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戦国時代における騎馬武者の実像とは その1

1: 人間七七四年 2009/06/26(金) 01:53:28 ID:LWuBiqiK.net
戦国時代における騎馬武者はどういう存在だったのか、について語りましょう。

戦国時代における騎馬武者やいわゆる騎馬隊の実像とは?
騎馬武者の馬上槍や騎馬突撃は一般的な戦術だったのか?
そもそも軍中における騎馬武者の割合は?


4: 人間七七四年 2009/06/26(金) 18:02:00 ID:Bisb4Jxv.net
基本的には突撃兵種
時代や場所や状況によって馬上や徒歩かは異なる

5: 人間七七四年 2009/06/26(金) 20:31:26 ID:LWuBiqiK.net
>>4
時代と場所についてもっと詳しく。

9: 人間七七四年 2009/06/26(金) 22:25:40 ID:Bisb4Jxv.net
>>5
先ず東国より西国の方が徒歩突撃を始めた時期は早い
時期としてはやはり投射兵器の増大が大きく舵を切る、一つの契機といえる

6: 人間七七四年 2009/06/26(金) 21:15:05 ID:rEmhUVDt.net
騎馬武者隊の突撃なんて例外中の例外

馬を飼育するのにどんだけコストかかるのか

7: 人間七七四年 2009/06/26(金) 21:19:07 ID:dMcfxStj.net
>>6
乗り換えの馬を複数持つのが騎馬武者の常識なのだが。

21: 人間七七四年 2009/07/19(日) 20:53:55 ID:1q8cFXQy.net
>>6
江戸時代の侍じゃねえんだから(荻生徂徠)

13: 人間七七四年 2009/07/01(水) 22:36:50 ID:S4o0KwA2.net
騎馬武者はあくまでも侍大将や部将格。
騎馬突撃や馬上槍なんてあり得ない。

騎馬武者も戦うときは馬を降りる、これ戦国の常識。
騎馬はあくまでも移動の手段でしかない。

14: 人間七七四年 2009/07/01(水) 22:59:20 ID:WFjtqoA2.net
>>13
違うよ、騎馬隊は千石クラスを指揮官として、数百石クラスを一般隊員として
数十騎で構成されております

20: 人間七七四年 2009/07/09(木) 14:44:36 ID:MxBW5MtA.net
>>13
長篠の段では

「家康、滝川陣取りの前に馬防ぎの為め、柵を付けさせられ」
というように武田方の馬を間違いなく警戒しているし

「三番に、西上野の小幡一党、赤武者にて、入れ替へ懸かり来たる。関東衆、
馬上の功老にて、是れ又、馬入るべき行にて、推し太鼓を打ちて、懸かり来たる」
と、馬を巧みに乗りこなす関東衆が突撃して来てますよ。

16: 人間七七四年 2009/07/02(木) 00:35:43 ID:h6E+Y/L3.net
戦車みたいに、一人の騎馬武者に数人の足軽がついて
グループごとにちゃんばらしてると思ってたけど、違うんだな
数百石なら、10人~20人ぐらい動員できるけど
騎馬隊に配属されたら、足軽の賦役は免除されるわけ?

18: 人間七七四年 2009/07/02(木) 08:45:58 ID:JZFQRCuH.net
>>16
騎馬隊隊士の主力である200~300石は戦闘要員の従卒は徒武者1人で、
その他は鑓持や小荷駄などの後方要員

17: 人間七七四年 2009/07/02(木) 08:12:06 ID:t5t0Ymcj.net
そもそも騎馬突撃なんて映像的には映えるけど
実戦ではそこまで有効でもないしな。
歩兵の不意をつけば重量と機動力任せの奇襲強襲はできるけど、対策立てられればあっさり槍や飛び道具に潰されるし
乱戦になっちゃえば最大の利点の機動力が死んで、馬上よりも徒歩の方がよっぽど武器も取り回しやすい。
実際騎馬騎士が集中的に運用されてたヨーロッパでも孤立した騎馬隊は大抵あっさりとやられてる。

19: 人間七七四年 2009/07/02(木) 08:57:45 ID:1t+2XVMv.net
でもさ。相馬家は当主自ら陣頭で突撃して家臣が慌てて随伴した
と記録になかった?伊達家を悩ませたとあったとあるような。。。

27: 人間七七四年 2009/08/18(火) 07:13:46 ID:fieDSub7.net
平成元年武田家の居館内で馬の全身骨格が発見されたのだが、体高は120㌢ほど
こんな小さな馬がはたして重い甲冑を着た武者を乗せて疾駆できるものなのか?
昭和54年NHKが「歴史への招待・義経騎馬軍団」の中でこのような実験を行った
まず体高130㌢体重350㌔の馬を用意する
それに45㌔の砂袋(甲冑武器馬鎧の代わりに)をくくり付けたうえで体重50㌔の馬術部員(当時の男性の体格を考慮して)が騎乗し、そのスピードと走行距離を調査した
結果は最初こそ駆歩だったが(といっても普通駆歩は分速300㍍くらいなのだが、この実験では分速150㍍にも達していなかったのだが…)すぐに速歩に落ちてしまい、10分後にはもう首を大きく振り、やっと走っているという格好だったため、この時点で実験は終了となった
またこの実験の馬は蹄鉄を打ってたから戦国時代の馬よりもスピードが出るはずだったのだがこの結果である

31: 人間七七四年 2009/08/24(月) 14:41:00 ID:13FAkmRU.net
>>27
訓練をさせていない馬にさせた意味のない実験

28: 人間七七四年 2009/08/18(火) 07:14:48 ID:fieDSub7.net
Q,騎馬軍団がどのような活躍を見せたのか武田の資料に残っていますか?
A,ありません。甲陽軍鑑にすら騎馬隊の活躍を伝える話が出てこない
だいいち他流の軍学でも、当の武田流軍学でも馬上の槍を「犬槍」といって非難しています
せいぜい信長公記に長篠の戦いのくだりで、西上野の小幡の手勢が乗馬が上手かったから騎乗のまま信長の陣に攻め掛かってきた、ということが書いてあるくらいです
これが後に小説家小瀬甫庵によって「武田勝頼の軍勢は皆乗馬が達者で、どんな敵に向かうときでも馬を駆け入れ、駆け崩すのがもっぱらであった」と拡張され、武田=騎馬軍団という誤った認識が世間に広まっていったのです

31: 人間七七四年 2009/08/24(月) 14:41:00 ID:13FAkmRU.net
>>28
長篠のときに家康の書状で「武田の騎馬体に気をつけろ」という書状が残ってる

38: 人間七七四年 2009/08/29(土) 11:40:56 ID:07iQe4dk.net
>>31
>長篠のときに家康の書状で「武田の騎馬体に気をつけろ」という書状が残ってる

騎馬体wの資料を出してください

41: 人間七七四年 2009/08/30(日) 21:29:37 ID:y8AurnLr.net
>>38
先刻申し含め候場所の事、様子見積もらしめ、
柵等能々念を入れらるべく候事、肝要に候。
馬一筋入れ来るべく候。
(『龍城神社文書』)

騎馬武者が騎兵的に運用されることもあったことを窺わせるに十分でしょ

42: 人間七七四年 2009/08/31(月) 12:28:52 ID:AXqWs47H.net
>>41
騎馬隊の運用はあったんだと思う。
ただ、それこそ講談や映画の様な、華やかな騎馬部隊の突撃はなかったと思う。

29: 人間七七四年 2009/08/18(火) 07:17:34 ID:fieDSub7.net
Q,モンゴル帝国の馬も日本馬くらいの大きさだったって事を忘れちゃいけないね。モンゴルの鎧も十分重いよ?
A.モンゴル人は、主に、合成弓を使う弓騎兵 (甲冑を着用しない) として戦った。合成弓は、驚異的な射程と貫通力を持つ小型の武器である。
彼らは中国人と中東人を攻城技術者として雇い、歩兵部隊、守備隊、そして槍を使う重装騎兵隊 (甲冑を着用する) は、服属民族の軍隊から調達された。

Q,蹄鉄の有無は特に関係ないよ。
A.少しオーバーな例えだが素手の拳で砂や砂利や小石や岩場を殴りまくるのと、メリケンサック着用ではどっちの方が力が入るかな?

Q,大事なのは重い鎧とかを着た人間を載せて移動の訓練を積ませた軍事訓練の有無だから。スタミナの問題では?
A.具体的にどんな訓練をしてたのか資料はありますか?
ちなみにモンゴルでは1人の兵士が約5頭の馬を連れて出征したため、馬をすばやく変えて迅速に移動することができた。そして犬槍など奮うのではなく合成弓による一撃離脱。必要なら馬を乗り換えてまた一撃離脱。敵陣を崩してから上記の服属民族の軍隊の突撃

以上、武田信玄vs上杉謙信vs北条氏康vs毛利元就vs島津義久スレから抜粋

31: 人間七七四年 2009/08/24(月) 14:41:00 ID:13FAkmRU.net
>>29
馬の訓練のため「日ごろから常に馬を責めて置くように」って話は何ぼでも残ってる。


いかにも鈴木信者のたわごとらしいQ&Aだねw

32: 人間七七四年 2009/08/24(月) 15:59:01 ID:cD48CxR/.net
騎馬隊に気をつけろが、なんで騎馬突撃になるんだ?w
婉曲すぎるだろ、それw
実際にところは武田の騎馬武者は強いから気をつけろって事だろ。
武田の記録に、騎馬突撃した記載はないはずだが?
あるなら、教えてくれw

33: 人間七七四年 2009/08/24(月) 17:43:25 ID:/seSRWYT.net
信長公記・長篠の合戦記述

家康、滝川陣取りの前に馬防ぎの為、柵を付けさせられ、
 (中略)
三番に、西上野の小幡一党、赤武者にて、入れ替へ懸かり来たる。
関東衆、馬上の巧者にて、是れ又、馬入るべき行にて、推し太鼓を打ちて、懸かり来たる。

42: 人間七七四年 2009/08/31(月) 12:28:52 ID:AXqWs47H.net
>>33
それ、武田方の記載なのか?

36: 人間七七四年 2009/08/24(月) 21:34:18 ID:Fw2gdHlA.net
ちょっとズレるけど、義経の一ノ谷の逆落としとかはどうなの?

あれの方が遥かに難易度高いと思うのだけど

42: 人間七七四年 2009/08/31(月) 12:28:52 ID:AXqWs47H.net
>>36
個人的な意見だと、一ノ谷の逆落としは、坂から下りた後に、平家方に突っ込んだ
じゃないかと思う。

37: 人間七七四年 2009/08/24(月) 21:41:05 ID:bZHFBN3g.net
一ノ谷がそんな大袈裟な坂だったかどうかもあやしいわけで

39: 名無しさん@そうだ選挙に行こう 2009/08/30(日) 15:27:45 ID:OP3nJ/A9.net
設楽が原の決戦では、徳川方からは金の揚羽蝶と、金の石餅の旗印を掲げた大久保兄弟2名だけが、特に許されて柵外に出て武田軍を挑発した、との記述が三河物語にあったと記憶している。
この時の大久保兄弟は明らかに騎乗して戦っている。

46: 人間七七四年 2009/09/05(土) 22:56:43 ID:iuzbCv7W.net
有岡城の戦い
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%E5%B2%A1%E5%9F%8E%E3%AE%E6%A6%E3%84
『信長公記』では
足軽隊を出した後、武藤宗右衛門やその配下の者どもが敵陣に駆け入った。宗右衛門は伊丹方の侍と馬上で渡りあい、首四つをあげて尼崎に凱旋した。

47: 人間七七四年 2009/09/05(土) 23:22:33 ID:iuzbCv7W.net
http://www.geocities.jp/ukikimaru/ran/yosinarihyper.htm
二、『信長公記』に登場する可成

首巻  
(弘治二年四月)軍終り、頸の実験して、信長御陣所大良口へ人数を出し候(中略)、森三左衛門、千石又一に渡し合ひ、馬上に
て切り合い、三左衛門臂(ひじ)の口きられ引退く

1556年4月、信長が舅の斎藤道三を助けるために軍を出した時の戦いの模様。森可成は千石又一との馬上戦で臂を切られて退く。

48: 人間七七四年 2009/09/05(土) 23:29:31 ID:iuzbCv7W.net
信長公記 河内長嶋御成敗
http://www.alliance-souyaku.co.jp/AllianceKK/Hot-hitoiki-data48-.htm#hot-no52

騎乗戦闘

西は賀鳥口
佐久間右衛門、柴田修理亮、稲葉伊豫守・同右京助、蜂屋兵庫頭、松之木の渡り一揆相支え候を、どつと川を乗渡し、馬上より数多切捨て候なり。

刀戦闘

其中に心ある者どもはだかになり、抜刀ばかりにて七・八百ばかり切て懸り、伐り崩し、御一門を初め奉り歴々数多討死。小口へ相働留守のこやこやへ乱れ入り、思程支度仕候て、それより川を越し多芸山・北伊勢口へちりちりに罷退き、大坂へ迯入るなり。

50: 人間七七四年 2009/09/06(日) 00:50:25 ID:ESQxa9rp.net
普段の生活で暴れ馬で死んだ人は実際いたのだから
数十頭で突撃されたら堪らんだろ雑兵的に考えて・・・俺なら逃げる
余程限定された状況でしか使えないかもしれないが
あったと考える方が自然じゃないか?

53: 人間七七四年 2009/09/08(火) 17:25:49 ID:XtOXqJT9.net
効率から考えて、移動手段が主な役割で、>>50の言ったように、限定的だった
ら使える程度ではないかと思う。

51: 人間七七四年 2009/09/06(日) 05:09:11 ID:Jdflo5Nk.net
騎兵隊は第二次大戦まで実戦で戦ってたんだから戦国騎馬軍だってあったでしょ。
運用出来ないって戦国人はどんだけ原始人だったんよ。

53: 人間七七四年 2009/09/08(火) 17:25:49 ID:XtOXqJT9.net
>>51
運用できないと言うより、日本という風土で考えると、騎馬運用はかなり大変
だったんじゃないかな。

52: 人間七七四年 2009/09/08(火) 06:24:39 ID:qA34BkB9.net
まあ槍持って突っ込み、めぼしい武者のいくらか突いたら下馬、首取り
またはいきなり拮抗、馬上で組み打ち始めて転落
だろうな
首とらないならどんどん数減らしながら行けるところまで突っ込む

53: 人間七七四年 2009/09/08(火) 17:25:49 ID:XtOXqJT9.net
>>52
古今東西、最初から騎馬隊が突っ込むという戦いは少ないぞw

55: 人間七七四年 2009/09/10(木) 01:54:54 ID:mcTPnbxJ.net

58: 人間七七四年 2009/09/15(火) 02:22:00 ID:1XIgdQir.net
>>55
すごいなー義経のアレもただの伝説では無いかもね

57: 人間七七四年 2009/09/15(火) 01:22:41 ID:o20qHMbb.net
馬の関東
戦国関東の合戦では、人馬とも大量死してるのに

60: 人間七七四年 2009/10/11(日) 21:55:52 ID:Jfv8xUOp.net
西は賀鳥口、佐久間右衛門、柴田修理亮、稲葉伊予守、同右京助、
蜂屋兵庫頭。松の木の渡り、一揆相支へ候を、どつと川を乗り渡し、
馬上より数多切り捨て候なり。
(『信長公記』伊勢長嶋一揆成敗の記述)

61: 人間七七四年 2009/10/16(金) 23:40:40 ID:V6wBlU1B.net
武装した兵士を乗せて模擬戦をするモンゴルポニー
結構速いな

War Horse Battle Charge
http://www.youtube.com/watch?v=KPXG8pt0lr8&feature=fvw


62: 人間七七四年 2009/10/25(日) 00:52:35 ID:eiP6YzoO.net
桶狭間では騎馬武者は馬から降りて戦った

63: 人間七七四年 2009/10/25(日) 01:16:26 ID:/W3BUfuF.net
ケースバイケースだろう。
わざわざ「馬を下りて槍を振るうほど混戦だった」
ってかくぐらいだから、乗ったままの時もあったんじゃね?

64: 人間七七四年 2009/10/25(日) 02:07:06 ID:5DxGFEVr.net
長久手の戦い、父勝入斎の討ち死にを聞いて駆け戻ってきた元助を、徳川方の安藤直次は鑓で突き倒して討ち取った。この時、元助は騎乗、直次はこの日、戦いの始めから徒歩。
勝入を倒したのも直次で、親子二人を討ち取ったことになる。ただし、勝入の首は永井に譲った。

65: 人間七七四年 2009/10/25(日) 02:13:48 ID:oICP9TT8.net
尼子勝久の上月城籠城のとき、包囲する毛利軍の児玉元兼と、救援に来た織田軍の
薮内匠が、藪を挟んでの槍合わせをしたが、その時は双方騎馬。

66: 人間七七四年 2010/01/12(火) 21:44:35 ID:q27lRmEs.net
『新陰流外乃物百拾九ヶ条』馬上の事
・馬上にて、やりの持やう、おびにはさむやうすもあり。たづなをかけ候て、持やうもあり。
たづなをわいかけて持心持あり。色々あるべし。しかれども、この三つを用なり。
・馬上にてつく心持の事、てきのやり、馬のつらより三尺さきにて先をしかけ、うつといふ心持あり。
・のりかけてわがやりつよくもち、馬につかせる心持肝要也。
・下なるものをおいかけてつくも、せなかおびの上下やりさきあてがい、馬にてつかせたるよし。

69: 仙台藩百姓 2010/01/27(水) 10:47:33 ID:l8XXoqKK.net
武具要説には
「勝負が決しない内に下馬して戦い、また馬に乗るなどという事は戦場を知らぬ者の言である」
と記してあるお( ^ω^)

71: 人間七七四年 2010/01/27(水) 13:38:15 ID:RQkksSXv.net
歩兵は誰が指揮するわけ?

72: 人間七七四年 2010/01/27(水) 13:57:11 ID:Q3XMi5Gi.net
足軽大将の任を受けた侍

73: 人間七七四年 2010/01/27(水) 16:59:52 ID:RQkksSXv.net
拡声器でも持ってるわけ?

74: 人間七七四年 2010/01/27(水) 17:48:04 ID:Q3XMi5Gi.net
一組に付き20から50人程度、下士官的な小頭も二人程付く

75: 人間七七四年 2010/01/28(木) 01:23:21 ID:OqfL5QTL.net
足軽大将は歩兵?騎兵?乗馬歩兵?

76: 人間七七四年 2010/01/28(木) 02:42:26 ID:p0O9EyRo.net
足軽大将は士分なので騎馬

77: 人間七七四年 2010/01/28(木) 18:35:34 ID:OqfL5QTL.net
指揮系統の確立以外の騎乗意義は?

78: 人間七七四年 2010/01/28(木) 18:47:45 ID:9w9gPxfu.net
馬に乗れば視点を高くすることができ、状況の把握がし易い

79: 人間七七四年 2010/01/31(日) 19:51:34 ID:8T+3IXL2.net
つか、戦国時代云々より、第一次世界大戦でも騎馬隊突撃ってあったじゃん・・
日本だけじゃなくて、世界各地で・・
それこそコストがかかるってんで航空隊を余り持っていない時代、
戦車・装甲車両が通れない山岳地帯や湿地帯は騎馬隊が主流だったそうだぞ。
後、山岳の地上部隊は騎馬隊の変わりにバイク部隊になった・・らしいwwwww

てか、騎馬突撃が効率悪いとか言ってるけど、効率云々じゃないよwwwww
だって、突撃ラッパ吹くのだって敵に位置知られるから
効率、クソ悪いけど第一次世界大戦までは鼓舞するために行われていたんだしwwww
近代でも効率悪い戦いはいくらでもやってるwwwwwww

80: 人間七七四年 2010/02/01(月) 07:40:31 ID:NTFJa3pU.net
当時の馬ぐらいの大きさでちょうどよかったのでは。

サラブレッド並だと
鞍が高すぎて乗れない上に
家来は追いつけないし

81: 人間七七四年 2010/02/01(月) 13:30:03 ID:45JlAaLk.net
サラブレッドが出てくるのは近代競馬の確立まで待たないといかんなぁ。

西洋の騎士にも従者ら数名の世話係、もとい歩兵がいて、
突撃する時は馬上の御主人様と一緒に走ってったんだよな。
あっちの馬も小さくて足も遅かった事だろう。
17世紀の強国・スウェーデンの騎兵の馬も平均体高120cmだったしな。

82: 仙台藩百姓 2010/02/01(月) 14:01:56 ID:b5VFFqm2.net
小さく大人しい馬の方が戦に向いていると書いている人が多いおね( ^ω^)
でも武具要説の著者(高坂?)のように大きい馬の方が絶対よいと言っている人もいるし結局は好み問題だと思うお
と言うか要は己の扱い易い馬にせよと言っているわけだお
大きい馬程有利ではあるけれど手に余るようでは戦で働きが鈍るから
それなら己の扱い易い小さい馬にしたほうが良い働きが出来るという事だお( ^ω^)

90: 人間七七四年 2010/03/06(土) 15:10:05 ID:bHypKO5i.net
蹄鉄のない時代の馬に長時間乗ることはできなかったろう

本当に必要な瞬間だけ、乗馬すると思う。

91: 人間七七四年 2010/03/06(土) 15:16:00 ID:rUnAFpOw.net
>>90
蹄鉄の有る無しは運動能力とは関係ない。
だいたい蹄鉄の代わりに、爪の保護のため馬わらじと言うものがあったんだから
そのへんは変わらんよ。

94: 人間七七四年 2010/03/07(日) 14:29:37 ID:5wzWJjUY.net
>>90
蹄鉄に関しては年来、生理学的な視点から検討されてきた。
野生馬と、遊牧などの自然環境で飼育された馬はそもそも蹄など必要としないことが分かっている。
しかし長年の馬小屋での飼育方法と蹄鉄の伝統は、これらの見解によっても容易に変化するものではない。
これらの研究で特に大きな影響があったのはジェイム・ジャクソン、およびヒルトラド・シュトラッサー博士である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B9%E9%84#.E8.B9.84.E9.89.84.E3.81.AB.E9.96.A2.E3.81.99.E3.82.8B.E6.96.B0.E3.81.9F.E3.81.AA.E8.A6.8B.E8.A7.A3

木曽馬の特徴
3・蹄が堅い
 蹄鉄のいらない蹄
http://05210643.at.webry.info/200909/article_7.html

92: 人間七七四年 2010/03/06(土) 16:15:54 ID:FGsAYRu9.net
家畜の馬が蹄鉄を必要とするほど蹄が弱くなる原因に
湿気やアンモニアに蹄が晒され続けることが挙げられますが
武士の厩は床を板敷にし、頻繁に掃除を行うことで馬の足元を清潔に保ち
蹄が劣化することを防いでいます。

当時の厩は馬の目の前で各々が寛ぎながら歓談する、ちょっとしたサロンでした
ttp://www.city.takamatsu.kagawa.jp/kyouiku/bunkabu/rekisi/naiyou/gadan/naoki/naoki.htm
ttp://longlife.city.hikone.shiga.jp/museum/past/theme/0801/24.html

95: 人間七七四年 2010/03/14(日) 00:44:30 ID:OHxoJG/R.net
>>92
厩ってもっとぼろいと思ってた。
これだけきれいなら目の前で歓談していても不快じゃないね。

100: 人間七七四年 2010/03/22(月) 11:24:43 ID:rKqqkiK4.net
其関東の侍たちに、馬の目ききをとふたれば、
当歳にて母に離ぬもよき馬になる。
離て草を食は猶よき馬に成。
つきつ離つする馬は、後夫馬に成ても、おもき荷を持事ならず、
遠き路もならず、やす馬と是をいふ。
此クノ如キ畜生さえ、機の展転するはあしきに、

わたしは良馬の見分けかたを関東の侍たちに尋ねたことがある。
すると、一歳になって母馬から離れようとしない馬は良馬になる。
母馬から離れて草を食べる馬は一層良い馬になる。
母馬についたり離れたりする馬は、その後荷を運ぶ馬になっても重い荷を運べず、
遠路に耐えられない駄馬である、とのことであった。
馬でさえ、気の移りやすい馬は駄馬である。

『甲陽軍鑑』(日本の思想9)

101: 人間七七四年 2010/03/22(月) 16:31:39 ID:lndgaNIQ.net
>甲陽軍鑑

102: 人間七七四年 2010/03/23(火) 15:22:32 ID:sUpmCRPf.net
>>101
甲陽軍鑑は下っても江戸初期には成立しているし、その頃にはほぼ消滅していた
古い甲斐の方言が使われていることから、戦国期を知っている甲斐の人間が著述したことは
間違いない。
当時の東国の風俗を知る上で貴重な資料であることは間違いないぞ?
少なくとも近代になって書かれた武功夜話などとは、史料価値が全く違う。

104: 人間七七四年 2010/04/05(月) 05:39:28 ID:Odk9P7+b.net
雑兵物語より

「今こそ戦の勝負の分かれ目だと攻めかかり、せめぎ合いをしていると
味方の東国の武士で乗馬の上手な者たちが、今日の戦場は平地で馬での戦に向いているし、
敵味方がもみ合っているのでちょうどいい頃合いだと見計らって、二番手の槍勝負には参加しないで
乗馬の上手が30人ほどの騎馬隊を作り、様々な武器を持った30騎がいっぺんに
敵部隊の右側から突っ込んだ。

敵も左側からの攻撃なら少しは抵抗が出来たのだろうが、右側から馬で攻められたのでは
何の抵抗もできず、ただ騒ぎまわるばかりだった。
その上騎馬隊が攻めかかるとすぐ、一番手の部隊のうち手の開いている者達が
鉄砲で騎馬隊の攻撃を応援したので、敵はどうにも防ぐことが出来ず、味方は何の苦労もなく
敵を追い崩した。

西国では、近頃の戦はみんな馬を降りての攻め合いばかりで、馬に乗っての戦というのを
長い間やっておらず、東国の武士と違って乗馬で戦うのに慣れていないので、
騎馬隊に攻められたときどう防げばいいのかと言う心がけが無かったのだろう。」

111: 人間七七四年 2010/09/08(水) 16:21:35 ID:gZQ9gRbo.net
古来から世界中で普通に騎馬戦有ったろ
記録も有るのに日本だけ何故無いとか言いだしたのかがさっぱり分からない

112: 人間七七四年 2010/09/08(水) 17:34:01 ID:UDBcZJVd.net
>>111
多分最初は、「騎馬軍団」を軍制の面から否定したんでしょ。

所謂兵科に一度分けて、それを有機的に組み合わせた諸兵科連合をやってたところは限られるし、
遊牧民族みたいにそれこそ全員が軽騎兵という例も限られるので。

そのうちそれが拡大解釈されたり極論化されたりして騎馬戦闘や騎乗戦闘自体に否定的な意見が出て、
それが流布したと。

116: 人間七七四年 2010/09/11(土) 01:56:00 ID:t7RAo64M.net
>>112
地方の軍記見てると、備と数百~千数百単位の単一兵科の集団が混在してるんだよな。
備はこれこれ、旗本に鉄砲八百、とか。

118: 人間七七四年 2010/09/14(火) 18:23:07 ID:KwIWdJqS.net
鈴木氏が重視する軍忠状の類に騎馬武者の活躍が書かれてたりするからねえ。
しかも集団で戦っている。

『野口豊前守戦功覚書写』(『常総遺文』)
・てつほう五六丁にて、われらおねらい打申候へ共、はつれ申候、そのてつほうの音おきき申候て、跡にひかへ候味方共、
皆々乗かけ申候所ニ、てきくつれ三百八十くひおとり申候

・一、あまかいと申所之東ニ而、小山衆と鑓御座候ニ、我等馬にて乗わけ申候、つれ合候衆飯塚六兵へ・高徳主計存申候事

・一、小山きりとをしと申所ニ而、ひさきと申物人衆引連打出候を、我等馬を入乗くつし申候、つれ合候衆山内大炊亮・
塚原ぬいの助そんし申候事、

・一、小山四日市と申所ニ而、我等初馬ニ入、てきおおしミたし候て、てきに荒巻弥左衛門と申物のさし物・てつほうととお取申候、

・一、うしゆく東輪寺と申候所ニて、糸加大くら鑓ニてつきおとされ、打たれ申候所ニ、我等わきより馬ヲ入、てきのやりヲけおとし申候て、
大くらたすけ申候、我等やりけおとし申物お、北夕ぬいの助と申物、打申候事、

・一、結城よりとちきへ動之時、内より出申候所ニ、川島主税・たかや采女・我等同前ニ馬をかへし走廻申候、つれ合候衆太木信濃存候事、

119: 名無しの行進曲 2010/10/01(金) 18:41:09 ID:47B4mlg/.net
ヤフー知恵とかで騎馬戦闘関係の質問で相変わらず
騎乗戦闘していない
とか
ポニーだから戦闘向きでない
とか
馬は音に敏感だから戦闘には適さない
とか述べる人がいますがいい加減鈴木氏の出鱈目から目覚めて欲しいですね

120: 人間七七四年 2010/10/01(金) 23:14:45 ID:FV/dai91.net
江戸期の大坪本流の馬術書だと、近くで鉄砲撃ったり焼け焦げた臭いをかがせて
馬が驚かないよう調教しろってて書いてあるね

121: 人間七七四年 2010/10/02(土) 02:13:11 ID:CR6ip9tu.net
騎乗攻撃は可能。
・騎馬武者は日頃から訓練をつんでいる立派な武士であり、
 そこいらの足軽よりはよっぽど戦闘能力が高い。
・戦闘参加するのは主に足軽同士が乱戦に入った時だから、
 天敵である長槍は取り回しが悪くなり、ほぼ無効化されている。
 つまり大抵は足軽の刀vs騎馬武者の馬上槍となり互角以上に戦える。
・いくら小さいとはいえ、人よりは確実に大きい馬が突っ込んでくるのは恐怖。
 うかつに近づいて蹴られでもすれば怪我は確実。下手すれば死ぬ。

馬を下りて攻撃するのは、
・よほど名のある敵と相対して馬上では不利と判断した時。
・組み倒して首を取るため。
・馬を戦闘で失いたくない時。

122: 人間七七四年 2010/10/02(土) 11:21:03 ID:UAV8TDbs.net
陣地攻撃やまだ乱戦になっていない段階での攻撃でも降りるよね

123: 人間七七四年 2010/10/02(土) 13:14:28 ID:CR6ip9tu.net
だな、だけど陣地攻撃はともかく、
乱戦になっていない状態での騎馬組投入は愚策。
奥の手である騎馬組をわざわざ敵の長柄組や鉄砲組に下馬攻撃させる
意味は皆無。こちらも長柄組を突っ込ませればいいだけ。
もしも長柄組が全滅や逃亡しているのなら騎馬組や侍大将も逃げるはず。

足軽頭等の単騎武将も、指揮官として指示しなければならないので、
そんなに前寄りに突っ込みはしないだろう。

124: 人間七七四年 2010/10/04(月) 12:35:11 ID:VDQdnZJv.net
>>123
古今東西、隊列が整った長槍隊に正面から突撃させるなんてよほどの馬鹿しかやっていないしな。
フランスの装甲騎兵がイタリア民兵の長槍方陣を突き破った例はあるが、あれは最精鋭対寄せ集めの素人の例外。

126: 人間七七四年 2010/10/10(日) 17:46:50 ID:BuMXxuri.net
陣地攻撃の場合は「馬から下りて攻撃」というより、
「馬を盾に突っ込んだが弓や鉄砲で負傷したので捨て置いた」とか、
「馬を失いたくないので最初から徒歩で突っ込んだ」
といったところだろう。

127: 人間七七四年 2010/10/10(日) 19:32:59 ID:VgBoDpuZ.net
単純に騎馬突撃に不適格な地形などの場合は素直に下馬戦闘ってだけだろ

157: 人間七七四年 2010/10/24(日) 22:31:36 ID:m8gFE2fO.net
槍部隊や鉄砲隊弓隊の遠隔攻撃の真っ只中を
騎馬隊が突撃するとか有り得ないのww

確かに、騎馬隊の突撃はあったよ
これは極めて稀な例
武田の赤備えが騎馬突撃を実戦した
これの実態は、ほぼ勝敗が決して敵が敗走して逃げている所を
赤備えの騎馬隊が追いかけて蹴散らすという、一種の打ち上げお祭りの見世物
これは情報戦で宣伝活動の一環行事
武田の赤備え強しという恐怖を敗軍に見せ付けて、武田の強さを他国に知らしめるため
武田の騎馬が有名になったのは赤備えの花形芸の見世物が原因ね

159: 人間七七四年 2010/10/24(日) 23:42:56 ID:Q6buWGfp.net
>これの実態は、ほぼ勝敗が決して敵が敗走して逃げている所を
>赤備えの騎馬隊が追いかけて蹴散らすという、一種の打ち上げお祭りの見世物

騎兵の主任務の一つが追撃。
敵が撤退したり壊走したりしたときに止めを刺す。
昔の戦争の戦死者はこの追撃戦で多く出る。
これは重要な任務で、お祭でも打ち上げでもない。

162: 人間七七四年 2010/10/25(月) 07:47:59 ID:3gB4MKHR.net
「雑兵物語」に出てきた例は、長柄組や弓組、鉄砲隊が健在でも騎馬隊で乗り崩した話だったな。
騎馬を相手にした経験が少ない西の方の敵だったとかなんとか色々と条件が重なったみたいだけど。

164: 人間七七四年 2010/10/25(月) 10:01:06 ID:jkxbSDOS.net
>>162
これな

> 104 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/05(月) 05:39:28 ID:Odk9P7+b
> 雑兵物語より
>
> 「今こそ戦の勝負の分かれ目だと攻めかかり、せめぎ合いをしていると
> 味方の東国の武士で乗馬の上手な者たちが、今日の戦場は平地で馬での戦に向いているし、
> 敵味方がもみ合っているのでちょうどいい頃合いだと見計らって、二番手の槍勝負には参加しないで
> 乗馬の上手が30人ほどの騎馬隊を作り、様々な武器を持った30騎がいっぺんに
> 敵部隊の右側から突っ込んだ。
>
> 敵も左側からの攻撃なら少しは抵抗が出来たのだろうが、右側から馬で攻められたのでは
> 何の抵抗もできず、ただ騒ぎまわるばかりだった。
> その上騎馬隊が攻めかかるとすぐ、一番手の部隊のうち手の開いている者達が
> 鉄砲で騎馬隊の攻撃を応援したので、敵はどうにも防ぐことが出来ず、味方は何の苦労もなく
> 敵を追い崩した。
>
> 西国では、近頃の戦はみんな馬を降りての攻め合いばかりで、馬に乗っての戦というのを
> 長い間やっておらず、東国の武士と違って乗馬で戦うのに慣れていないので、
> 騎馬隊に攻められたときどう防げばいいのかと言う心がけが無かったのだろう。」

165: 人間七七四年 2010/10/25(月) 10:18:42 ID:kWBv31tP.net
>>164は敵味方の長柄同士が乱戦状態。

どちらも長柄、鉄砲の集団戦力がほぼ失われている状態。
騎馬組投入しないでどうする、というほど典型的な好機。

166: 人間七七四年 2010/10/25(月) 11:26:14 ID:k9SHPd4n.net
>>165
実に合理的ですな

163: 人間七七四年 2010/10/25(月) 07:49:50 ID:MC4l4shh.net
『野口豊前守戦功覚書写』(『常総遺文』)
・てつほう五六丁にて、われらおねらい打申候へ共、はつれ申候、そのてつほうの音おきき申候て、跡にひかへ候味方共、
皆々乗かけ申候所ニ、てきくつれ三百八十くひおとり申候


鉄砲の音が聞こえたので乗りかけて行ってます。

170: 人間七七四年 2010/10/26(火) 00:26:39 ID:Wxul0Jun.net
疑問になるのは
普通に考えて騎馬武者は止まって戦ったら意味がない
常に動き回らないとね
ドラマみたいに小回りの利かない馬を止めて馬上で乱戦するとか
どうみても下から攻撃する槍兵のが有利

つーか、まず馬を殺して武将を落とすよねw
逆に騎馬武者は馬を守りながら戦うわけで難易度高すぎでしょw
しかも的が高くてデカイ、騎馬武者が止まると餌食なる

そりゃ三国志みたいに両者騎乗して戦うなら問題ないがw
騎馬武者は前田慶次みたいな猛将じゃないと務まらず
数少ない精鋭部隊だったんじゃね?

172: 人間七七四年 2010/10/26(火) 01:32:01 ID:Bnb/GtOA.net
>>170の足軽さんへ

騎馬武者の周りには徒士の従者がいるのが普通。
馬を狙うのはいいが従者に返り討ちにあわないことを祈る。

馬上を直接狙えるような長い槍は、騎馬突入するような乱戦時には取り回しが悪い。
もっと短い槍か刀に持ち替えることを強く勧める。

176: 人間七七四年 2010/10/26(火) 07:19:43 ID:gq/ZErBI.net
>>170
馬を狙うのくらい雑兵物語にも出てくるよ。三国志とか前田慶次の前に
そちらを例に出すべきだな。

176: 人間七七四年 2010/10/26(火) 07:19:43 ID:gq/ZErBI.net
>>172
ただ、短い槍では今度は刀とも相打ちの危険がw

『武具要説』
鑓之事
一 横田備中守申分
・長刀など持たる敵を九尺一丈の鑓にて突事は。相打に罷成候。三尺二三寸の刀にても
相打になり候。

181: 人間七七四年 2010/10/26(火) 15:37:41 ID:Bnb/GtOA.net
長刀と短い槍、長刀と刀では相打ちになるとは書いてあるが、
短い槍と刀で相打ちとは書いていない。

てかそもそも相打ちになったところで何の問題があるんだ。
相打ちってことは武器性能で言うと互角ってことだ。
一方的に不利な武器(乱戦状態での長槍)で戦うより断然マシだろう。

192: 人間七七四年 2010/10/27(水) 07:03:55 ID:Wgi8KbKM.net
ちょっと疑問なんだが、
軍役で貫高○○につき長柄○名、弓○名、鉄砲○名、騎馬○騎
てなカンジで決まってて、その通りに連れて行くとするじゃん?
で、備に組み込まれる時ってのは連れて行ったメンバーは一旦
バラバラに再編成されるわけ?

それともそういう細かい軍役ってのはある程度の身分以上、例えば
備を編成できる侍大将以上に課されるもので、組頭以下の身分の者は
自分の担当する兵科と同じ(もしくはそれに関わる)兵を連れて行けば
いいのかな?

主従の関係とかもあるから簡単に再編成ってわけにはいかないと思うんだけど。
スレチすまん。

193: 人間七七四年 2010/10/27(水) 07:55:52 ID:pgQq9eXe.net
>それともそういう細かい軍役ってのはある程度の身分以上、例えば
>備を編成できる侍大将以上に課されるもので
たとえば、徳川幕府が軍役を課すのは諸大名に対して。
これは他の総大将も同じ事。

>主従の関係とかもあるから簡単に再編成ってわけにはいかないと思うんだけど。
これのおかげで、本当の意味で将兵をバラバラにして再編成できないんで、
上のようなことになる

>組頭以下の身分の者は自分の担当する兵科と同じ(もしくはそれに関わる)兵を連れて行けば
>いいのかな?
軍役を課せられた大名は、自分の配下に対して、禄高ごとに軍役を課す。
これも配下の配下、つまり陪臣がいてバラバラして再編成しにくいんだが、まぁ、なんとか。
数十人分の軍役が課せられた武士は同一兵科だけ軍役が課せられる訳ではないんで、当然再編成の対象になる
鉄砲幾つ、槍幾つ、騎馬幾つと求められるからね。

戦国期だと、これに槍・鉄砲足軽が大名に雇われて組として加わる。
大名直属なんで編成に気を使わなくて良いって点が大きい。

198: 人間七七四年 2010/10/27(水) 15:01:12 ID:Wgi8KbKM.net
>>193
レスどうも。
で、再編成による混乱なんてのはあったのかな?
現在の軍隊でも前線でいきなり違う部隊に配属されたら多少は混乱すると思うんだけど、
主従関係(特に経済的つながりや縁戚関係)のある戦国武士たちは大丈夫なのかな?

例えば長柄組を担当する足軽頭が槍兵・弓兵・鉄砲兵をそれぞれ連れて行ったとして、
弓兵は別の弓頭に、鉄砲兵は別の鉄砲頭にそれぞれ指示を仰ぐわけでしょ。
日頃から合同訓練してるならともかく、そんなに会ったことも無いであろう指揮官に、
果たして全幅の信頼を寄せて従えるのかっていうこと。
意思の共有にも問題あるだろうし。

実は、軍役ではきちんと決められていたけど、足軽頭以下の身分の者はお互い
「軍役の物々交換」みたいなことをしてて再編成しなくていい状態(ほぼ単一兵科
を連れて行く状態)にしてたんじゃないかな、とか思ってみたり。
そうすれば日常の訓練…と言うほどの物ではないにしても、技術の口伝・見聞きなど
の面でも有利になると思う。

たびたびスレチすまん。

200: 人間七七四年 2010/10/27(水) 15:50:20 ID:MqjMT2aC.net
>>198
あくまで個人的な考えだが、弓槍鉄砲の雑兵は
人でなく武器を供出したという考えなのかもしれない
人はオマケという考え

205: 人間七七四年 2010/10/27(水) 20:25:32 ID:Wgi8KbKM.net
>>200
まあ上の人から見ればそうなんだろうけど、
そういう扱いされてたとしたら下にいる本人たちはやり難かったろうな。
てゆーか縁もゆかりもない人の下に付けられて、
「この人のためにも手柄を立てよう」みたいなモチベーションは沸いたんだろうか。
まあ功を焦った突出はなくなっていいかも知れんが、
ほんのちょっとピンチになったら速攻逃げ出したりしそう…。

212: 人間七七四年 2010/10/27(水) 21:44:51 ID:MqjMT2aC.net
>>205
雑兵レベルはおまんま頂けるだけで満足というレベルですから
まぁ、雑兵にも格差があって長柄足軽は一山なんぼの世界だけど、弓鉄砲は専門職だから
こちらについては大名領主で余裕がある連中は基本的に直抱えになっている

東国大名は家臣から雑兵を奪えはしたが、経済的余裕が無いので直抱えはできず、
西国大名は領主の権力が弱いので雑兵を奪えなかったので、直抱えが主になる

両者の良い所取りができたのが東海の織田・徳川ということになるのである

213: 人間七七四年 2010/10/27(水) 22:45:31 ID:DQvzQmmH.net
>>212
そういうことなのね。
資料によっては備から独立して800人の鉄砲隊だけの編成とかあったから
どういうことだと思ってたが、大名直抱えならうなずける。

214: 人間七七四年 2010/10/27(水) 22:50:52 ID:MqjMT2aC.net
>>213
解り易い例が徳川家の百人組
まぁ彼らは八王子千人同心というのもいるけど

201: 人間七七四年 2010/10/27(水) 19:03:19 ID:hdNmvMdz.net
>>198
小領主でもそれひとつで独立した会社なわけで
場合によっては隣の小領主と喧嘩しなければならない事も
その時に、うち弓衆しかいないから白兵戦できないわ、じゃ話にならないから
たとえ不便でも一通りの兵種そろえとくもん
効率を求めて鉄砲隊の根幹になるべき者は軍役が鉄砲だけとかも有るがまぁ例外

205: 人間七七四年 2010/10/27(水) 20:25:32 ID:Wgi8KbKM.net
>>201
なるほどね、たしかにそういう考え方もあるかも。
でも隣村との小競り合いレベルにちゃんとした兵科なんてものがいるかな?
村人がみんな集まって手近な武器持って…って感じの中に数人の武士
(というか軍役で招集される人)がいて、長柄・弓・鉄砲・騎馬をそろえるのと
弓兵ばかりなのとでは何も変わらないと思う。やっぱ兵科を一通りそろえて意味
があるのは備レベルからじゃないかと。

194: 人間七七四年 2010/10/27(水) 08:11:30 ID:pgQq9eXe.net
で、騎馬隊な
200石~300石クラスの軍役(騎馬*1)の侍が集まって構成される。
200石の軍役だと、
侍1人 甲冑持1人 鑓持1人 馬口取1人 小荷駄1人で、
侍1人 鑓持1人 馬口取1人 が騎馬隊に参加、残りは戦闘中は小荷駄隊へ
で、1000石の大身が組頭

大名直属の備だと、馬廻(大身の次男、三男が参加する大名直属の騎馬隊)が付く
武家奉公人が戦闘に参加するかどうかはケースバイケース。
速度が必要な時は置いて行くし、家来共々徒で進む場合もある。

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COMMENT

鈴木センセも此処まで話がデカくなれば本望だろうなぁ。
最初に「鈴木一族」読んだ時には、佐武伊賀をプッシュする変なおじさんと言うイメージしか無かったけどw

| 名無しさん@ニュース2ch | 2016/04/22 22:24 | URL | ≫ EDIT

武士とは関係ないけど、封建領主である騎士は徒歩の従者らを引き連れて「ランス」という単位でユニットを編成して戦っていたので、よくある騎乗突撃ってのは妄想でしかない。
この「ランス」という単位は逆の意味の「フリーランス(無所属)」という言葉で残っている。

| 名無しさん@ニュース2ch | 2016/04/23 06:29 | URL |

米2
ええ…
トゥール・ポワティエの戦いの教訓から騎兵団を作ったカール・マルテルに謝ってほしいレベル

| 名無しさん@ニュース2ch | 2016/04/23 09:19 | URL | ≫ EDIT















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