんてそうだし。

109: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/03/28(日) 01:17:41
>>107
なぜ伊豆の流罪人頼朝に関東の武士が集まってきたかといえば
「源氏」だからだろ?
そして源氏ならなんで集まってくるかといえば、貴種、すなわち
都の高貴な人の一種だからだ。

そんなセンスの日本人が貴族を倒せるわけがない。
武力で倒せても滅ぼしたりしない。
頼朝にしたってそうだ そんなことをしたら自己否定だ。
源氏は三代で滅びたけど、摂家将軍や皇族将軍を迎えて幕府を
存続させたことを考えると、結局日本人が望む求心力って自分
から作ることができずに既存の権威を頼むという発想でしかない
事が良くわかる。

しかし日本人はだから「応用力」が身についたんだと思う。
一から発明はなかなか出来ないけれど、既存のものをより良く
便利な風に仕上げていく能力というものは日本人には昔から
備わっていたんだな。その能力は現代の日本人も受け継いでいるよ。

111: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/03/28(日) 08:05:39
武家政治ってようは朝廷を傀儡にしてみたいな事なんだろうけど
言ってしまえば中国の宦官がやったこととさほど変わりないんだよな。

自制して真面目に政治したから良かったのかね。

113: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/04/01(木) 17:02:00
朝廷を倒そうとしたのっていなかったのかね。
義仲はちょっとそういうところあったと思うし。
後は信長ぐらいかね。

112: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/03/28(日) 22:11:22
木曽義仲はちょっとやばかった

114: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/04/01(木) 21:56:15
平将門は関東一円を支配できれば満足だった感じだしなあ

115: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/04/02(金) 03:52:57
つ足利義満

116: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/04/02(金) 09:26:18
足利義満ってそういえば中国から日本国王みたいな判子もらったんだっけ?
あれって日本史上どういう位置づけになってるだろ?
皇室を優先する大日本史だっけ?とかでは大悪人かな?

145: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/05/17(月) 20:50:27
>>116
天皇はその名の通り「皇帝」って位置づけだし
位の下がる王なら問題ないんじゃね
家康だって貰ってるし

118: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/04/08(木) 00:47:27
頼朝も奥州藤原氏の関東版をやるつもりが義経が
西国で平氏を滅ぼしちゃったんで勢いで全国統一しちゃったって感じな気がする
最初から統一までしようとはしてなかったように見える
自分の周り(関東)の武士が土地持てればいいじゃん程度じゃねーかな元々

119: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/04/08(木) 01:40:27
>>118
それでは平将門と同じなんじゃ?
平忠常もだめだったし、関東・東海くらいじゃ済まない
対抗勢力をすべて排除しなければ根本的な解決にはならないと思ってたはず
そして朝廷とは別に政権をという考え方もあったとオモ
「天下草創」だしね
これは奥州藤原氏も滅ぼした後の書状(九条兼実宛て)に出てくる言葉だけど
平氏も奥州藤原氏も打倒しなければ関東は安穏とはできないという考えはあった
平氏も関東を平定しなければ平氏の天下が続かないと思ってただろう
奥州藤原氏はちょっと別格
これは蝦夷の地域が昔から別の地域だという発想があったからでは?

120: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/04/08(木) 21:46:50
>>118
東国の武士を動員するにはそれなりの理由があったはず

121: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/04/09(金) 21:31:40
実際義経がいなかったら

平氏が西日本 頼朝が関東 で東北が奥州藤原

で三国時代に突入してたんじゃないかな?

123: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/04/12(月) 21:46:57
京都まで来た東国武士の数は、誇張で千騎程度が実際かなぁ
と思ってたけど、九州まで東国武士の兵站と士気がよく持った
なあと思ったら、西国の戦いでは朝廷のお墨付きの力も借りて
九州とかの西国武士を動員してるんだな。

138: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/04/27(火) 20:45:24
つか自分が源頼朝の弟であるってことをサッパリ忘れて行動しているよな
御家人連中を功績を争ったりしたらダメだろ

153: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/08/19(木) 05:36:22
>>138
頼朝の弟であることに意味なんかないよ。
頼朝の言う通りにしたところで、蒲と同じ道を辿るだけ。
てか、頼朝が無力だから義経も蒲も死んだんじゃん。
北条は良き補佐役になってくれるであろうし、邪魔者は片付いたし、
これで未来は頼家のものって、この無邪気さこそが痴呆というんじゃないの。

151: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/06/08(火) 19:47:22
義経が逃げる途中でウンコ漏らしてたら勝ったかも知れないとふと思う

152: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/07/03(土) 01:19:11
>>151
帰ってから自分を絵師に自分を描かせるくらいでないとな

162: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/11(月) 11:56:53
平泉ってなんであんな簡単に頼朝に負けたの?

163: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/13(水) 20:21:56
>>162
「追捕使」「地頭」でもって武士の地位を「非人」から「国の公職」にまで高めた事で、
鎌倉殿(頼朝)は、全国の武士の圧倒的支持を得たから。

166: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/19(火) 19:08:37
東北じゃなくて西国に行けば良かったんじゃないの

167: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/20(水) 00:11:46
西国に頼れる人いたか?

172: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/23(土) 15:59:51
>>167
いない

177: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/11/10(水) 05:50:27
>>172
緒方三郎惟栄、舐めるなよ

169: 月孔雀 2010/10/20(水) 13:29:18
最初、頼朝に追われる身となって、義経は西国にいこうと思ったが、
出港の前日に嵐に見舞われ、船がみんな沈んでしまい行けなかった
らしい。

170: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/20(水) 18:07:09
既に頭が居る平泉より
義経を担いでくれそうな奴を西国で探す方が展望はあるような

173: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/24(日) 10:54:04
島津がいるではないか

174: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/24(日) 13:37:40
島津はまだ下向してないだろ

175: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/24(日) 16:34:36
島津氏が鎌倉から薩摩入りしたのは1275年
それまでは鎌倉に居住していた

178: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/11/16(火) 10:31:18
頼朝を倒す以前に平教経が義経を仕留めたら源氏の負けだったかもね

179: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/11/16(火) 16:12:50
そんな時はカバ様の出番ですよw。

180: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/12/30(木) 16:43:27
秀衡の言うとーり、大人しく奥州に留まってれば良かったんだよ。
そしたら源氏と平家は相討ち・・・いや、屋島や壇ノ浦のような
義経の活躍がなかったとするなら、間違いなく頼朝が敗れてただろうに。
そのうち清盛が死んで、自動的に天下が回ってきたかもしれない。

181: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/12/31(金) 12:47:19
むしろ立場が逆だったら面白かったかも。

頼朝:平治の乱の後の落ち武者狩りを逃げ切り、改名して奥州に逃げ込む
義経:常磐と共に伊豆に島流しされる(今若、乙若は別の所に島流し)

186: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/02/06(日) 17:00:02
藤原氏が全面協力すれば鎌倉倒せただろうがその後、グダグダになりそう

206: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/11/06(日) 14:06:16.77
戦術に優れた項羽は3万で劉邦率いる50万の連合軍を蹴散らすことさえあったが
最終的に勝ったのは劉邦のほうだった
アルプスを越えイタリア半島に攻め込んだハンニバルは無敵だったが
非難されても戦いを避け続けたファビウスが最終的な勝利を得た

義経が挙兵してたとえ1、2度大勝したとしても歴史は変わらなかったと思う

207: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/01/11(水) 22:51:10.13
武家政権は確実に立ち上がったろうけど
頼朝が天下を取れたかはわからんよ

209: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/02/29(水) 08:02:39.56
奥州は義経自身が味方につけ、朝廷工作は異父弟の能成や叔父の行家がやるとしても義経自身の兵や武士の味方が少ないな
義経の身近に武士が何を求めて戦っているか理解している人はいなさそうだし、いたとしても頼朝以上に上手く取り込むことはできまい

後白河がもう少し頭よくてせめて西国は鎌倉の支配下に入らないようにしておけば奥州だけでも自立できただろうけど
義経の立場からどうこうできることじゃない

211: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/03/08(木) 23:36:26.24
そもそもなんで奥州はあそこまで義経に味方してくれてたの?

212: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/03/09(金) 14:59:07.87
あの時の鎌倉相手ならまだ勝つ見込みがあると思ってたんじゃないか?
鎌倉と戦うに当たって武勇名高く京でも人気の義経を担ぎ上げたとか

213: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/03/11(日) 16:52:33.83
けど京で名を上げる前も義経かくまってくれてたりしたわけじゃn。

215: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/03/15(木) 16:48:57.44
>>213
それは奥州藤原氏の盟友・藤原基成と義経の義父・一条長成が親戚だったから

京で育てれば平家から目をつけられ、寺に預けても逃げ出してしまう、かと言って愛妻の子なので殺すのも忍びない
長成はそんなどうしようもない義理の息子を遠くの親戚に預けたということ

216: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/03/22(木) 19:25:10.68
>>213
やっぱ、ウマがあったんじゃないかな・・・。
単に源氏の「血統書」が欲しかったという人もいるけど
平家全盛にそんなもん、たいして価値ないだろうし。
後の頼朝がしたように、下手したら逆に足元を救われかねない。

なんとなく浮かぶんだよね。
犬コロのように檻を脱走し、泥塗れて白河の関を超え、
その先に広がる奥州の都を目にした時の、義経の衝撃的な顔が。
少年時代が暗く閉ざされていたからこそ、黄金の浄土都市で過ごした日々は
義経の骨の髄まで影響を及ぼしたはずだと自分は思う。

218: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/03/26(月) 15:29:41.36
義経が頼朝を倒すって構図はありえなさそうだな。義経に政治、戦略的視野が無さ過ぎる。
藤原秀衡がもうしばらく健在ならなぁ・・・。後白河も奥州側の勢力が固まれば何をするかわからんお人だし。

221: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/02(月) 20:23:41.06
>>218
義経は馬鹿というより若すぎただけ。
31で死んだんだっけ?
清盛や頼朝が31才の時どうだったか考えてみなよ。

222: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/03(火) 10:12:02.07
むしろ頼朝があと20年長生きしていればどうなっていたかな

223: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/03(火) 21:57:00.50
難しいな。あまり、変わり映えしない気もする。
源氏将軍がもう少し続いて、北条氏独裁が遅れたか。

厚遇・冷遇を問わず源氏一門は評定衆の外、いわば外様に変わりない。
となると、頼朝親裁後はよほど力の均衡が保たれない限り、評定衆を占める
御家人間の権力闘争。
よほど変わり映えするとしたら、頼朝自身が北条時政を討つパターンが
ある時だけじゃないだろうか。

224: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/06(金) 17:35:56.19
頼朝は優秀な息子が居なかったのが痛いな
義経と範頼をしっかり自分の膝元にでも入れて庇護してれば息子達守ってくれたかもしれないのに
義経も義経で周りに武辺者しか居ないのが致命的だった
弁慶も戦略とかは考えられても政治とかはできなさそうだし
秀衡がもうちょい長生きしてくれたらと言うのもあるが

225: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/07(土) 22:54:43.19
ただ北条氏ってなり上がり方が陰湿で嫌な感じするけど
政治家としては一流でしょ。元寇耐え切ったりしたわけだし。


226: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/08(日) 14:38:40.38
北条一族(特に時政と義時)はただの政治屋って印象だな。
将軍を名乗るだけのカリスマもない、陰湿な性格ゆえに仁徳もない、
なにより華がないのが致命的で現代の評価は石田三成にすら劣る。

正直、実務能力なら大江広元の方が上だと思うし、
義経の配下にもそういうタイプの人間が一人か二人はいたのではないのかな?
能力を発揮する機会がなく歴史に埋もれてしまっただけで。

227: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/09(月) 08:04:53.47
義経の配下には権力がある奴がいないでしょ。
奥州の人らぐらいか。



228: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/11(水) 15:31:53.24
義経の配下ではないけど異父弟の一条能成は公家として義経に協力している
最終的には参議にまで登ってる人だから有力な政治家ではあったんじゃないかな

229: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/11(水) 20:27:10.64
公家じゃなあ。

兵隊をまとめる家柄とか器のある人物が少ないでしょ。
頼朝は関東の武士まとめてたわけでしょ。

奥州と関東の戦力差がどれくらいあったかわからないけど。
せめて平家の残党とか取り込めてたらなんとかなったのかもしれないが。

230: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/12(木) 12:30:49.12
頼朝が義経討伐の兵を挙げる前に死んでいれば義経にも十分勝ち目あったと思う。

231: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/12(木) 21:08:20.56
>>230
頼朝がいなくても北条政子がいればなんとでもなったような気がする。

232: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/13(金) 15:07:13.99
>>231
そっちの方が強そうw

233: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/15(日) 18:40:26.26
上策・義経直属の兵で鎌倉を奇襲する。

中策・宇治勢多を固め西国の武士を集める。

下策・九州四国に退く。

234: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/15(日) 19:15:53.95
>>233
義経直属の兵ってどれくらいいたんだろう?
少なそうだな。

朝廷を味方に付けて勢力を増やし奥州と組んで挟み撃ちで関東に攻め込む
ってのがベストだと思うんだけど。

243: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/22(日) 11:05:09.38
>>233
比叡山に逃げ込むってのはどうだろう?
当時あそこは日本版梁山泊ともいえる存在だったし

245: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/22(日) 16:04:15.01
>>243
本来は西国武士と比叡山の兵力を期待して「中策」の予定だったみたいね。
でも西国武士は義経に味方する義理もないから兵力不足、比叡山も荷担に踏み切れなかった。
やっぱ奇襲が一番だよ。危険だけど。

235: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/15(日) 22:05:00.87
直属はせいぜい二百じゃない?
「中策」に奥州を足した戦略がベストだろうが、
下策をとらざるを得なかった理由があったはずだ。

236: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/16(月) 15:17:17.83
義経の手勢じゃ京は守りきれないだろう
かと言って畿内の武士が義経の味方になって頼朝を防ぐとも思えないな

朝廷工作と平家の取り込みを成功させていればまだどうにかなりそうだけどねえ

237: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/16(月) 22:31:12.26
奇襲作戦なら成功させれそうだけどな。鎌倉を裏側から奇襲とかできないものか。

238: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/16(月) 23:09:58.28
干潮時に海側から鎌倉に侵入するとかw

239: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/16(月) 23:54:30.81
新田義貞乙

240: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/20(金) 11:39:55.64
修験者とか浮浪者に変装させた直属部隊をバラバラに鎌倉に侵入させて期を見て各方面から奇襲とかどうだろう

243: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/22(日) 11:05:09.38
>>240
それ、まんま水滸伝の北京大名府攻めだな

241: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/20(金) 12:29:12.72
気づかれたら個別撃破だからリスク高すぎだが面白い。

246: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/22(日) 22:52:47.23
危険って言うか無理だろうね
まとまった兵力が無いんじゃまず鎌倉まで行けないし
全員隠密活動で一城砦都市を落とすってのはちょっと現実離れしてる
もし仮に鎌倉を落とせたとしてもすぐに潰されるのがオチだ

247: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/22(日) 23:30:17.45
船を使えばどうだろう?鎌倉なんて海岸沿いなんだから
船で近くまで寄って上陸すればいいじゃん。
あの時代船は西国の専売特許だったんでしょ?

248: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/23(月) 18:28:38.88
それだと上陸後は徒歩で戦わなきゃならなくなる。
騎馬による鎌倉奇襲より可能性が薄いだろうな。

249: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/24(火) 22:27:23.24
鎌倉ってさ。

山山山山
山鎌倉山
山町町山
海海海海

って地形じゃん。山から火矢で攻撃すれば簡単に壊滅できそうだけど。

250: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/25(水) 08:02:29.25
山は城壁代わりそこで敵を防ぐ。山を取られたら攻め落とされたも同然。

251: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/25(水) 08:15:58.77
>>250
常時、兵が山に待機してたのかな?

252: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/25(水) 09:20:49.08
>>251
見張り所ぐらいはあったんじゃない?
それに昔は鎌倉への山道は狭かったから守備側の兵士は少数で守れる。
その間にいざ鎌倉へと武士が集まってくるのを待つんじゃないか?


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熊野・新宮辺りに退く
色川が平家の残党を匿っているから、その対抗勢力に自分を売り込む
熊野水軍を味方につけることができれば、海路鎌倉を襲って奥州との挟み撃ちができるけどなあ

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