みちのく瓦版

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戦国屈指のサッカー選手 今川氏真について語ろう

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高校バスケで奇跡が発生!!!

超大企業勤務2年目俺の手取りwwwww

風呂場にキノコ生えててワロタwwwww

公務員になって家族作って必死に働いてきた結果wwwwwwww

【緊急霊視】すまん、霊感強いやつこの心霊写真を見てくれ!!

【衝撃】ガラナとかいう果物、これ地獄からきたの?

【動画】剣道部の冷水機の使い方がくっそ頭良いwwwwww


3: 蹴鞠 2006/06/18(日) 19:02:16 ID:Yx53GEb6
父の敵討ちもせずに安穏と和歌や連歌に興じ主家を滅亡させ、
京ではその敵の前で蹴鞠まで披露したという恥をも知らぬ振る舞い
暗君で著名なウジザネですが、一応、内政面での氏真の業績を再評価してみようという試みでつ
楽市楽座、塩止めなどなど
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8A%E5%B7%9D%E6%B0%8F%E7%9C%9F

226: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/25(月) 09:35:26 ID:liaxPScn
>>3の前半の文とかね

和歌や蹴鞠に没頭する暮らしは、浪人になった後のことだろ!と

時期と状況をわきまえずに、その人物の複数の面を混ぜ合わせると、
織田信長は不良少年風の奇抜な格好をしながら堺の経済を掌握したとか、
そういったデタラメな人物像になる

4: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/06/20(火) 20:31:51 ID:nlCxe46N
信長より前に楽市してたんだよな

5: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/06/24(土) 22:03:33 ID:RRkh3DAO
氏真は桶狭間の後、北条に援軍送ってるだよね。
とてもそんな余裕は無いはずなのに。
それだけ三国同盟を重視してたんだろう。
三国同盟を重視して戦略を組み立ててたのに、信玄が裏切ったんでそれが全て崩れてしまった。

7: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/06/29(木) 01:48:10 ID:cvVAlLFv
桶狭間で将来を期待される重臣クラスが討ち取られ、
各家で跡継ぎ争いが始まった事ですね。その為、弔い合戦ができる状況ではなかった。

8: 公孫参 2006/06/29(木) 10:22:25 ID:/7IyZLca
静岡がサッカー盛んなのは氏真公のおかげです

12: 武庫川女子大学総長 ◆myPniVOfR6 2006/07/04(火) 05:01:16 ID:pKDi2dgT
>>8
真実だよ、それ w

10: !omikuji今川うじねーぜ 2006/07/01(土) 04:31:35 ID:BS99WCSX

 ふぁんたじすた

は拾番?!

13: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/06(木) 20:44:55 ID:9jBJ7ggh
武田信玄

      ,. / |´ ̄`ヽー- 、 ト、        , -‐、/./.- 、
    / | |    ヽ   l l        ( 火◇風 ノ
  /o ̄`ハ._.ゝ===┴=く.ノ- 、      ノ ◇ ◇ (   駿河へ出撃!
  /o O / l´/      ヽ lo ',ヽ      ( 山◇ 林 }
  \___/. ト、  ●    ●ハ  ∧      `⌒/7へ‐´
 / ,イ   レ_         ミl~T--‐彡    /./
/ ̄ ̄l.  彡、  (__人_)  ノ'l  l::::::::::彡ー7⌒つ、
彡:::::::::::l  ト、___   /|  l::::::::::::ミ  {,

今川氏真
( ゚д゚)

(つд⊂)ゴシゴシ

(;゚д゚)

(つд⊂)ゴシゴシ
  _, ._
(;゚ Д゚) …駿河侵攻?!


氏真はこんな感じだったのか。

15: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/06(木) 21:23:25 ID:9jBJ7ggh
氏真はある意味、大名でなくなってホッとしたかもね。
これで気兼ねなく蹴鞠をやれるってな感じで。

16: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/06(木) 21:39:05 ID:E0uI4wy1
蹴鞠のテクはかなりのものだった。晩年その技術を見込まれ秀吉に
留まるよう言われ、断ったという話がある。
大名に生まれたのが氏真の不運。

19: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/10(月) 21:02:26 ID:ESAdIYMz
         |:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:i;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;|
           |;:;:_:;:_:;:_:;:_;:;_:;:l:;_;:_:;:_:;:_:;:_;:_;|
        |______|_____|
        )))))))|  ⌒   ⌒  |)))))))))
      .. ((((((((| (●)  (●) |(((((((((
      .. ))))))))|ヽ   ・・  ノ|)))))))))))
       (((((((((|  ../ニ\.  |((((((((((
      ..  ))))))| /|_|_|_|_|\. |))))))))
      ...  (((((.ヽ\ __/ /((((((    
          )))))|ヽ___,/|))))) _,ン'゙\
         ,ィ|、  \     /_,、-'" _,.-''´ `丶、__
      _, イ  | ヽ_ 二=''" _,. -''´  """""´´  ``ー

22: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/14(金) 22:37:01 ID:HOqz1wlt
父の戦死後家督を継ぎ、楽市、徳政、役の免除など徹底的な領国整備を行い、裏切った武田家に対して塩留を行うなど政治手腕を発揮、斜陽の今川家を支え続けた今川氏真
他にも塚原卜伝に剣術の指南を受け、和歌や蹴鞠などの公家文化にも通じるなど文武両道ぶりを発揮した今川氏真

23: 魔玉砲 ◆RX/MoGZ9xs 2006/07/14(金) 22:42:43 ID:TmC93GmF
このスレの人ら的には氏真の塩留政策ってどう評価してるのさ?

26: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/15(土) 20:07:21 ID:HntLad9S
>>23
それが武田の駿河侵攻の大義名分となってしまった。

27: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/15(土) 23:33:40 ID:9f7NjmDi
1.桶狭間で将来を期待される重臣クラスが討ち取られ、
各家で跡継ぎ争いが始まった事ですね。その為、弔い合戦ができる状況ではなかった。

2.三国同盟の瓦解。氏真は桶狭間の後に北条の依頼で関東に援軍を送っています。
状況から考えて、人の世話をするほど余裕がなかったのに、援軍を送ったのは
三国同盟を氏真が重視していたと言う事。しかし、武田が破棄してきたことで
その戦略構想が敗れてしまった。

3.氏親や義元が一門との戦の末に家督を取ったのもあり、当主以外の
一門にはあまり強い権限を与えなかった。
その為、氏真にとって義元の雪斎のような頼れる一門がいなかった。
義元や雪斎は家康を将来の氏真の片腕に…と考えていた節も見られるが、
それも裏切られる結果となった。
4.兵農分離もできていないし、今川家は連合政権的な性格をもっていたので大名家
の力の強弱だけで左右される脆弱な基盤でした。
また、足利の名門という矜持もあり伝統を重んじる家風から、家臣の能力主義などの
大きな改革や幕府権威の否定、などができなかったと思います。
ゆえに将来的には生き残るのが厳しい家だったのではないでしょうか?

28: 奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. 2006/07/15(土) 23:37:12 ID:JflY9Z2l
義元頓死の次には瀬名氏が潰れたのが大きかったのではないかと。

29: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/16(日) 11:53:24 ID:Y+8nFqrk
                       _____
                      /::::::::::::::::::::::::::::\
                        |::::        :::::|  
( \               _  |   ⌒    ⌒  |  _                / )
 \ \  _ _ _   /  ) .|  (●)   (<) | (   \   _ _ _   / /
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34: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/23(日) 05:20:43 ID:LkUNXHP1
氏輝は義元に暗殺されたのだろうか
年からいって、そうとは考えにくいか
太原雪斎が松永久秀のようなキャラであったと仮定して
今川家の乗っ取りを企んでいたとは考えられぬか
まずはお家騒動を起こさせ、義元を傀儡化して、
しかし寿命が先に来た

42: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/17(木) 21:59:18 ID:0aug9Rzk
朝比奈さんはもっと評価されていいと思う。

52: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/02(土) 04:19:07 ID:Z/1TfeXa
実は徳川氏庇護下時代に牧野城城主になってる。

53: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/03(日) 00:07:48 ID:IVzk7i4L
色んな作品で義元がおじゃる丸にされてるのが悪い

54: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/05(火) 16:48:52 ID:umxlL1jP
氏真・・・とっても、いい人
早川殿・・・とっても、健気で、いい人
朝比奈泰朝・・・とっても、真面目で、いい人

62: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/10(日) 11:20:16 ID:AbS2RhgM
しかしまあ、早川殿も良く氏真に最後まで付いてきたよな。
やっぱり氏真には「護ってあげたい」オーラみたいなのがあったんだろうか。
それとも早川殿が「この人には私が居ないとダメだ」っていう気丈なお人だったのか。

その点で言えば、氏真は恵まれてるなw

65: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/10(日) 12:02:38 ID:GUoYVIyQ
氏真と早川殿が結婚して、15年間もの間、氏真は早川殿に
見向きもせず、他の女性や小姓を愛し続けていました。
ところが、駿河を信玄に奪われ、掛川城に篭城しなければなら
なくなった逆境の時になって、初めて早川殿の愛情を理解し、
翌年、範以誕生。その後、二人は寄り添って、戦国の世を
生きて行ったのでした。

66: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/10(日) 12:03:25 ID:XmJdEnkS
ええ話や

67: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/10(日) 22:15:24 ID:CbTWqazJ
氏真はよく殺されなかったな。
家康との仲は良好だったのかな、徳川家はずっと面倒みてる。
徳川家滅亡の時は今川家が助命嘆願書だしてる。なんかいいな

68: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/10(日) 22:36:10 ID:vtlEc7Ke
>>67
それだけ家康に、今川家への悪感情が無かったって事でしょうな。三河の家臣団はともかく。

70: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/11(月) 00:46:19 ID:EiHkWkTp
>>68
大河で「葵 徳川三代」をやっていたときに、静岡県のページで
徳川と静岡に関する話題を連載してたけど、竹千代の師に
太原雪斎をあてた事や、隠居の地に駿府を選んだ事などをあげて、
家康にとって駿府は若い日を過ごした懐かしい地だったのではないかと
推測してたっけ(立場が立場だけに辛いこともあったんだろうけど)。
家康と氏真の間というのは67の言うように良好だった可能性も
あったのかもしれない。

そういえば、天目山で最後を遂げた武田勝頼の正室も
北条氏康の娘さんだったっけ…。

69: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/10(日) 23:02:45 ID:Z87bduV7
氏真には朝比奈泰朝ら家臣数十人が最後まで従ったとあるし
そんなに悪い殿様では無かったのかもしれないな

時代が悪かったのかも知れないが・・・

74: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/14(木) 10:53:28 ID:h0PRzRac
家康は氏真が大好き
とっても気の合うお友達なのです

75: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/14(木) 11:40:36 ID:grryLxrX
>>74
そのわりに息子を殺されかけたり領土を奪ったりの結構血みどろな関係だけどなw

まあ、家康は今川家当主ととして、徳川に圧迫を与えたり争ったりする公人としての氏真と、
私人としての氏真は別だと言う考え方をしていたんだろうけど。そう言う思考方法をする人だね、
家康は。

76: 名無しさん 2006/09/20(水) 20:45:48 ID:U+fCcSWI
京都で放浪生活しているのを、家康公がみかけて、1万石を与えたらしいが、明智家同様、家は現在まで、存続しているのかなあ?

77: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/21(木) 05:14:35 ID:lui6DPB8
>>76
今川家は後に幕臣となり、品川と姓を改めました。全国の品川さんの祖であります。

78: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/21(木) 21:13:44 ID:C6fhk7hg
>>77
孫の直房は今川のまま高家を務めてる。ただし、明治のはじめに高家・今川家の直系は絶えた。
品川を名乗ったのは次男の高久。こちらは直系の子孫が健在らしい。

78: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/21(木) 21:13:44 ID:C6fhk7hg
>>76
別に放浪していたわけじゃないぞ。公家さんたちと交際してる。
1万石ではなく、近江野洲郡のうちに500石、らしい。

81: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/01(日) 11:55:14 ID:YuQCnw72
井伊直親粛清なんかは、必要あったのかね?

83: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/02(月) 20:01:36 ID:NclRVsV6
今川と織田に挟まれた地域に勢力基盤がある家康にとっては、
この宿敵同士のどちらかに付かなければ生き残れなかったのか。

氏真と信長を見比べて、信長を選んだのかもしれん。

84: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/02(月) 22:15:28 ID:zadFUgw8
>>83
桶狭間後今川の代官追い出して独立したんだから氏真につけるわけがない。

87: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/03(火) 11:34:47 ID:jiM63yVh
>>84
その行動(独立)に至るまでの話だろ。
桶狭間の戦いから家康が実際に独立するまで数ヶ月の開きがある。
その間、氏真の人となりにソリが合わないことを感じ取り、
信長と密約を交わした上で、独立したのかもしれん。

88: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/03(火) 15:11:33 ID:2KeVsdG8
>>87
氏真と家康は、個人的には非常に親しかったと思われる。今川から独立したのは
ソリが合う合わないよりも、単純に信長の実力を見込んでのことでしょ。
戦国武将は冷徹ですよ。

86: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/03(火) 02:41:52 ID:IZ1y9ulk
今まで知られなかった資料によって、新たな氏真像が
浮かんできてるのかな?それは楽しみだ。氏真だけでなく、
新たな義元像も出てくるかな。

89: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/04(水) 05:13:29 ID:i07NiDFs
家康は最晩年、駿府城に帰ってきて余生を過ごしているので、
駿府城跡に行くといろいろ資料があるんだが。
なんとも言えない家康の故郷への哀愁のようなものを感じる。

戦国の世だからこそ強い者につき、身を立てて遂には天下を取ったけど、
家康にとって駿府は故郷であって、義元も氏真も優しい家族同然だったのかもしれない。

本当の地元のはずの岡崎ではなく、あえて駿府城で余生を過ごしている辺りに、
家康の本心があると思えてならない。

90: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/05(木) 11:33:48 ID:sqCEHZrj
一宮随波斎は、氏真の軍師としてはどんな評価だ?

経歴もよくわからんし、氏真との交流も謎が多すぎるが。

91: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/06(金) 16:20:28 ID:hOknh1bD
遠州を掌握しておけなかった氏真。
「遠州錯乱」を、その地の有力者ごとに、動向を見てみると、

・氏真によって潰され、力を失ったもの
・氏真によって家人が粛清され、反感が増して決定的に背くことになったもの
・氏真が手を出すより先に、自発的に背いたもの
・武田か徳川の侵攻を受け、本格的に交戦する前に降伏したもの
・氏真に最後まで従ったもの

こんな感じに分けられるか。

92: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/06(金) 16:23:00 ID:hOknh1bD
堀越氏
見付を拠点とする、今川家の分家。
先代に起きた花倉の乱では義元に敵対して敗れたため、家勢を削がれていた。
当主・氏延の叛意を察知(?)した氏真の電撃の用兵の前に敗北、流亡した。

井伊氏
井伊ノ谷を拠点とする、伝統ある豪族。
昔から三河松平氏と交流がある一方、今川家に対して反抗的な傾向があり、義元も警戒していた。
先代当主・直盛は桶狭間合戦で戦死。
新当主・直親の叛意を察知(?)した氏真に釈明に向かう途上、謀殺される。実行者は朝比奈泰朝。
直親の妹(姉?)・直虎が一族を率い、家康が遠江へ侵攻して来ると、家康側へ奔った。

松井氏
二俣を拠点とする豪族。義元に重く用いられていた。
先代当主・宗信は桶狭間合戦で戦死。
宗信の甥・宗親が当主に就任するが、叛意を察知(?)した氏真により、駿府で謀殺された。
その後を従弟・宗恒(宗信の男子)が継いだが、今川家・武田家・徳川家のどこに付くかで家中は分裂した。
宗恒本人は、最終的に徳川家に付いた。

飯尾氏
曳馬を拠点とする豪族。
当主・連竜は今川離反運動を自発的に実行した人物であり、遠州錯乱の中心と言える。
数度に渡って曳馬城を氏真の軍勢によって攻められるが、その度に撃退した。
手を焼いた氏真に和睦を申し込まれ、駿府に呼ばれて謀殺された。

新野氏
新野を拠点とする豪族。
当主・親矩は井伊直親が粛清されると、直親に嫁いでいた妹の子(後の直政)を引き取って養育した。
親矩は、離反した飯尾連竜を攻める戦いで戦死した。

93: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/06(金) 16:25:05 ID:hOknh1bD
浜名氏
佐久を拠点とする豪族。
朝比奈氏とも飯尾氏とも結びつきが強く、難しい立場にあった。
当主・頼広は家康の誘いを断り、徳川勢に攻められて武田家に逃亡した。

天野氏
犬居を拠点とする豪族。遠江では井伊氏と並んで大きな勢力を持っていたと思われる。
当主・景貫は義元の下で多くの合戦に活躍した。
徳川家の遠江侵攻を受けて降伏するが、その後は武田家に付いて合戦に活躍した。
武田家滅亡後は北条家に奔り、そこでも合戦に活躍した。

奥山氏
北遠に勢力を持つ豪族。拠点は久頭郷か?
井伊氏を祖とする一族で、奥山が発祥地。
当主・貞益は信濃の遠山氏に攻められて戦死。一族は分裂・抗争するようになった。
武田軍が遠江へ侵攻すると、隣の天野氏が武田側に付いたことに反応し、
同じく武田家に付くことで纏まり、一族内の抗争は終息した。

孕石氏
孕石を拠点とする豪族。
当主・元泰は武田軍の侵攻を受けて降伏。
後、高天神城が武田の手に落ちると、岡部元綱らと共に高天神城守備に配された。
徳川軍の高天神城攻めに抵抗するが、ついに落城、自刃した。
駿府屋敷が少年時の家康の屋敷の隣地だったことが不運だったのかもしれない。

久野氏
久野を拠点とする豪族。
先代当主・元宗は桶狭間合戦で戦死し、弟・宗能が継いだ。
宗能は、家康の遠江侵攻時に徳川家臣・高力清長の誘いを受け、徳川家に付いた。
その後一族は今川家へ帰参しようとする派閥とに分裂・抗争するが、宗能は徳川側に残った。

匂坂氏
匂坂を拠点とする豪族。
氏真に応じて堀越氏を襲撃していることから、当初から反今川ではなかったと思われる。
当時の当主は誰であったのか不詳。
後の姉川合戦に徳川武将として名を連ねていることから、結局は徳川家に付いたようだ。

94: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/06(金) 16:26:14 ID:hOknh1bD
小笠原氏
小笠に勢力を持った豪族。馬伏塚が拠点か?
今川氏親の代に派遣されてきた、遠江においては新興の勢力。先祖は深志小笠原氏。
堅城で名高い高天神城は、小笠氏の管轄であった。
家康の遠江侵攻を受けて徳川家に降った。当時の当主は長忠か?
長忠は、武田信玄の遠江侵攻に際しては高天神城攻めを諦めさせたが、
後の武田勝頼の攻撃には屈し、降伏した。

天方氏
天方を拠点とする豪族。
当主・通興は遠州錯乱に対して傍観を決め込んでいた様子。
家康の遠江侵攻時、徳川家の誘いに応じずに黙殺。結果、徳川勢に城を包囲されて降伏。
武田軍が遠江に侵攻すると消極的に武田家へ寝返り、徳川方を救援しなかった。
武田勢が遠江から駆逐されると、再び徳川勢に城を包囲されて降伏した。
以後は家康に従ったが、重く用いられることはなかったようである。

朝比奈氏
掛川を拠点とする豪族。駿河朝比奈氏とは同族で、今川家に重く用いられた。
当主・泰朝は、武田軍の侵攻を受けて駿府から落ち延びた氏真や、
氏真に従った駿河衆の庵原忠緑や由比正純らを迎え入れ、
掛川城を包囲した徳川勢に対して徹底抗戦した。
五ヶ月余りの篭城戦の末に講和が成立し、小田原へ退去する代わりに城を開け渡した。
それにより、主君・氏真や同僚・忠緑らと共に小田原へ去った。(正純はこの戦いで戦死)

95: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/06(金) 19:57:44 ID:gzZtOtS5
>>91-94
乙!

遠州の諸豪族も大変だな。
したたかでないと生き残れない時代だろうけど。

氏真は「政治を顧みず蹴鞠ばっかりやってる」イメージがあるけど、
やることはやってるんだな。
部分だけ切り出せば、「謀叛の機先を制した名将の決断!」とか
言われていてもよさそうだが、結果が出なかったのがすべてか……

221: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/23(土) 12:43:22 ID:7pOr/hhS
氏真の戦い:掛川城防衛戦

掛川城へ入城した氏真一行であったが、このときは既にすぐそばまで松平軍が勢力を伸張していた。
それでほぼ五ヶ月に渡って松平勢と攻防を繰り広げることになる。

当然ながら、いつも掛川城の城壁を挟んで戦っていたわけではない。久野城を奪取すべく、出陣もしている。
久野宗能が城ごと松平氏に降った経緯はあまり真っ当とは言えない事情があったらしく、宗能の叔父が氏真に出兵を要請した。
叔父の意を受けた内応者が城内から撹乱する手筈であったが、宗能によって看破されており、内応者は処刑されていた。
よって久野城攻めは狙い通りには進まずに膠着。やがて松平軍が久野城救援に来たため撤収、城奪取は失敗に終わった。
宗能が久野家当主として松平氏傘下に加わった経緯は、表向きは>>93の通りになっている。徳川側の公式発表として。
しかし裏の話としては、桶狭間の戦いの後、一族皆が納得できるような当主は不在のままお家騒動が続いていたとも伝わる。
そこで松平元康は、自分の息がかかった宗能を強引に当主の座に据えることによって、久野氏の勢力を取り込もうと図ったと。
強引な手段とは、宗能と元康が共謀して、久野一族内の政敵になり得る有力者を暗殺したという件を含んでのことである。
だからこそ主君筋の今川家まで巻き込んだ内部抗争まで勃発したということで、なにやらきな臭い話である。

さて、掛川朝比奈氏に隣接する小笠原氏をも従わせた松平元康は、掛川城を着実に包囲する体制を構築し、付城を建設した。
しかしそれでも、落とせないでいた。
掛川城にも霧吹きの井戸伝説があり、本丸脇の井戸から霧が湧き出して松平軍を退けたという話が伝わる。
実際には井戸とは無関係に、霧が発生し易い地域だったわけだが。
一方駿河では、武田軍本隊が引き上げたことで駿府の守備が手薄になっており、氏真の指揮系統から外れた岡部正綱らが
手勢を率いて交戦、武田勢から駿府を奪回していた。
一応帰る場所ができた氏真は、松平元康が持ちかけた講和を受け入れ、掛川城を開け渡す。
拠点を失った朝比奈泰朝を加え、氏真らは駿府へ帰還する。

結論
遠江最後の拠点・掛川を譲るということは、遠州の領土権全権を放棄したに等しい。
これは戦略的には負けのようだ。

99: とりあえず降伏 2006/10/08(日) 20:12:25 ID:dhj1aMwF
遠州の豪族達の離反を事前に察知・鎮圧したのだから、桶狭間後も今川には未だ優秀な諜報組織や家臣がいたわけだ。

武田の侵攻の際も、朝比奈信置の離反を事前に報せる者もいたが、大量離反でもはやどうにもならなかったということか。

末期の朝倉軍みたいに離反で自壊したのだから、やはり武田の調略工作恐るべしだな。

ただ、今川や上野国人衆を崩壊させ上杉を混乱させた程の武田の調略工作が、北条にはほとんど効果がなかったのは不思議だな。

101: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/11(水) 13:02:12 ID:PwCEmz/4
堀越氏や飯尾氏を無力化することはできたようだが、
地力がある井伊氏は滅亡するどころか、今川に対する恨みを深めただけのような

102: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/12(木) 15:38:08 ID:guC7PYjN
和睦するよ~と誘っておいて謀殺ばかりなのがガンかなw

105: 氏真研究してる学生 ◆rF3U/UzFSU 2006/10/13(金) 00:53:06 ID:SwTHtZ82
なかなかに世をも人をも恨むまじ 
時にあはぬを身の科にして
悔しともうら山し共思はねど 
我世にかはる世の姿かな

↑氏真辞世の句

107: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/13(金) 01:21:45 ID:VFJwB8IA
>>105
その2首は、氏真の生き方を一番象徴しているようだし、好きだ。
でも、辞世ではない(詠んだらしいが、伝わっていない)はず。
「なかなかに~」は小田原退去時に詠んだ歌、とする伝えもあるそうだ。

おいらは『今川氏と観泉寺』(1974)しか見ていないから、
その後の研究の進展があったら許してくれ。

 誰が住みて幾度うつりかはる世にわが故郷と何したふらん

128: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/25(水) 00:20:18 ID:z5A6n5ic
なかなかに世をも人をも恨むまじ 時にあはぬを身の科にして

いい歌だなぁ。

129: バロン曽志崎 2006/10/28(土) 23:56:57 ID:2UGu+OGt
慶長年間、今川氏真は号の「宗誾」として子の左馬助(範以)とともに公家・
山科言経の日記(「言経卿記」)に度々、出てきますね。
特に公家の冷泉家とは親交が篤かった様で、冷泉家主催の歌会に頻繁に参加
しています。

131: 氏真は学生 ◆rF3U/UzFSU 2006/10/30(月) 22:53:58 ID:SpE9HS77
>>129
冷泉家の月次会にはほぼ皆勤だったようですね。
今川氏全盛時代に冷泉為和が駿河に滞在するなど、
冷泉家との繋がりは深かったようです。

146: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/04(土) 08:27:19 ID:QzsRlMhD
氏真は、永禄4年、北条方に援軍送り、自らも出陣しようとしている。
(これが無ければ、西三河で家康の独立するタイミングが変わっていた)
永禄7年、氏康の要請を受け、氏真自ら小田原に出陣している。
(これが無ければ、家康の東三河侵略が変わっていた)
弔い合戦もせず・三河の問題を解決もできないのに援軍する余裕など
無いだろうに。

147: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/04(土) 12:27:30 ID:R00B1lDE
>>146
自国の方針をどうするべきか、混乱しまくっていたのが感じられる動きだな。

148: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/04(土) 16:11:25 ID:uhnBzsQk
遠州崩れがかなり力を弱体化させたんだろ?
で武田と徳川の挟撃で

149: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/04(土) 20:17:05 ID:amg0XeSH
武田信虎とは仲が良くなかったみたいだが、どういう問題があったんだろうな。
まあ、信虎みたいな気性が激しそうな人物とは性格が合わないかもしれないが。
しかし軍事の経験と知識に関しては一級だっただけに惜しい。
軍師に迎えることができていればな。

その後、氏真の軍師になったとされる一宮随波斎は、
軍事よりも医事の方で有名で、どちらかというと温和な、仁の人っぽいんだよなあ。
危難の大名家を立て直すような実務には向いていなかったようだ。

150: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/04(土) 22:33:22 ID:QzsRlMhD
親子で殺し合いはよくあったけど、祖父と孫で、追い落とし
や追放なんてあったかな。
氏真も塩止めするより、信虎を甲斐に帰した方が、信玄は困ったん
じゃないかな。
それにしても、義元は、信虎の牙をよく抜いていられたこと。

151: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/05(日) 01:22:37 ID:45qkJJyR
氏真は信虎の孫なんだよな。イメージ合わないけど。

153: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/09(木) 10:57:08 ID:vlN8HUUI
治世の名君 乱世の凡君

172: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/23(木) 10:52:40 ID:9dJBHmCl
父方の祖母は寿桂尼
母方の祖父は武田信虎

それら両血統が交わるとき・・・・・

173: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/23(木) 14:37:21 ID:HD0G4mbn
       /;;;;;;;;;;;;;\
      /\;;::::::::::::::::::ヘ         うん、戦国のサラブレッドとはボクのことだね!
      /,,;;;;;;\.;;;;;;;;;;;;::./;ヽ      
      L::;;,__ ヽ、::..ノ;. ..:::ゝ__    寿桂尼おばあちゃんの内政手腕はすごいんだ!
     //;;;;::::::.. ̄ ̄ ̄ ̄ ̄..::::;;;|l   いくさばっかりやって内政を疎かにしちゃダメだよね!
     |l l;;;;;;;;;;;;;:::::::::...   ...:::::::;;;;;;|l   ボクは経済政策を積極的に推進するよ!
    〔l lllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllll〕
    /j/               ヾ、 信虎おじいちゃんは誤解をされやすい人だけど、
     l::||::::              |l  庶流・国人衆を抑えて武田総領家の中央集権化を推し進め、
     |::||:::::::..  (●)     (●)  ||  優秀な人材を登用した、えらい人だと思うな。
    |::||:::::::::::::   \___/     ||   おじいちゃんの悪いところはまねしないようにしながら
    ヽ\:::::::::::::::.  \/    ,ノ   いいところは取り入れたいね!
  __/\ ̄`ー―---oo-――'"ヽ__ 
 「   \\ ヽ    ハ // /    | だから言うことを聞かない井伊君と飯尾君にはおしおき!

175: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/24(金) 11:10:44 ID:tGWamT72
>>173
井伊家の離反はクロなの?
灰色に見えるけど。

それに、義元からの信任が厚く、井伊家への牽制も担っていた
松井家の跡取りも粛清されてるんですけど?

174: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/23(木) 18:52:40 ID:cd95lvDM

                やってくれましたね、みなさん…
       /;;;;;;;;;;;;;\    よく今川家の上洛への夢を見事に打ち砕いてくれました…
      /\;;::::::::::::::::::ヘ    元康くんが戻ってきませんね…信長くん達が裏切らせたんですか?
      /,,;;;;;;\.;;;;;;;;;;;;::./;ヽ    どうやったのかは知りませんが、これはちょっと意外でしたよ…
      L::;;,__ ヽ、::..ノ;. ..:::ゝ__   それにしても、あと一息のところで本隊が奇襲を受けてしまうとは…
     //;;;;::::::.. ̄ ̄ ̄ ̄ ̄..::::;;;|l    父上には残念でしたが、わたしはもっとでしょうか…
     |l l;;;;;;;;;;;;;:::::::::...   ...:::::::;;;;;;|l   はじめてですよ…
    〔l lllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllll〕   このわたしをここまでコケにしたおバカさん達は……
    /j/               ヾ、  まさかこんな結果になろうとは思いませんでした…
     l::||::::    \     /  |l   ゆ…
     |::||:::::::..  (●)     (●)  ||   ゆるさん…
    |::||:::::::::::::   \___/     ||  ぜったいゆるさんぞ虫ケラども!!!!!
    ヽ\:::::::::::::::.  \/    ,ノ  じわじわと蹴鞠技を披露してくれる!!!!!
    /\ ̄`ー―---oo-――'"ヽ  一瞬たりとも見逃せないぞ覚悟しろ!!!



176: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/24(金) 19:38:36 ID:D5XtKTh7
. . .... ..: : :: :: ::: :::::: :::::::::::: : :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
        Λ_Λ . . . .: : : ::: : :: ::::::::: :::::::::::::::::::::::::::::
       /:彡ミ゛ヽ;)ー、 . . .: : : :::::: :::::::::::::::::::::::::::::::::
      / :::/:: ヽ、ヽ、 ::i . .:: :.: ::: . :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
      / :::/;;:   ヽ ヽ ::l . :. :. .:: : :: :: :::::::: : ::::::::::::::::::
 ̄ ̄ ̄(_,ノ  ̄ ̄ ̄ヽ、_ノ ̄

そこが氏真公の氏真公たるゆえんですよ。

185: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/30(木) 19:47:56 ID:iMugEHJb
遠江諸氏の動向について、追加

原川氏
原川を拠点とする小豪族。当主・讃岐入道は、氏真が掛川に入城すると掛川へ駆け付けた。
掛川城守備戦での奮闘により氏真から感状と領地を賜るが、結局
今川家が領地を全て失ったため、領地を得ることはなかった。
講和により掛川城を退去後、帰農した。

武藤氏
真田を拠点とした小豪族。当主・氏定は徳川勢の勧告を拒み、
小国神社に立て篭って抵抗したが、結局は講和した。
その後、高天神城が武田軍によって陥落すると武田へ奔り、高天神の守将の一人となる。
徳川軍による高天神城奪還の際に氏定は戦死。
残された一族は帰農した。

大沢氏
堀江を拠点とする豪族。当主・基胤は氏真の来訪を迎えたりもしたが、
直後に家康の調略を受けると、あっさり降っている。
今川の配下になる前から同じ地を領しており、それが堀江藩として江戸幕末まで存続し、
転封も受けなかった稀有な一族である。
余談だが、子孫は大政奉還に際し、万石事件という過大申告不祥事を起こしている。

湖西朝比奈氏(仮称)
掛川朝比奈氏の分流で、浜名湖西岸、宇津山城を巡って紛争した一族。
1562年、当主・泰長の死去により孫太郎が後を継ぐが、
翌年、家康に通じた弟・孫六郎(真次)に討たれる。
これにより宇津山城は一旦は徳川傘下に入るが、
さらに翌年、氏真の命を受けた大原次良に討たれた。

186: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/30(木) 19:52:30 ID:iMugEHJb
>>185の最後の行、
大原次良に討たれたのは朝比奈真次。
わかりにくくてゴメン。

187: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/30(木) 20:21:46 ID:iMugEHJb
次は駿河衆だ。

蒲原氏
蒲原を拠点とした豪族。先代当主・氏徳は桶狭間の戦いで戦死。
後を継いだ徳兼は同年、謀叛を起こした高林源兵衛を討伐し、氏真から感状を得ている。
武田軍の駿河侵攻に際しては氏真の召集に応じて自ら出兵した。
本拠の留守には援軍の北条勢が就いたが、武田軍の攻撃の前に失陥。
徳兼は、氏真とは別ルートで遠江にある領地の飛び地へ落ち延びる。
やがて氏真が掛川へ入城したと聞くと、掛川城へ駆け付けた。
もはや率いるような手勢は無かったはずだが、氏真のために尽くしたかったのだろうか。
掛川城防衛戦では朝比奈泰朝らとともに奮戦したが、講和により掛川城開城が決まると
氏真と決別、帰農した。

庵原氏
庵原を拠点とした豪族。先代当主・元政は桶狭間の戦いで戦死。
家督を継いだ忠緑(将監)は武田軍の駿河侵攻に対し、薩た山の戦いで奮戦した。
瀬名氏俊の離脱から始まった今川軍崩壊後も氏真に従い、掛川へ入城。
掛川城防衛戦でも奮闘する。
講和により掛川城開城が決まると、氏真に従って小田原へ退去した。

由比氏
由比を拠点とした豪族。先代当主・正信は桶狭間の戦いで戦死。
家督は正純が継ぎ、田中城守備の任は長谷川正長に引き継がれた。
正純は氏真に従って掛川へ入城。掛川城防衛戦で徳川軍と交戦中に戦死した。

安藤氏
今川家臣。家定は武田軍の駿河侵攻に抵抗して戦死。
家督を継いだ定正は、氏真に従い続けて掛川へ入城。
掛川開城後は供に小田原へ向かい、小田原退去後は徳川傘下の諏訪原城へ入った。
氏真が諏訪原城主を辞去して浪人したため、ついに氏真と別れることになった。
残された定正は、徳川旗下の鳥居元忠の郎党として組み込まれる。
後、秀吉が号した小田原の役において岩槻城を攻略中に戦死した。

188: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/30(木) 20:22:20 ID:iMugEHJb
荻氏
北松野を拠点とした豪族。甲斐との国境付近を領するため、
武田軍の駿河侵攻に対して、真っ先に矢面に立たされることになる。
当主・清誉は武田軍を迎撃に出陣したが、山県昌景の部隊と交戦して戦死した。

興津氏
興津を拠点とした豪族。入江氏発祥。
水軍を統括した一族でもある。
武田勢の脅威が現実味を帯びてくると、当主・清房は、
より戦闘性を備えた横山城を改修し、拠点を横山城へ移した。
横山城に拠って武田軍の駿河侵攻に抵抗するものの、落城した。

一宮氏
用宗に基盤があった豪族だろうか。用宗に関連して、頻繁にこの氏姓が登場する。
一宮宗是という人物は、同盟相手であった武田晴信の信濃攻略に協力するため、
今川勢からの援軍の将として派遣されている。この宗是は、桶狭間の戦いで戦死した。
後、一宮随波斎なる経歴不詳の人物が氏真に近侍し、関口氏広死後の用宗城主に任じられる。
断絶した用宗一宮氏の名跡を継ぐために、随波斎が一宮を名乗ったのかもしれないが、あくまで推測。
随波斎は武田家の一門と噂される弓術家で、兵の訓練法などを研究していた軍事家でもあった。
また医術・薬学にも通じ、その医術の知識を見込まれて足利義輝に召し抱えられたとも言われる。
氏真の話し相手として近侍していた随波斎だが、武田軍の駿河侵攻を受け、迎撃に出て戦死した。

長谷川氏
小川を拠点とする豪族だが、桶狭間の戦いで由比正信が戦死したため、
当主・正長は田中城守備を任じられる。
武田軍の駿河侵攻によって田中城が落ち、遠江へ落ち延びた。
その後は家康に仕え、三方原の戦いで戦死した。

189: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/30(木) 20:23:06 ID:iMugEHJb
富士氏
富士浅間神社の大宮司を務める一族。
武田軍の駿河侵攻に対し、当主・信忠は息子・信通と共に、北条の援助を受けつつ激しく抵抗。
穴山信君の部隊を退けたりもした。
しかし篭城戦の最中、氏真の命令により降伏。
武田配下として、宮司の職務に戻った。

葛山氏
葛山を拠点とした駿東の大領主。今川、北条、武田のような強大な大名家に囲まれ、
三勢力の間を巧みに渡り歩いて独自の地位を築いてきた一族である。
相対的に今川に属していたが、武田軍の駿河侵攻によって今川領と分断され、
当主・氏元は武田家の支配を受け入れることになる。
後、信玄の六男・信貞を養子に迎えて家督を譲り、消息を絶つ。
武田家による乗っ取りが完了し、用済みになったとして始末された疑いがある。

瀬名氏
今川家の分家で、遠江の堀越氏と同時期に成立した一族。瀬名郷を領す。
当主・氏俊は関口氏広の兄に当たる。
桶狭間の戦いの時にも出陣していたが、義元が討たれたため撤収した。
後、武田軍の駿河侵攻に際して氏真の召集に応じ、出兵するものの、戦わずに戦線離脱。
これをきっかけに、決戦に向けて集結していた今川軍は崩壊した。
氏俊は武田の調略を受けて内部崩壊を招いたとも言われるが、
何故か領地を喪失した上に遠江へ流れ、後に家康に仕えることになる。

関口氏
今川家の分家。当主・氏緑は桶狭間の戦いで戦死。
瀬名家からの養嗣子・氏広が家督を継ぐ。
氏広は義元の妹を正室に迎え、用宗城主に任じられている。
娘は松平元康(徳川家康)の正室(築山殿)。
義兄にして主君である義元の戦死後、切腹して果てる。
娘婿・家康の離反により、氏真に去就を疑われての切腹とも言われる。

190: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/30(木) 20:24:13 ID:iMugEHJb
朝比奈氏
駿東の益頭を発祥地とする豪族。今川家の重鎮として、今川勢力圏内にいくつかの分流を輩出している。
当主・元長は義元の娘婿にあたるが、1566年に死去。信置が家督を継いだ。
信置は、武田軍の駿河侵攻を受けて今川軍が崩壊すると離脱し、武田に降伏。
山県昌景旗下に組み込まれたようだ。長篠の戦いにも従軍したが、生還。
後、武田家滅亡時には庵原山城の守備に就いており、徳川軍の攻撃により陥落、自刃したとされる。

岡部氏
朝比奈氏から派生した豪族。
武田軍の駿河侵攻に抵抗するものの、今川軍が崩壊したため離脱し、武田に降伏。
・正綱は信玄に気に入られ、三方原の戦いや、勝頼による高天神城攻略に従軍した。
 武田家が滅亡すると一時浪人したが、後に家康に仕え、武田遺臣を徳川勢に推薦する橋渡しをした。
・元綱(正綱の族弟)は若いながらも義元に高く評価されていたらしく、
 今川方に投降した尾張の鳴海城の守将を任じられるほどだった。
 桶狭間の戦いに勝利して勢いに乗る織田軍の攻撃を退け、主君・義元の首級の返還を条件に、鳴海城を空け渡した。
 武田勢に属してからも、武田の手に落ちた高天神城の守将を任じられるなど、やはり高く評価されていた。
 武田家滅亡の少し前、徳川軍による高天神城奪還の戦いにおいて落城、戦死した。
・貞綱は元綱の叔父にあたる人物と見られ、信玄に重用され、伊丹康直らと共に水軍を編成した。
 武田家重臣・土屋氏の土屋昌恒を気に入り、婿に迎えて土屋姓を名乗った。
 長篠の戦いに従軍して戦死した。

伊丹康直
摂津の伊丹出身。幼少時に一族の城が落ち、駿河へ流れてきた。
義元の代に同朋衆に加えられる。
氏真の代には海賊奉行を任じられ、水軍を統括。
武田軍の駿河侵攻により、武田勢に組み込まれると、岡部貞綱と共に水軍編成にあたった。
武田家滅亡後は徳川に属す。

191: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/12/01(金) 20:43:33 ID:bfPZLJHi
安部氏
安倍を拠点とする豪族。
当主・元真は、武田軍の駿河侵攻時、岡部正綱らとともに駿府館の守備にあたったが、武田軍の攻撃の前に撤退。
後、武田に仕えることなく、流浪の末に家康に仕えることに。
経緯は長谷川正長と似ている。

192: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/02(土) 11:41:00 ID:p9gMRI/p
蒲原徳兼や原川讃岐の動向には涙が出てくる。
優勢な方に降伏すれば地位を安堵されただろうに、
あえて敗亡の側に投じ、講和が成ると武士としての地位を放棄とは。
恩賞や出世が目当てじゃなくて、氏真個人のために命を賭けたかったのかねえ。

200: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/05(火) 19:27:41 ID:hewmfI+A
最後に三河衆だ

吉良氏
足利氏の分流という名門で、吉良荘から発展していった。
しかし内紛が続いて衰退し、今川の圧迫を受けることになる。
強大な外敵の出現により内紛は終息し、一族は収束に向かう。が、今川勢には抗しえず、
当主・義安は捕えられ、駿府において今川の監視下で暮らすことになる。
義安が虜囚となったため、事実上の当主として弟・義昭が後を継ぐ。
名実ともに今川に従属することになった吉良氏だが、桶狭間合戦後の松平家の離反・勢力拡大とは対立。
三河の一向信徒勢力を支援し、松平勢を妨害する。
しかし一向一揆は鎮圧され、吉良軍自体も松平軍に敗れ、降伏。
一族の中枢に近い人物が松平家と姻戚関係にあったためか、松平氏に従属して存続していくことになった。
なお、子孫が『忠臣蔵』では一方的な悪役に描かれており、汚名を被せられて気の毒と言える。

鵜殿氏
神ノ郷(上郷)を拠点とした豪族。
当主・長持は今川家と姻戚関係にあった。
また、この頃の長持は嫡男・長照とほとんど一緒に行動している。
桶狭間の戦いに至る軍事行動では大高城を陥落させ、そのまま大高城守備に就いた。
大高城を奪還せんとする織田軍の攻撃をよく防いでいたが、
今川義元の思いがけない戦死により大高城を放棄、三河に撤収している。
松平氏の離反を受けて、一族の諸家が家康に同調、または傍観に徹する中、
長持は今川方に残ることを表明した。
これにより家康の標的となり、本拠・神ノ郷城を攻められた。
当初はよく持ちこたえていたが、手を焼いた家康が甲賀忍者を雇ったため、
甲賀者に城内を撹乱されて落城、長持と長照は戦死した。
長照の二人の息子は捕虜になり、駿府に残されていた家康の妻子との人質交換に利用された。
一方、早くから家康に味方した分家の鵜殿長忠の家系は、徳川家臣として順調に発展している。

大原資良
小原鎮実と記述される人物と同一とみられる。
家系の前後が不詳であり、代々の豪族ではなく、今川家の直属家臣から抜擢された人物かもしれない。
1546年に吉田城主に任じられ、三河全体を統括する代官的重職を与えられる。
遠江の総代が松井宗信なら、三河の総代はこの大原資良と言える。
松平氏と松平氏に同調した三河諸氏の離反を受け、預かっていた人質十三名を処刑し、葬っている。
離反した野田城を攻め落としたが、間もなく奪還された。
また西遠江で離反した朝比奈真次を討伐し、宇津山城を今川方に取り戻している。
成長した松平軍に敗れて吉田城を失うと、宇津山城に撤退して抵抗した。
さらに宇津山城が攻め落とされると駿河の花沢城に入った。
花沢城は駿河へ侵攻してきた武田軍の標的にされ、陥落。高天神城へ落ち延びた。
しかし高天神城を支配する小笠原氏は、間もなく家康の調略に降ることになる。
資良の消息はここで途絶えており、小笠原氏に謀殺された疑いがある(降伏の手土産として?)。

201: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/05(火) 19:28:27 ID:hewmfI+A
松平氏
かつては松平郷を拠点とした豪族。
桶狭間の戦いの当時の当主は元康。後の徳川家康である。
元康の祖父・清康は武略に秀でた傑物で、15歳~24歳頃にかけての十年ほどの間に
松平氏を三河の最大勢力に伸張、拠点を岡崎に移し、隣国尾張を圧迫するまでに至った。
しかし織田氏が守る守山城を攻略中に暗殺され、松平氏は一挙に没落した。
次代当主・広忠は、一旦は岡崎を追われるが、今川の支援を受けて岡崎を取り戻している。
今川への忠誠の証として幼い元康(幼名は竹千代)を今川への人質として送るが、
織田への売恩を狙う親族の裏切りによって竹千代は織田勢に横取りされ、松平氏は今川の不信を買う。
結局は今川家の知恵袋・太原雪斎の策により、竹千代は今川の庇護下に入ることになる。
広忠が暗殺されると竹千代は家督を継いで元信を名乗るが、駿府に留め置かれ、事実上は不在領主だった。
今川義元の養女と婚姻し、元康に改名、今川一門に迎えられた。
桶狭間の戦いでも一軍を率いて戦功を挙げるが、義元が戦死したため撤退。
ただし帰還先は駿府ではなく、一族の本拠・岡崎だった。
岡崎の支配を固めつつ、氏真に仇討ちの出兵を焚きつけるが、氏真は軍事行動を起こせなかった。
やがて仇敵だった織田氏と修好して氏真と断交、松平氏と親しい諸豪族を抱き込んで今川から離反した。
当初は一向信徒の叛乱に苦しめられたが、これを鎮圧すると今川の支配域に牙を剥き、
調略と武略を駆使して勢力を拡大、戦国大名家へと成長する。
武田の軍勢と並び、今川家衰亡の主要因となった。

菅沼氏
田峯を拠点とした豪族。山家三方衆の一角を成した。
松平家の離反に同調し、家康の傘下に収まる。
遠江の井伊氏に仕える同族を松平家になびかせる調略に励んだ。
これによって井伊氏までもが氏真に疑われ、遠州錯乱に巻き込まれたとも言える。
後、武田信玄とその重臣・秋山信友の調略により、菅沼宗家は武田に降る。
野田を拠点とした定盈の分家は武田の誘いを拒み、徳川側に残った。
菅沼宗家は武田家の没落と共に衰えるが、定盈の野田菅沼氏は逆に発展することになる。
その前、定盈は、大原次良の攻撃により野田城を一時失陥するが、後に夜襲で奪還している。
また武田信玄の最後の戦も、この野田城が対象だったが、
病を得た信玄に粘り強く抵抗した末に落城、捕えられた。
後に捕虜交換で徳川方に還る。
長篠の戦いや小田原の役にも従軍。

奥平氏
作手を拠点とした豪族。山家三方衆の一角を成した。
松平家の離反に同調し、家康の傘下に収まる。
奥平氏は、家康の祖父・松平清康の勢力が拡大したときにも友好的従属していたので、
松平家とはそこそこ古い付き合いがあったとも言える。
当主・貞能は姉川の戦いにも徳川勢として従軍している。
後、武田信玄とその重臣・秋山信友の調略に屈するが、
信玄の死後は武田勝頼を見限って徳川に帰参。
勝頼は激怒し、貞能からの人質を処刑したという。
長篠城を預かって勝頼の長篠城攻めによく耐え、長篠の戦いの勝利に貢献。
同年、嫡子・信昌に家督を譲るが、実権は握り続けていた。
後の小牧・長久手の戦いでも戦功を挙げ、小田原の役にも従軍。

202: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/05(火) 19:29:36 ID:hewmfI+A
山田氏
川手を拠点とした豪族。山家三方衆の一角を成した。
松平家の離反に同調し、家康の傘下に収まる。
当主・景隆のときに武田軍の攻撃で城を失い、後に井伊直政に仕えたという。

酒井氏
三河に古くからある豪族。
14世紀には松平氏に従属しており、以来、松平家中に大きな力を持ち続けていた。
三河を間接支配する今川家重臣は、松平広忠の代における松平家のあまりの凋落振りに失望し、
松平家に代わって酒井家に三河諸氏を糾合させるため、主従を逆転させようと提案したとも言われる。
しかし義元は竹千代の資質に期待し、松平家の地位を存続させた。
また酒井家当主・忠次が野心に乏しかったためか、松平家の上に立ちたがる態度をとることもなかった。
松平元康が今川から離反した後の軍事・内政にめざましい功績を挙げたが、その微妙な力関係のためか、
丁重な冷遇とでも言うべき処置をされた。松平家直属の郎党だった本多氏や新参の井伊氏の栄達に較べ、
酒井氏の加増は、功績の割にはささやかな量にとどまった。
それでも地位の高さは存続し、徳川幕制において大老を出すことが許された数少ない家系として残った。

戸田氏
田原を拠点とした豪族。家康より一世代前に、松平家と姻戚関係を結ぶ。
本来の宗家の当主・康光は、駿府へ向かう竹千代を奪い、尾張の織田家へ売り飛ばした。
この事件で今川義元の怒りを買い、今川軍に攻められて滅亡した。
傍流の忠次は岡崎に脱出し、戸田家再興に努めた。
松平家が今川から離反した後、忠次は一向勢に加わるが、
松平氏の親族だったために一向門徒から疑われ、一向勢から松平家へ寝返る。
以来、松平・徳川氏に従い続け、多くの戦功を挙げて出世を果たした。

牧野氏
牛久保(牛窪)を拠点とした豪族。戸田氏とはライバル関係にあり、しばしば争っていたようだ。
当主・貞成の代に今川勢の圧迫を受け、吉良氏を担いで対抗を図る。
しかし吉良氏が敗れたため、今川に降伏。後継者選びには貞成の意向は認められず、
義元に指名された親今川派の養子・成定が家督を継ぐことになる。
成定は、離反した松平家の侵攻に激しく抵抗。一族郎党に多くの戦死者が出ている。
この危難に、松平領内で一向一揆が勃発したために松平軍は引き上げ、小康状態になる。
しかし同時に遠江でも飯尾連竜らが離反したため、共に戦った氏真も兵を引き、反攻に転じる余力は無かった。
やがて一向一揆を鎮圧した松平勢は吉田城を陥落させ、牛久保は今川勢力圏から孤立。
疲弊した成定は、松平勢に降伏した。その後まもなく病死している。

203: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/07(木) 11:52:18 ID:qydJqDnJ
大原資良って、高天神城で謀殺された可能性濃厚なのかΣ(`・ω・)

落ち延びる先が高天神城じゃなくて掛川城だったら、
また別の人生を歩んだことだろうに・・・

高天神城と掛川城は地理的には近いけど、
このちょっとした違いが運命の分かれ道だったな、多分。

198: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/04(月) 13:25:53 ID:wmRirpTf
そういえば、
三方ヶ原合戦や高天神城攻防戦のような
遠州の主要な戦いって、
今川の旧臣同士が敵味方に別れて
殺し合いの最前線に立ってるんだな。

当然と言えば当然なんだが。

かつての同僚と戦わざるを得ない心境とは
どんなものだったんだろう。

207: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/14(木) 20:01:19 ID:CraCxni9
氏真の戦い:三河錯乱鎮圧戦

西三河で松平家が離反・独立した上、東三河に向けて侵攻した。
今川家に忠誠を誓う牛久保城(現・愛知県豊川市)の牧野定成らは窮地に陥る。
これに対し氏真は駿河衆を率いて牛久保城を救援、松平一統の軍と攻防をい繰り広げる。
松平一統の本拠付近で大規模な一向一揆が起きて、松平軍は撤収する。
一方、今川勢力圏内でも飯尾連竜らが離反の動きを見せ、氏真も兵を遠州に向けざるを得なくなる。

この軍事行動のとき、武田信虎が氏真の傍にあって作戦立案にあたったという説もある。
また逆に信虎は駿府に居り、氏真の留守を狙って謀叛を起こそうとして察知され、
この件によって氏真は兵を引くことになったという説もある。
いずれにせよ信虎の謀叛未遂は風聞だが、連竜の離反については事実。

結論
牛久保城救援は(一時的に)成ったものの、
松平一統に蚕食された領地の回復も成していない。
よって、引き分け。

208: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/14(木) 20:32:43 ID:CraCxni9
氏真の戦い:遠州錯乱鎮圧戦

遠州で離反した見付(現・静岡県磐田市)の堀越氏延を、氏真は一戦のもとに破って滅ぼす。
離反して宇津山(現・静岡県湖西市)を奪った朝比奈真次も忠臣・大原資良によって鎮圧される。
また、離反の動きが見られた松井宗親、井伊直親を粛清し、蜂起を未然に防ぐ。

だが主犯・飯尾連竜が拠る曳馬城(現・静岡県浜松市元目町)は容易に落ちなかった。
しかし連竜があてにしていた松平勢は一向一揆鎮圧におわれて援軍を出せず、
曳馬周辺の同調者も見事に根絶やしにされたために連竜は孤立し、氏真と講和する。
後、連竜が駿府館にある飯尾屋敷に赴いたところを、完全武装の侍百人余りをもって襲撃、
連竜の妻や護衛の侍ともども斬る。このとき、氏真自ら白刃を振るっている。
さすが、剣術に自信があっただけのことはある。
なお、連竜夫人は薙刀を振るって抵抗し、氏真配下の侍数名を斬り伏せた。
あっぱれな武家の妻として、浜松よりも静岡で高く評価されているとか。

かくして遠州錯乱は、氏真の武断によって鎮圧された。
武田信虎を彷彿させる強硬さとも言えそうである。
結論
遠州錯乱を叩き潰した。
よって、氏真の勝ち。

213: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/20(水) 00:38:58 ID:BUkFMm0d
確か甲陽軍鑑に、氏真公は剛勇だが奸臣の三浦義鎮に惑わされ云々て記述があったと思うんだが。
甲陽軍鑑が100%正しいわけじゃないが、少なくとも成立期からすると当時の人のイメージと大体合ってたわけでしょ?
いつから文弱のエセ公家みたいなイメージが定着したんだろうな…

215: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/20(水) 23:40:13 ID:PXSV7c2d
>>213
多分武田も徳川も今川を裏切った負い目があったもんだから
「氏真が愚か者だったから裏切らざるを得なかったんだよ!」
ということで、最初に氏真=愚者として、後から理由をつけたんだと思う。
信玄からすれば、信虎の孫である氏真は野蛮な男でなければならないし
家康からすれば氏真は父の敵討ちもしようとしない、ひ弱な男でなければならない。


ところで今川家臣で本川根に城を持ってた小長谷氏について
詳しく知っている人いませんか?
一説によると氏真が武田に攻められたとき、一時的に身を寄せたらしいんですが。

214: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/20(水) 13:29:29 ID:DwobmTg/
甲陽軍鑑にしろ三河物語にしろ、今川領を侵略した側の言い分を中心に据えた小説じゃんか。

220: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/23(土) 11:18:09 ID:7pOr/hhS
氏真の戦い:第一次駿河防衛戦

1568年1月頃から、甲斐武田氏が不穏な動きを見せる。
信玄は、氏真の妹婿にあたる親今川派の義信を幽閉し、同盟を一方的に破棄。
氏真は周辺諸侯に呼びかけ、武田領の経済封鎖を図った。
その威令は北条氏をも動かしたが、経済音痴である上杉謙信からほつれてしまった。

1568年12月、信玄は富士川沿いに侵攻。国境付近の今川方領主である荻清誉を討ち取り、さらに蒲原城などを奪取。
対し、氏真は薩た山の陣に軍を集結させ、狭隘な薩た峠を封鎖して抗戦の構えをとる。
一進一退の局地戦を展開し(薩た山の戦い/興津川の戦い)、特に庵原将監忠緑の奮戦は信玄をも感嘆させたとされる。
ところが有力一門衆である瀬名氏俊が戦線離脱。
自領が武田軍によって分断された駿東にある諸氏にも恐慌が伝染したのか、
葛山氏元、朝比奈信置らも離脱し、この時点で今川軍は崩壊したと言える。
かような状勢に至っても従弟である武田勝頼がこの立場ならばなお決戦を挑んだかもしれないが、それは愚将のすることである。
駿府に撤収した氏真は、非戦闘員を含めた民へすみやかに脱出命令を下し、掛川へ向かう。
このとき氏真に従っていたことが明らかな人物としては、豪族の庵原忠緑、由比正純、家臣の安藤定正がいる。
残された駿府館の守備には岡部正綱や安部元真があたって抗戦するが、殺到する武田軍からは守りきれず撤退。
駿府は武田軍によって放火・劫掠を受ける。
ほとんどもぬけの殻となっていた丸子城、用宗城(持船城)も武田軍に降伏し、
”静岡平野”のほぼ全域が武田軍に制圧されたことになる。

1569年1月、北条氏は北条氏政を総大将とする救援軍を派遣。蒲原城などを奪回する。
武田軍は薩た峠の守備を固めて抗戦(薩た峠の戦い)。
なお、この局地戦も「薩た山の戦い」と呼ばれることがあるが、先ほどの今川軍対武田軍の戦いとは別物である。
薩た山の戦い/興津川の戦い・・・西・今川軍 vs 東・武田軍(1568年12月)
薩た峠の戦い/薩た山の戦い・・・西・武田軍 vs 東・北条軍(1569年1~4月)
北条軍の兵は多かったが、狭隘な峠道で身動きがとれず、大兵力を活かせないでいた。
結局決着はつかず、両軍は兵を引く。
武田勢は久能山城などに少数の守備兵を残し、本隊は甲斐へ撤収した。

結論
葛山氏、駿河朝比奈氏らの有力豪族が武田に降り、氏真は勢力圏を多く失った。
これは、負け。

222: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/23(土) 13:02:02 ID:7pOr/hhS
氏真の戦い:第二次駿河防衛戦

1569年6月から7月にかけて、武田軍は再び駿河へ侵攻。
今度は駿東から伊豆方面へ展開するつもりだったようだ。
しかし富士川の増水で足止めをくらい、そこへ蒲原城などに駐留していた北条軍に夜襲されて敗走、甲斐へ撤収する。
冬の農閑期に較べて短い、夏の農閑期の軍事行動である。元から長期的な活動をするつもりは無かったのだろう。

この頃の氏真に兵力はほとんど無く、領国再建で手一杯だったことだろう。

結論
氏真の戦いと言ってもいいのか、
この件には氏真はほとんど噛んでおらず、評価不能。

223: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/23(土) 13:29:43 ID:7pOr/hhS
氏真の戦い:第三次駿河防衛戦

1569年10月、武田信玄は関東に出兵して小田原城を包囲、北条氏を挑発して引き上げる。
追撃した北条軍は三増峠付近で武田軍と交戦、大規模な合戦となる(三増峠の戦い)。
この大規模な軍事行動につられて、駿河に駐留する北条軍の守備隊も移動。
12月、手薄になった駿河を信玄は一気に侵攻し、蒲原城などを再奪取する。
薩た山陣屋に駐留する北条軍を牽制しつつ駿府を占拠。
氏真には抵抗する力は無く、小田原へ落ち延びた。
薩た山の北条兵も陣屋を開け渡し、帰国した。
ここまで果敢に粘っていた岡部正綱らも、ついに武田に降伏することになる。

氏真の領国再建の夢は、半年ほどで潰えた。

結論
・・・戦いになっていないかも・・・

224: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/24(日) 11:58:42 ID:NR+CLe9r
これほど実像と虚像のギャップが著しい歴史上の人物も珍しい。

いや、珍しくはないか。

実像より美化される例なら珍しくないが、
ここまで無茶苦茶に貶められた虚像を創り上げられた例は珍しい。

225: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/24(日) 14:54:43 ID:mL7HUG9/
そのギャップが魅力的で、資料必死で読みあさって
実像知ろうとしてしまうのかもな
これぞ氏真クオリティ

227: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/25(月) 21:52:47 ID:h01HI9gC
風流踊りにははまってたけどね。

228: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/26(火) 00:39:59 ID:qcsAcyS4
それは耳にしたことはあるけど文献で確認したことないな。
ソース教えてくれ、読んでみたい。

233: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/27(水) 14:22:59 ID:OUv0Ya/7
>>228
『今川氏と観泉寺』より孫引き。出典は『校訂 松平記』とある。
永禄十(1567)年七月から九月末まで、駿河で風流踊りが流行ったという。

「駿河の国に風流の跳(をどり)はやり、諸人悉踊をことゝす、八幡村よりをどり初め、
 所々村々へおどりをかけ、是をおどりて返す間、殊々外踊あまたに成、八月の末、
 九月までおどりける間、町より御城へかけなど致す間、今年は中/\はや寒く成時分、
 踊の時には無之間、来秋返すべしとて九月の末より踊はやむる、
 時の出頭人三浦右衛門佐、殊の外是を好むの間、氏真へもすゝめ申、か様におどりをはやらすといへり、
 誠に国の滅すべき瑞相とは後に思合候也」

ちなみにこの年の八月、武田義信が殺害されて氏真妹が離別され、武田・今川間の関係は断絶、
今川家は北条氏とともに塩止めを実施している。
永禄十一(1568)年三月、寿桂尼没。六月に入ると約束どおり?また風流踊りが流行する。

「六月より踊又おこり、七月中半には一円万事をやめて踊の用意也、法大寺と申寺へ三浦殿より
 踊かゝり候へば、氏真ほうかぶり被成、太鼓を打給ふ、誠に此家の滅亡のしるし也」

この年十二月、武田信玄駿河に侵攻。

229: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/26(火) 19:23:00 ID:G1gD5wR4
氏真の大名時代って、
戦争を避けてたどころか
戦争ばっかやってたんだな

防戦一方だけど



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比較的良スレなのに変なAAまで入れんでよろしい

| | 2016/06/07 00:50 | URL | ≫ EDIT















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