みちのく瓦版

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武田勝頼の側近は誰がよい?

favaavaa


LINEの登録名が本名の奴、ヤバイぞwwwwwwwwwww

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23: 人間七七四年 2010/04/24(土) 05:39:35 ID:qSM1nXvN

土屋さんこそ真の忠臣。




25: 人間七七四年 2010/05/03(月) 23:42:44 ID:GxpysI53

あまりにも普通な意見だろうけど、
仁科盛信を甲斐に呼び戻せば、まだ良かったのかもしれん。
時代の流れや織田家の侵攻を引き伸ばせるわけもないんだけどね。




26: 人間七七四年 2010/05/04(火) 11:33:00 ID:BZb8gq8V

長篠の後でも、信豊の地位に盛信を据えていれば、逃げたりだのって展開はなかっただろうね。
とはいえ、盛信の軍事的能力は、正直何とも言えないと思う。
高遠の戦いは、相手に大損害を与えて讃えられて、唯一武田武士の意地を見せたって名声は残ってるけど、
あっさり落城してしまったのも事実なわけで、数日持ちこたえていれば、勝頼の身の振り方もifがあったかもなぁと思うと……




27: 25 2010/05/05(水) 13:20:07 ID:qLmgSXUQ

>>26
残念ながら、「長篠」時の盛信の年齢と根本的な戦力や戦法からの
負けぶりを考えると、当時の盛信が助力になるとは思えないんだよね。
それ以降の家内での発言力も、どれほどかも推測できない。
(やはり、ずっと信濃に居たのだろうし)
ただ、天正7年頃から盛信が勝頼のそばにあって
精神的な支えになっていれば、天正十年時のあの悲惨な崩壊ぶりが、
少しは緩いものになっていたのでは?程度な考えだよ。

盛信好きだけど、やはり彼の能力や実績の史料がないのは事実なので
根拠なしにはあまり美化賞賛も出来ません。

盛信贔屓の人の中には、彼の母・油川氏の系譜からすると、
「諏訪氏を母とする勝頼よりは、家内の統率もとれただろう」
と、言う人も居るけど、やはり年齢的なことと
「もし話し」には違いないので、肯定する気にもなれないし。




37: 人間七七四年 2010/07/08(木) 18:22:54 ID:z+lh3dUW

>>26
>高遠の戦いは、相手に大損害を与えて讃えられて、

は? どこにそんな証拠がある?
どこの記述にも織田家の少しは名のある武士を討ち取ったとか
織田家に甚大な死傷者を与えたとかいう記録はないぞ。

信長公記の記述も実にそっけないもので、
信忠が午後二時には城の点検を終えたとか飼いあって、
城がわずか半日で落城した楽勝な闘いのだったかのようにしか読めないのだが。

>唯一武田武士の意地を見せたって名声は残ってるけど

そりゃ武田征伐の中で「唯一の組織的抵抗」だから、そういわれてるだけ。
城を半日で落とされて別に善戦すらしてない。




28: 人間七七四年 2010/05/09(日) 12:46:57 ID:wndTcm+O

自分も仁科さんは、凄くカッコイイし好きな武将だけど、
戦績から考えると、武才があったかは、未知数ですなぁ。
要所であり、勝頼にとって大切な高遠を任されていたのだから、
勝頼からの信頼は、間違いなくあったと思う。




29: 人間七七四年 2010/06/06(日) 19:01:34 ID:MoC7WiUd

勝頼の側近はやっぱ、武の五郎盛信、知の真田昌幸だろ。




30: 人間七七四年 2010/06/08(火) 17:06:21 ID:et/nlJ1r

盛信は弟だから、武の側近といわれると、土屋昌恒の方を挙げたい。




31: 人間七七四年 2010/06/28(月) 19:39:56 ID:o1zo9WfD

そねたくみ




35: 人間七七四年 2010/07/07(水) 11:07:24 ID:oxXGPS+S

>>31
曽根昌世(曽根内匠助)は勝頼がまだ生きている時点で家康に降った武将だから、ちょっと抵抗が・・・

しかし、信玄から(武藤喜兵衛と共に)「我が両眼の如き者」と言われていただけあってもちろん優秀。
徳川家康の家臣、そして蒲生氏郷の家臣として活躍した。




36: 人間七七四年 2010/07/08(木) 16:34:19 ID:yzs+yA5v

歴史ファン:「曽根昌世は隠れた名将である」(1)

信玄ファン若しくは武田ファン:「曽根昌世は武田の有名な名将である」(2)

勝頼ファン:「勝頼を見限った曽根昌世は断じて許せん。穴山信君や小山田信茂などと大して変わらん」

・・・・と曽根昌世をどの視点から見るかで曽根昌世に対する評価や感情はそれぞれ異なる。

曽根昌世の唯一の救いは武田攻めの徳川軍の先導にならなかったこと(主家の武田滅亡までおとなしくしていた)。
徳川軍の先導になっていたりしたら、(1)や(2)のような高い評価も江戸初期に消えていたと思う。




38: だぅ 2010/07/08(木) 21:00:33 ID:ksr56uTd

上杉謙信がいいんじゃね?
同じ戦好きだし
謙信のように義の為に戦いをしてたらもうちょっと人望も集めたんじゃないかな
勝頼は、お館の乱で金に目が眩んだのが滅びの始まり




39: だぅ 2010/07/08(木) 21:21:20 ID:ksr56uTd

真田昌幸でも面白いと思うけどな
昌幸の智謀と勝頼の武勇が合わされば武田再興も夢ではなかった

小山田なんかを信用するから・・・




41: 人間七七四年 2010/07/09(金) 00:02:11 ID:Fg+PN2kr

>>38>>39
財政破綻起こしてる武田は喉から手がでるぐらい金が欲しいだろ
目が眩んだんじゃなくて取らざるおえなかったんだよ
昌幸なんかもってのほか、外様で成り上がりなんだからそこまで信用出来る訳ない
加えて後に表裏がわからんと言われてる昌幸は勝頼を信長に差し出すぐらい平気でやるだろ




43: だぅ 2010/07/09(金) 05:04:08 ID:kAD7zm/v

>>41
財政破綻するのは無闇に戦争ばかりするからだろw

あと昌幸は関ヶ原で不利な西軍についた、勝頼と供に殉じても不思議は無い
差し出すような非情な事はしないと思うけどな




44: 人間七七四年 2010/07/09(金) 06:30:28 ID:4CvCDE7+

>>43
君の言っているような説は2chで昔から限りなく論じられてきた。
そして、君の主張する意見はどちらかというと不利だったよ。

まず真田は北条と事前に織田に連絡取ってたからな。
自分の有利なようにするだろう。
そもそも昌幸が西軍についたのは豊臣への義理とかではなく、
周り中が東軍で勝っても恩賞のが極めて少ないと計算したからだ。
そして、信幸が東軍についている以上、負けても自分は助かるという計算もあったろう。

あと現実的に考えて昌幸の力を持ってしても織田勢撃退なんて無理だし、
そもそも一揆勢にもあなどられるほど小勢の勝頼一行が
いろいろ恨まれている信濃の道中をくぐって真田の元に行くのは無理だろう。




46: 人間七七四年 2010/07/09(金) 07:25:44 ID:Fg+PN2kr

>>43
財政破綻は信玄上洛時に既に始まってるんだがw
そして親父が徳川と敵対してたから勝頼は戦わざるおえなかったんだけど知らないの?
関ヶ原はどう考えても西軍有利なのも知らんのか
むしろ不利な徳川に義理の為についた信之を誉めるべきとこを・・・




55: 人間七七四年 2011/05/11(水) 18:31:33.72 ID:UwTgVM8/

>>43
ややスレ違いなレスで申し訳ないが、
今思うと真田昌幸が西軍についたのは「たとえ東軍勝利でもわしと信繁は助かるだろう」
という計算があったからだろうと思われ。

当時としては小野木重勝すら「自分は隠居生活に入れば助かる」と思って
終戦後に隠居生活の準備を始めたくらいで、
実際、西軍について打ち首や切腹させられたのは
三成、小西、安国寺、小野木、長束くらいで
ほとんどの人物は城や領地を失っても助かってる以上、
関が原で西軍についた=悲痛な覚悟で忠義に殉じた忠臣
なんて事にはならないと思われ。

真田昌幸がまさに『必死状態になる』としか言い様がない
勝頼一行受け入れを行うかどうかは甚だ疑問。




56: 人間七七四年 2011/05/11(水) 18:48:09.95 ID:NK5jMWuZ

>>55
まあねえ
ただ表裏比興の者とは言え武田家に対しては少し感情的部分も入りこむ余地ありそうな気もするけどね




59: 人間七七四年 2011/05/12(木) 01:57:08.70 ID:FTA9X5RL

>>55に対する反論のつもりならあまりに詩的すぎるぞ。

個人的には真田父子は自分の命を大切にしてたと思うよ。
大切にしてたからこそ、病にあいながらもあの歳まで生きたと思うのだが。




47: 人間七七四年 2010/10/25(月) 23:47:06 ID:G69TQYLm

曽根とか土屋より加藤信景を推すね
上野原とかいう対北条の最前線に無駄に置かれてるより




48: 人間七七四年 2010/10/26(火) 17:51:19 ID:5BkLaGaa

また、渋いところを突いてくるなw




51: 人間七七四年 2011/02/07(月) 22:12:11 ID:yFj1+Eet

小宮山友晴
土屋昌恒




62: 人間七七四年 2011/06/03(金) 02:05:00.84 ID:cdKdZRMa

武田勝と武田久




80: 人間七七四年 2012/03/20(火) 00:42:47.16 ID:0XFJSFUE

やっぱり土屋昌次じゃね?
年齢も近いし。
勝頼の側近は文治派タイプが多いからな。
軍事に精通した側近も欲しいところ。

真田って意見もあるが外様の真田だと甲斐衆がなんて言うかな・・・
曽根は勝頼への忠誠心なんてあったのか?
実際内通していたようだし。
まあ穴山や小山田とは違い武田滅亡までは大人しくしていたが。
これがせめてもの奉公だったのかね?
「武田信玄のすべて」には「勝頼への無奉公を家康から忌まれた」とある。

>>62
あの2人といいダイエー→中日→巨人の武田一浩といい、武田信玄の子孫の可能性はあるかな?




66: 人間七七四年 2011/06/06(月) 23:39:54.39 ID:LpBuw5yr

側近がどれだけ有能でも忠実でも、老臣が勝頼を軽んじていたら何もできんだろ。




67: 人間七七四年 2011/06/07(火) 09:43:36.34 ID:mDA1i5Vk

側近政治って悪いイメージだけどやっぱ盛大に開かれた軍議を開いて挙国一致カリスマ頭首じゃないと力を最大限に発揮できないんだろうね




72: 人間七七四年 2012/02/07(火) 15:26:38.87 ID:J0G+6Q0R

依田信繁だろ
武田随一の名将であり知将




74: 人間七七四年 2012/02/28(火) 17:16:32.32 ID:TiVOYDt6

真田>依田、小幡>仁科、岡部、小山田>秋山、相木>信豊、信置、木曾>穴山>松尾小笠原




76: 人間七七四年 2012/03/07(水) 14:57:16.05 ID:Jq9a6Rn1

依田か真田でいいやん
ただ依田は前線でゲリラ戦やらで暴れまわってる方が良さそうだが




88: 人間七七四年 2012/04/22(日) 10:39:10.20 ID:78Yg+xSZ

蟄居中だったのに、勝頼の為に天目山にやって来た小宮山なんとか




89: 人間七七四年 2012/06/30(土) 15:16:32.92 ID:CjlZ3zlo

ご親類集の抑えに一条信龍をもっと重用できなかったのだろうか?
長篠でも最前線で戦ってるし穴山や信豊より余程有能なイメージなんだが




90: 人間七七四年 2012/07/06(金) 09:52:41.11 ID:L7ek/ZlO

一条信龍も頑固だったと思うよ…
その気になれば勝頼をしっかり補佐出来る立ち位置だったんだから
派手な衣装まとってる傾き者だったし扱いは難しかったのかもしれん




91: 人間七七四年 2012/07/18(水) 14:32:55.97 ID:+TNCNHn1

親父がちゃんと徳川滅ぼしてれば石川数正・酒井忠次あたりは武田に登用されてただろうから
対織田戦にも活躍してくれただろう




92: 人間七七四年 2012/07/18(水) 15:51:33.47 ID:0sijoKFz

滅ぼさなかったんじゃなくて滅ぼせなかっただけなんだけどな




93: 人間七七四年 2012/07/18(水) 17:04:56.15 ID:GCGGOkyg

三方が原後に浜松城に攻め込めば滅ぼせていた
家康は運が良い




94: 人間七七四年 2012/07/18(水) 18:43:54.48 ID:0sijoKFz

あくまで「かもしれない」
実際起こってないからそうだとは言い切れないな




95: 人間七七四年 2012/07/21(土) 09:53:21.73 ID:2fCVU2ZF

普通に考えて家康の首は十分とれた状況だったけどね




96: 人間七七四年 2012/07/21(土) 10:35:15.46 ID:BDUeC7us

そうしていれば長篠の戦いは起きなかった事を考えればすごい損害
野田城なんか落とすよりこちらに全力を傾けるべきだった




98: 人間七七四年 2013/01/04(金) 13:05:58.02 ID:UKP2Fimg

>>96
信玄は寿命を考えたら同盟破棄して侵攻しなきゃ良かった
それでも長篠は発生してないしバトンタッチとしても充分だった
普通に勝頼の側近を考えるより信玄の側近を考えてやりたい




97: 人間七七四年 2012/11/14(水) 05:27:30.85 ID:socAeWIV

信廉や一条信龍がいても勝頼の補佐に積極的なイメージがないんだよな
信廉なんかは信玄が死ねば諏訪勝頼なんかより自分のほうが武田の正統後継者になるべき
くらいの気持ちがあったんだろうか?




101: 人間七七四年 2013/05/03(金) 09:53:38.97 ID:Jow5d6BY

信玄の眼とまで言われた真田には上野攻略任せっきりだし
曽根はなんか勝頼になってから影薄いし
土屋は逸話からはなかなか優秀だったみたいだけど力持つ前に武田滅亡しちゃうし

勝頼が自分である程度できる優秀さがあったのが裏目に出て部下が育たなかった感じ?
長篠は信玄で言えば上田原みたいなもんで老臣を一掃できたある意味チャンスでもあったわけだが




103: 人間七七四年 2013/06/08(土) 01:28:24.64 ID:HdxIIyeX

土屋兄弟




107: 人間七七四年 2013/06/30(日) 11:47:33.62 ID:y0XMXamo

必要だったのは武官より、石田三成みたいな系統だったろうな。




108: 人間七七四年 2013/06/30(日) 13:01:14.95 ID:TaV65dgn

ていうか信廉が調整役として信繁程度に働けば良かっただけのような
一条信龍もそうだが

武田崩れでのご親類衆の酷さは言語に絶するな
仁科以外は城放棄して逃げて謀殺されるパターンばっかじゃん
やはり諏訪の系統の勝頼には心から仕えてなかった証左だわな
だからこそ勝頼は戦いで勝ってそいつらを押さえつける必要があったんだろうけど




115: 人間七七四年 2014/03/10(月) 09:21:55.55 ID:0UBQ+Iw0

土屋昌恒って後世創作っぽい諫言ネタあるけど
どこまでの能力だったのかは未知数だよなぁ
勝頼は結局穴山や小山田の御親類衆や譜代に裏切られて死んでる訳で
長篠が信玄の上田原みたいに目障りな宿老の一層になってればよかったんだが
無能な御親類衆の影響力を強めただけってのが




117: 人間七七四年 2014/04/09(水) 20:04:13.38 ID:Fw0PCpos

>>115
田野での千人斬り等はいかにもな忠義の英雄伝かと思われるけど
武田遺臣を囲い込んだ家康にとくに長男が重用されたということは
やはり父親のそれなりの武勲や忠義は評価されてたのだと思うけどね

あっ、ただ長男の忠直の母(昌恒の室)は駿河先方衆の岡部氏とのこともあり
その姻戚関係での取りたても重かったのかな







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