みちのく瓦版

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細川晴元について語ろう その3

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310: 人間七七四年 2008/01/14(月) 20:57:18 ID:bve+JOav

勝手な妄想だが、晴元最後の家臣は三好政勝だと思う。晴元に男子が誕生するのは政権崩壊の二年前だし、あれだけ贔屓にしていた政長の嫡子ということもあって、きっと可愛がっていたのだろう。




312: 人間七七四年 2008/01/15(火) 08:50:38 ID:OA43p/Ak

 もう晴元くらいの時代の管領になるとその政治的影響力が及ぶのは
 よくて畿内くらい?

 関東なんてもっての他ですか?




313: 人間七七四年 2008/01/16(水) 02:27:12 ID:iNL9KuGN

四国 播磨くらいまでだろうな




314: 人間七七四年 2008/01/16(水) 11:09:45 ID:UllFgrQ5

備中や土佐にも細川家の分家はあったけど、晴元の頃には力を失うか、土着していたから、京兆家との繋がりはないと考えたほうがいいかもね。




315: 細川藤孝 2008/01/26(土) 11:36:01 ID:FAqMO5NG

【澄元流】澄元‐晴元【高国流】高国‐氏綱> 細川一門を一つに束ねられなかった事が三好長慶の台頭を許すことに繋がった。




319: 人間七七四年 2008/01/31(木) 04:44:28 ID:W9Mwt22m

>>315
そして長慶の後の三好家の分裂が信長の台頭を許すことになった。




316: 人間七七四年 2008/01/28(月) 05:31:54 ID:J+yU7Ekj

政元が一門の統一をやろうとしたんだけどね
阿波守護家はかなり強かったから
たしか澄之が先に養子だったところに澄元をねじ込んだんだっけ




317: 人間七七四年 2008/01/28(月) 15:09:40 ID:eQ89Wszj

澄元を養子にするのに
「我家は一門中より持たずしてはあしかるべし」(細川両家記)と言ったそうだ




318: 人間七七四年 2008/01/29(火) 00:10:37 ID:pLDAfr/r

晴元の阿波勢力排除の姿勢は、いわば政元からの伝統でもあった訳だ。京兆家当主としての。
しかし、実の父に繋がる阿波細川家や三好宗家と徹底的に争い続けるのは、よほど何か思うところがあったのか。
長慶家臣時代も完全に走狗としてしか扱っていない。
まあ長慶だって父の仇を許すはずもないから、この時期は互いに利用しあっていたのだろう。




320: 人間七七四年 2008/01/31(木) 08:13:35 ID:m6JjoXtM

朝倉宗滴に酷評されてる三者の一人




321: 人間七七四年 2008/02/01(金) 15:34:37 ID:1c4kzSXz

晴元の置かれた立場を考えてあげろよ、と言いたくなる




322: 人間七七四年 2008/02/02(土) 02:36:15 ID:CpPBKUgB

その三者の残り二人は土岐頼芸と大内義隆か。
たしかに下剋上されてはいるが、大内義隆はすぐに殺され、
土岐頼芸は美濃から逃亡して二度と戻れなかったことを考えると
晴元が一番ましだったとも言える。




323: 人間七七四年 2008/02/02(土) 10:50:37 ID:CpPBKUgB

すまん、少し違った。
土岐頼芸は稲葉一鉄に迎えられて晩年に美濃に帰っていたな。




325: 細川三好 2008/02/03(日) 19:19:35 ID:j5DOaFam

【足利義維-細川晴元(当時は細川六郎)】VS【足利義晴-細川高国】⇒細川高国の死後、細川六郎が足利義晴に接近して初めて「晴」の字を貰ったのですよね。混迷の時代を象徴している一例ですかね。




326: 人間七七四年 2008/02/03(日) 20:57:13 ID:94TrJmpn

まあ堺幕府成立直後から、
晴元も義晴と和睦しようとしていたし、
丹波勢VS阿波勢の争いでも終始丹波勢に加担した。
木沢長政の讒言うんぬんよりも、
晴元の基本路線が阿波勢力の排除で動いているから、
足利義維のいみなをもらった
「維元」と名乗る気はなかったのだろうね。




329: 人間七七四年 2008/02/19(火) 15:34:43 ID:QKMvkJGe

>>326 いろいろ考えてみたが

晴元にとっては 義晴を担ごうが義維を担ごうが どっちでもいい という感じでは。
親父の澄元は義澄方だったし 高国がいなくなれば義晴を担げない理由もないし。

逆に義維だって根っからの元長派というわけでもなく
堺を攻められたから阿波に逃れた宗工面もあるような。




330: 人間七七四年 2008/03/01(土) 15:04:10 ID:TngUakBw

>>329 5行目宗工面じゃなく 側面だな 失礼。




331: 人間七七四年 2008/03/16(日) 13:39:17 ID:ec8VmNPM

ただ、晴元にとって事実上義維は
三好元長に擁せられていたのと同じだと考えていたのだろう。
だから畿内衆の側だった義晴のほうが都合がいいと。




332: 人間七七四年 2008/03/18(火) 16:40:18 ID:4QXxuQoG

元長は大永八年に一度阿波に帰ってしまうんだよね
この時も義維は堺にいたから、晴元、元長、義維の関係は複雑だと思う

ところで晴元と元長の不和は大永八年は柳本、波多野らの讒訴、
天文元年は木沢や政長の讒訴とされるんだよね
晴元は影響されやすいのか




333: 人間七七四年 2008/03/18(火) 21:30:42 ID:tiGYLIId

たしかに讒言によるものと言われるが、
当時晴元は16~18歳の若さだったこともあるかもしれない。
影響されやすいかどうかはわからないが、
阿波三好勢力の排除はそれから後の晴元の基本路線なのだから、
讒言以前にすでに三好を敵と認識していたのかも知れない。
まあ結局三好元長を呼び戻すことになるのは
晴元の読みの甘さと言えるのかも。




335: 人間七七四年 2008/03/29(土) 11:31:34 ID:v0jyrsOZ

結局晴元は京都の奪回はならなかった訳だか、一体どうすれば成功したのだろう?




336: 人間七七四年 2008/03/29(土) 15:20:35 ID:YB2VXS48

高国が大内を引き込んだような手かな
晴元のプライドが邪魔しそうだけどね




337: 人間七七四年 2008/03/29(土) 17:08:42 ID:v0jyrsOZ

晴元なら六角がそれに当たるのだろうが、
定頼は1552年に死亡、義弟の義賢はあんまりやる気がないようだったから、
それよりも、丹波の領国化を進めるべきだったのかも。




338: 人間七七四年 2008/04/03(木) 16:17:25 ID:vktn0c5O

六角では少し弱いような気がするな
丹波の領国化は良いかもしれない




339: 人間七七四年 2008/04/05(土) 20:39:24 ID:cBuLWRGR

八木城の松永長頼を倒せなかったのが痛いな。
たびたびの防衛戦で晴元方は勝利をおさめているのだし、
丹波一国丸々晴元方なら、摂津の国人衆も心変わりしてくれる可能性もあったかもしれない。




340: 人間七七四年 2008/04/21(月) 15:42:26 ID:TLyevH8J

最後まで、摂津衆と阿波衆の上でバランスとれればうまいんだが、難しいよね




346: 人間七七四年@全板トナメ開催中 2008/05/31(土) 22:53:24 ID:ItcWr4Zd

晴元政権の外縁部を見ると、北の若狭武田は身内争いで外に目を向ける余力はない。晴元とも仲がよかったし。
越前朝倉氏は侮れない勢力だけど、一向宗という無視できない敵が側にいる以上あまり動けない。晴元とも姻戚関係にあるし。
東の北近江浅井氏は、南近江六角に勢力を脅かされていたし、その六角は晴元の岳父。
西の播磨赤松は晴元派だし、浦上氏などとの争いがあって余力があるとは思えない。
南の大和南都宗教勢力は、木沢長政の間接支配を受け、長政死後は筒井氏などの勢力が伸びたが、どちらにせよわざわざ晴元に逆らう理由がない。
そうすると、残ったのは国人が多くいて、統一がされていない丹波と、家格的にも細川家に匹敵する畠山家ぐらいか。




347: 人間七七四年 2008/06/16(月) 15:26:52 ID:JP6gZUlx

畠山は二派の争いがいつまでも続いたから、相当力落としてしまったよね




348: 人間七七四年 2008/06/17(火) 02:09:59 ID:qqsTzuTa

尾州家と総州家に分かれて対立した上に、
尾州家は遊佐と木沢が台頭して次々畠山氏の家督の挿げ替えしてるしな。
細川どころじゃねえw




349: 人間七七四年 2008/06/17(火) 14:57:11 ID:n+2pPeWW

畠山義総が長生きして能登家と尾州家との統合が成立してたとしても厳しいだろうな




350: 人間七七四年 2008/06/17(火) 21:06:45 ID:dL1iupxz

能登から出ようとしても、加賀一向宗が立ちはだかるだろう。越前朝倉氏も無視できる勢力ではない。
河内は遠いな。統一しようという気が義総にはあったのだろうか。




354: 人間七七四年 2008/06/24(火) 16:06:20 ID:bG7xXrW9

能登は総州家よりだったけど、義就の猶子に送った政国が殺されてからはそうでもないのか




355: 人間七七四年 2008/06/24(火) 20:58:19 ID:DDC9Ozqi

能登と河内では距離がありすぎて、どっちよりとか、あまり意味がないと思う。
晴元は木沢長政を通じて、河内畠山の弱体化を目論んでいたのだろう。




356: 人間七七四年 2008/06/24(火) 22:11:54 ID:bG7xXrW9

能登は晴元時代には既に在国守護になっちゃってるしな
北陸地方の永正年間の内乱の黒幕はやっぱ京兆家なんだろうか




357: 人間七七四年 2008/07/05(土) 00:04:51 ID:VsbDHP2s

>>356
考え過ぎっ、能登どうこうよりも越前の朝倉をどうにかすべきだ。
能登は越前加賀の向こう。




358: 人間七七四年 2008/07/05(土) 12:30:35 ID:RYiMwL/u

永正年間は京兆家だって内紛で忙しい。
高国がそんな離れた国にちょっかいを出す余裕はないと思う。




359: 人間七七四年 2008/07/06(日) 03:21:52 ID:TaUe871K

北陸は細川、畠山、一向宗の思惑でドロドロだっつうイメージ
その対立の間隙で台頭したのが長尾為景




360: 人間七七四年 2008/07/06(日) 10:52:51 ID:dQzCffgO

長尾為景の台頭は上杉氏の内乱が要因では?

まあどっちにしろ晴元との関係は薄いだろう。




361: 人間七七四年 2008/07/06(日) 19:09:10 ID:TaUe871K

為景を買ってたのは高国時代だな
幕府サイドとしては上杉の力弱めるために越後を切り崩す必要もあった




363: 人間七七四年 2008/07/06(日) 22:41:49 ID:dQzCffgO

確かに細川高国の活動時期は長尾為景が暴れていた時期とあうけど、
畿内がいまだに義晴対義植-義維で混乱が続いている時期に、越前にちょっかいを出す意味がわからない。
高国政権の前半は将軍義植-細川高国-大内義興体制で、
阿波には義晴-細川澄元-三好之長がライバルとして存在していた。
高国政権後半は裏切った将軍義植を追放し、
義晴を将軍にすえて、ライバルの澄元や三好之長を倒して絶頂期を迎える。
確かに後半は余裕も出てきたと思うが、それでも阿波には以前として
義維-細川晴元-三好元長がライバルとして存在していた。
この時期静かなのは義維や晴元が幼少なために、具体的に行動が起こせなかっただけだし。




364: 人間七七四年 2008/07/18(金) 14:21:52 ID:e4qTdzJo

義晴は阿波にはいなかったと思うのでが




365: 人間七七四年 2008/07/18(金) 21:45:44 ID:pPJg13l3

まあそうなんだが、赤松氏のところで養育されていた義晴を、
義植の対抗馬としてみていたのではなかろうか。
実際擁立したのは義晴の弟の義維だったけど。




366: 人間七七四年 2008/07/20(日) 12:33:48 ID:W6hLXSUG

晴元は戦乱が起こると、山城国高雄に避難していたというが、
臆病者だったということか?




367: 人間七七四年 2008/08/05(火) 16:27:02 ID:o0zFZcRx

坂本とか朽木とかによく逃れてるけど 臆病だとは思わないな。




371: 人間七七四年 2008/08/08(金) 03:34:21 ID:x2JBB4Uy

別に逃げたっていいだろ
腐っても管領家なんだから、わざわざ利用してくれる人たちもいるじゃない




372: 人間七七四年 2008/08/08(金) 20:30:33 ID:xYstarC1

晴元は逃げても、「利用されている」感じはあまりないな。

まあ坂本や朽木に逃げても、ず~っとそこにいたわけではなく、
三好に京を追われた後は、丹波方面に督戦しに行っていたこともあったろう。
香西元成・三好政勝ら晴元党を激励しなければならないし。




380: 人間七七四年 2008/08/17(日) 18:12:38 ID:/Uo/ctP2

忠誠心あつき武将香西元成に、





                      乾杯




381: 人間七七四年 2008/08/17(日) 23:42:17 ID:kkrgNBeJ

>>380
香西の末裔が軍記ものを後世に残してるね。




382: 人間七七四年 2008/08/28(木) 15:08:19 ID:z4oBdoTq

何というものですか?




383: 人間七七四年 2008/08/28(木) 17:11:04 ID:fVKmKb7M

南海通記だっけか




384: 人間七七四年 2008/08/28(木) 23:03:25 ID:wFANMAQg

「南海治乱記」(寛文3年・1663年) 著・香西成資

↓増補・加筆

「南海通記」(享保3年・1718年) 著・香西成資

香西成資の父は「植松(吉兵衛)時蔭」らしいけど、植松氏ってのも細川氏の縁者?




396: 人間七七四年 2008/09/07(日) 23:17:31 ID:NhaLqBf+

有り得ない話だけど、木沢左京亮長政が晴元を裏切らなければ、三好の対抗馬たりえたのだろうか。




397: 人間七七四年 2008/09/07(日) 23:18:58 ID:BT+LsTAa

>>396
大和領有に成功すれば、そうなったかもね。




398: 人間七七四年 2008/09/08(月) 00:46:42 ID:UhpSSHG0

>>396
なんで有り得ないの?
あの時点で木澤長政が晴元に反逆をする積極的な理由があったんだろうか?
むしろ晴元側が潰したがっていたということは考えられるが。




399: 人間七七四年 2008/09/08(月) 00:52:58 ID:efwHKosz

>>398
木沢は細川から離れて将軍直参になる工作してて、それが晴元にばれた。




403: 人間七七四年 2008/09/16(火) 15:27:13 ID:q+Q3o6AX

極悪人かどうかは別として木沢は面白いね




404: 人間七七四年 2008/09/16(火) 16:16:07 ID:+F+1rAdW

極悪人というか、関わった勢力に万遍なく迷惑かけてるな
築城感覚の絶妙さだとか、自分を高く売り込む手腕とかは一級品ではある
長慶の帰参とりなしたのだけは失策だったが、まあそれはどうしようもない
10代の時点であそこまでの傑物だったなんで誰も予想はできんよ




405: 人間七七四年 2008/09/16(火) 16:29:36 ID:j8tJ8pXb

でも有能なんだよなあ、木沢。晴元とかも木沢いなかったら、畿内追い出されてたでしょ。




409: 人間七七四年 2008/09/27(土) 10:20:47 ID:ilvEZXig

それでも木沢はよく働いてくれたと思う。
三好の仇でもあるし、晴元側につく必要はあったぢろうし。




410: 人間七七四年 2008/09/27(土) 10:31:01 ID:uFjkpPlS

戦国時代も、中央政権のありかたと地方の政治状況って密接にリンクしてるよね。
長尾為景なんて、この人が高国追い出したから反乱起こされたようなものだし。




411: 人間七七四年 2008/10/03(金) 15:01:48 ID:lPwGfVtd

澄元と澄之が争わなければな、政元が悪いのか




412: 人間七七四年 2008/10/03(金) 15:45:03 ID:pFcz+0GQ

いろんな事考えて布石のつもりで養子とってたら、それが全部裏目に出た感じだな>政元

政元といえば、上杉謙信と織田信長は政元の影響を受けているという説があるね。




413: 人間七七四年 2008/10/03(金) 18:53:40 ID:U/PEa5V0

政元が色々やって、結局一番得をしたのは北条早雲




414: 人間七七四年 2008/10/03(金) 19:11:00 ID:pFcz+0GQ

本願寺の北陸への進出も政元のおかげだな。逆に政元が死んで一番得したのは長尾為景。
そういえば早雲は、為景の下克上のおかげで関東中央部に進出できたな。




419: 人間七七四年 2008/10/13(月) 14:21:18 ID:m7lyFlhv

晴元や昭元など将軍家から一文字拝領してますが、
これはどちらから出たことなんでしょうか?
やはり欲しくなくても、公方様から押しつけられたものなんでしょうかw




420: 人間七七四年 2008/10/13(月) 22:37:27 ID:M4AAXgbr

将軍家と親族である細川が、諱を嫌がるとは思えないが。
まあ高国や氏綱が、諱もらっていないのは嫡流ではないからだと思うけど。




422: 人間七七四年 2008/10/14(火) 11:26:40 ID:KQ32uPK3

室町将軍はしょっちゅう改名するからめんどくさいよなあw




424: 人間七七四年 2008/10/15(水) 17:27:52 ID:SN2/BJQ+

義成→義政

義尚→義熙

義材→義尹→義稙

義晴

義藤→義輝

義親→義栄

義秋→義昭

大変面倒くさいな。




445: 人間七七四年 2008/11/18(火) 13:15:46 ID:rSEDC+ye

肖像ないんだ
どんな風貌だったのかな




446: 人間七七四年 2008/11/19(水) 21:33:34 ID:YdokdxeR

澄元は意外にあるのにね




447: 人間七七四年 2008/11/20(木) 21:29:56 ID:egWvDh9x

澄元の肖像画は、足軽との戦闘スタイルを紹介する時に使われるな。
馬上の澄元の持っている武器は刀の柄が長く、槍よりも短いので足元や近くの敵を切り伏せるのに役立つということで。




449: 人間七七四年 2008/11/22(土) 23:16:07 ID:oxO8ROt0

戦乱絶え間無い時代に生きて、そんな心の余裕もなかったのだろうか。
落ち着ける時期がなかったせいかも。
強いて言うなら、三好長慶と一時和睦した1539年から木沢長政が反乱を起こす1542年ごろまでか。




450: 人間七七四年 2008/11/23(日) 00:43:30 ID:eRpkXwmJ

一向宗や法華宗との対立は収まってるけど、長政はやりたい放題だし、
旧高国派は健在だし、追放されたとはいえ反幕の畠山稙長も暗躍してたから
実際どうなのかな




451: 人間七七四年 2008/11/23(日) 01:27:57 ID:xyvDeahL

高国-畠山稙長-長尾為景

これが反晴元枢軸って感じか。




452: 人間七七四年 2008/11/23(日) 06:19:45 ID:eRpkXwmJ

高国舅の北畠さんや、最後の高国の盟友である浦上村宗も欲しい




453: 人間七七四年 2008/11/23(日) 10:31:07 ID:Rune8oLE

長尾為景は晴元とほとんど関係ないだろ。戦ったともない。

木沢長政はやりたい放題とはいえ、反乱を起こして戦争をしている訳ではない。
高国派は氏綱がまだ反乱を起こしていない。
というか、そういう火種がない時代だったら、後の時代も安定していただろう。
あくまでその火種が爆発していないというだけの時期。
それでも晴元政権では比較的穏やかな時期ではないかということ。他の時期では何かしら争いがあったし。




454: 人間七七四年 2008/12/04(木) 15:19:18 ID:AJeAFNFi

畠山が意外と鍵を握ってるんだよね。
まあ元は同格だから。




455: 人間七七四年 2008/12/05(金) 01:43:25 ID:E6g15KW5

地理的にも河内は京都のすぐ近くだし、木沢長政との絡みもある。
大和・紀伊にも畠山は影響力を持っていたし。




456: 人間七七四年 2008/12/14(日) 14:10:05 ID:cUvU3xuU

結局江口の戦いって晴元が戦略的・戦術的にうまくやれば勝てたのだろうか?

阿波・讃岐の三好軍及び、摂津の国人衆の大半が敵になった状態で打つ手があったのかどうか。




457: 人間七七四年 2008/12/20(土) 15:58:49 ID:Nb6L3R6k

仕掛けたのが長慶だからね、晴元側は準備が足りないでしょね
長慶に含むところ(元長の件)があるから、回避するのも難しいし




458: 人間七七四年 2008/12/21(日) 00:38:02 ID:xxluhrwK

まあ晴元だって、自分が長慶の父の仇だという自覚はあっただろう。
ただ、晴元は長慶と正面きって戦う力がなく、氏綱との抗争に長慶の兵力をあてにしなければならないほどだった。
木沢長政が存命であれば長慶に対しての牽制になったかも知れない。
それに阿波細川家との関係も問題だろう。
晴元の基本路線は三好家排除であり、それは三好家の直接の主人である阿波細川家との関係をもギクシャクさせるものだったろうし。




459: 人間七七四年 2008/12/21(日) 23:41:02 ID:O6Xknuur

池田にせよ伊丹にせよ三宅にせよ茨木にしろ親戚の近江六角にせよ
一癖も二癖もあるというか

それに丹波国人も松永長頼におさえられてたんだっけ




460: 人間七七四年 2008/12/23(火) 12:32:59 ID:W/0nW7wt

松永長頼が丹波に乗り出すのは、晴元が逃亡してからではなかったか?
晴元政権下では丹波は波多野氏と内藤氏の勢力争いが続いていたのでは。
ただ、当時の日記から晴元配下として頻繁に波多野氏の名前が見えることから、
波多野を頭とした丹波の支配を晴元は目指していたのだろうね。




461: 人間七七四年 2008/12/30(火) 14:56:12 ID:vBh6xJff

そうか波多野だよな。




462: 人間七七四年 2009/01/05(月) 16:09:10 ID:3vyzkxwI

波多野の動きは面白い




463: 人間七七四年 2009/01/07(水) 20:00:55 ID:GZT8D7ib

特に波多野稙通はキーマンだよな、高国没落に深く関わってるし




464: 人間七七四年 2009/01/14(水) 15:13:36 ID:Abi++r/0

仕方ないとはいえ付いたり離れたりだね、稙通




465: 人間七七四年 2009/01/21(水) 21:02:33 ID:qur8OSfz

波多野植通は、弟を殺されたから細川高国に反旗を翻した。
だから晴元派のはずなのに、対高国戦で柳本賢治が殺され、その後の晴元と本願寺との抗争では、なぜか高国の弟晴国を援護しているな。
一体なぜ?




468: 人間七七四年 2009/02/04(水) 10:43:48 ID:JL7hNoY6

三好と柳本は険悪な仲だったし、
柳本が死んだ時点で波多野の影響力も低下し
木沢みたいなよく分からん奴が台頭してくる始末だから





472: 人間七七四年 2009/02/11(水) 13:09:11 ID:e1Cng93g

桂川の戦い以降の畿内の状況は流動的だが、大別すると
三好元長・細川高国派・丹波衆の三つに分かれると思う。
共通の敵である高国を追い出すまでは協力していた阿波衆と丹波衆だったが、
高国が畿内から追い出された途端に争い始めたからな。
晴元はまだ年若く、当初は争いの主導権は握っていなかったのだろうが、徐々に丹波・畿内国人衆に加担して三好を疎んじ始めた。
三好政長や木沢長政の讒言も契機にはなったろうが、生涯通じての「反三好」がすでに頭にはあったのだろう。

高国が反攻してきた時も、晴元が頼みにしたのは柳本賢治だった。畿内の新勢力として丹波衆を自分の勢力にしたいと考えていたのかもしれない。

実際は柳本は暗殺され、浦上村宗・細川高国軍に晴元軍は総崩れになり、三好元長に助けを求めることになるのだが・・・。




473: 人間七七四年 2009/02/23(月) 16:08:39 ID:oJvomrFc

摂津の国衆の存在もある




474: 人間七七四年 2009/02/23(月) 21:47:39 ID:3X4MBQKJ

晴元・義維政権は大雑把に分ければ阿波系と摂津系なんだろうけど、
そう分けるには混沌とし過ぎてるからなあ




475: 人間七七四年 2009/03/03(火) 15:37:44 ID:mdOTmskW

阿波衆と反阿波衆とか




476: 人間七七四年 2009/03/04(水) 02:12:58 ID:YLB/yGYI

そういう分け方になるのかな。
晴元は柳本賢治が暗殺されて、対高国戦線が崩壊するまでは三好に頼る気は全くなかっただろうし。

主力として丹波衆は頼りにされていたと思うけど。




477: 人間七七四年 2009/03/05(木) 23:08:58 ID:z8+5PrbE

北摂津の三大有力国人である伊丹・池田・芥川がこの時期は旗手を鮮明にはしていなかったから、
晴元にとって頼りになるのは柳本賢治を中心とする丹波衆で、三好政長やまだ出始めの木沢長政らでは
細川高国・浦上村宗軍を打ち破ることは出来ないと考えたのだろう。




478: 人間七七四年 2009/03/18(水) 16:34:28 ID:ftQpP8X2

高国を除くのが最優先だものな




479: 人間七七四年 2009/03/19(木) 01:59:59 ID:Rlu8gCIP

細川高国・浦上村宗軍が北摂津を占領した時に、
京都の代官的役割を果たしていた木沢長政は行方をくらませたからな。

このことは晴元も覚えていただろうから、
後の両者の争いの遠因になったというのは考えすぎだろうか。




481: 人間七七四年 2009/04/03(金) 20:57:12 ID:C5NhD1Cy

行方をくらませたのはその時だけではない。
一向宗徒との戦いにおいて晴元が堺で敗れ、行方不明になったときも
木沢長政はどこかへ行方をくらませている。




482: 人間七七四年 2009/04/03(金) 23:18:15 ID:uFaxRl7O

太平記なんか典型的だが、京は守るのに全く適さないから
攻められたら逃げ出すのはお決まりのパターン。
木沢長政に限らず細川晴元にしろ誰にしろ、状況が悪くなれば雲隠れ。
その意味で、木沢長政は自分の城は全て山城だったことは賢明だった証拠だと思う。
もし京が中国のように城壁で囲まれていたら、日本の歴史はかなり違っていただろうと思ったりする。




483: 人間七七四年 2009/04/04(土) 12:36:21 ID:rULqJb2i

まあその通りなんだが、こういったエピソードは木沢長政は主君にあたる晴元をほうり出して逃げているイメージがあるからな。
一向宗徒との戦いでも木沢長政や丹波の山中氏と違い、薬師寺氏は京都に踏み止まっているからな。




484: 人間七七四年 2009/04/11(土) 16:00:27 ID:v4dS3G2E

木沢長政は南北朝の悪党ぽい




488: 人間七七四年 2009/04/23(木) 18:58:51 ID:bnz++2UW

三好政長のどこがよかったのかな
戦はともかく、教養ありそうだから話せば面白い人だったのか




489: 人間七七四年 2009/04/25(土) 19:39:07 ID:pyX7x28y

三好政長は戦功がないのに、細川晴元は贔屓しすぎると言われるな。

しかし、三好政長は細川高国が丹波の波多野植道と柳本賢治によって敗れ、
畿内情勢が急変した時に真っ先に摂津に上陸し、高国と戦っているし、
河内十七ヶ所の合戦でも主力は三好長慶やその弟達だったろうが、三好政長も参加している。

戦功がないというのは言い過ぎかも。
ただ、長慶と比べると少ないかも知れない。




492: 人間七七四年 2009/05/14(木) 20:04:26 ID:xfOyhWz2

三好長慶を中心とする三好宗家と、三好政長・政勝親子とは同じ三好でも別扱いだろう。

晴元にとっては三好宗家は天敵。
まあそれを頼りに対氏綱戦を1543年~1547年の間戦い続けなければならなかったのも事実。
晴元が独立心旺盛な摂津衆の支持を得られず、被官化できなかったのも原因の一つだろう。




493: 人間七七四年 2009/05/19(火) 00:39:55 ID:JXK84BfC

国人衆の被官化は細川家の悲願だけど、
そのせいで政元も殺されちゃったしなぁ
半世紀近くに及ぶ内訌を経た細川家が成し遂げられるような問題じゃないよな




494: 人間七七四年 2009/05/19(火) 13:48:20 ID:9tSgqgWV

だから晴元政権の基盤は後半、阿波三好家に依存するようになってしまった。

晴元としては頼りたくなかったに違いない。
三好元長を殺したのもその表れだろうし、その息子の長慶などもってのほかだったろう。





495: 人間七七四年 2009/05/21(木) 21:39:26 ID:QkNMrZL9

晴元は没落以降、1553年から将軍義輝とともに朽木にいたとされているが、そうなのか?
朽木にいても何もできないのでは?

そもそもこの頃の晴元の行動を詳しく書いてある本がないよね。
今谷明の本でもあまり詳しくない。書いてあっても三好視点だし。




496: 人間七七四年 2009/05/22(金) 10:38:59 ID:1M/qbpsf

朽木を拠点にせっせと政治工作をしていたのだろ。




499: 人間七七四年 2009/06/09(火) 23:48:11 ID:VwKzn3LT

管領家の丹波の騒乱て、隣国の若狭にも影響与えているんだね。
若狭武田氏って細川家の家臣的同盟国だから、敗軍の当主を保護したり丹波へ
派兵したり大変だったみたいだ。
若狭の大飯郡から丹波の山家へ抜ける街道があり、このルートで若狭から派兵していたようだね。
逆に京都から近江へ迂回して若狭に亡命した当主もいたよね。




500: 人間七七四年 2009/06/10(水) 23:03:18 ID:n/Yp7pOq

若狭武田氏は高国を助けるために出兵して、三好と戦ったりしている。
そして晴元が娘を嫁がせた関係から、逃亡した晴元をかくまったりしている。
高国を助け、その高国のライバルだった晴元まで助けるとは大変なことだな。

若狭武田氏は親子喧嘩を二代に渡って繰り広げ、その領地を越前朝倉氏に脅かされる。
隣国の丹後一色氏だってあまり強い大名でもないのに、武田氏は内紛に忙しくて侵略することもなかった。
京都に近いばっかりに畿内の争いに無関心でもいられない。
難儀なことよ。





509: 人間七七四年 2009/07/05(日) 23:53:45 ID:vl4uMLi8

>>500
四職の一色家は強い家だよ?。若狭の元の守護でもあり、とくに守護代の三方氏は惟宗姓若狭氏の末裔で
若狭に強い影響力を持っていた。だから入植当時の武田家は大飯郡に本拠を構えざるをえず、最盛時でさえ
遠敷郡最西端の大飯郡との郡境である後瀬山にしか城を築けなかったといわれている。
一色家との因縁の戦いだけでなく、丹波守護代の松永内藤家や越前朝倉家に靡く家臣もあったので家中がまとまら
ず将軍家の招集にも細川管領家の招集にも応じられなくなったようだ
丹波・丹後・近江・越前という強国に囲まれて大変だったと思うよ若狭は




518: 人間七七四年 2009/07/15(水) 22:10:05 ID:/2DcVK9c

一色は永正や大永の頃に何をしていたのかよくわからんのだよな。
義清もどの系統の出身かよくわかってないし。




519: 人間七七四年 2009/07/20(月) 08:42:48 ID:yrFCfJS3

それにしても1539年に、まだ年若い三好長慶を殺せなかったのは痛いな。

あの時は晴元自身も出陣したし、かなり本気だったようだが・・・。




520: 人間七七四年 2009/07/30(木) 16:20:03 ID:LiHRwBse

天文八年は和議という感じじゃないんだ?




521: 人間七七四年 2009/07/30(木) 19:59:46 ID:ULllRuLB

>>520
和議は将軍義晴の調停を受けてからだし、本気で戦う気にはなっていたと思う。
なにしろ相手は年端のいかない少年。実質的には三好宗家の普代が指揮をとるにせよ、晴元としては争いの芽は早めに摘んでおきたかったに違いない。

晴元27歳、長慶18歳ぐらいか?




522: 人間七七四年 2009/08/05(水) 15:48:15 ID:oCCMar9Q

晴元は数え26だね。




554: 人間七七四年 2009/10/25(日) 10:26:38 ID:GYq7lPBE

1547年に河内十七箇所の戦いの後、丹波から細川国慶が進攻してきた時、
撃退して国慶を討ち取ったのって晴元自身?

河内十七箇所の合戦のあと三好一族は河内で遊佐と対峙していたから、
この戦いには出れないはずだし。




555: 人間七七四年 2009/11/02(月) 20:40:01 ID:Mf3Xdo0o

六角の合力を得た晴元軍だよ




556: 人間七七四年 2009/11/07(土) 18:27:49 ID:7PRhy+wC

大将は高畠長直か、香西元成あたりか。
誰がこの戦いに加わったかわからないかな。




558: 人間七七四年 2009/11/16(月) 12:27:27 ID:CwRPyIqY

この時は長慶との戦いが本格的になってた時だから殆ど六角がやったんじゃないかなあ




559: 人間七七四年 2009/11/16(月) 19:35:48 ID:f2BkJHGk

>>558
いや、細川国慶が丹波から入京しようとするところを撃退したのは、
舎理寺の戦いの後で、三好一族は河内で畠山・遊佐軍と対峙を続けている。つまりまだ晴元方。

まあ細川国慶戦は六角勢主力と見たほうが自然なのか。しかし六角は呼べばすぐ来てくれるものなのか。
個人的には晴元自信か、家臣ではなかったのではないかと思う。




560: 人間七七四年 2009/11/25(水) 16:15:11 ID:cHMk97PG

六角は盟友という感じだね




561: 人間七七四年 2009/12/08(火) 21:17:55 ID:D+1Jyugs

六角は京兆の盟友で
若狭武田は京兆の家臣(並)
京兆に呼ばれれば丹波でも京都でも大和でもすぐに出陣




562: 人間七七四年 2009/12/08(火) 22:12:29 ID:UXGzfjnC

>>560-561
六角家とは婚姻関係があったんだっけ?




563: 人間七七四年 2009/12/08(火) 22:45:17 ID:8bzOUM0K

>>562
六角は晴元の妻の実家。




587: 人間七七四年 2010/10/01(金) 16:35:29 ID:RarQ78f6

晴元の政治力はすごい




590: 人間七七四年 2010/11/03(水) 01:37:22 ID:pOktoJkp

>>587
確かに政治力はすごいが、戦場ではどうだったのだろう。
晴元は戦場にたびたび出ているが、立場上采配を振るうことはなかったのだろうか。
自身で率いる兵もあまりいなかっただろうし・・・。




601: 人間七七四年 2011/11/27(日) 18:17:42.92 ID:c3ITKaVT

聡明丸って幼名もは凄いな。名前負けしなかったのも凄いが。




603: 人間七七四年 2011/12/12(月) 23:08:23.27 ID:uHd2qgDd

松前慶広は天才丸ってもっとストレートな幼名






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