みちのく瓦版

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【忠臣?】陶隆房を大いに語る会【逆臣?】

1: 人間七七四年 2007/06/06(水) 00:02:30 ID:K3h7u34p.net
大内家を守り立てようと頑張った陶尾張守。
もしも毛利右馬頭によって討たれなければ大内家は完全に中国地方、北九州をその掌中に入れ、
幕政にも参与していたことだろう。
もっとも、その時の大内家当主が大内義長なのか隆房なのか、それとも大内輝弘なのかはわからないが。
隆房は大内家を乗っ取ろうとしたのかどうか、改めて考えてみようではないか。


14: 人間七七四年 2007/06/08(金) 22:32:01 ID:xlht08ZN.net
陶晴賢って名前超かっこいい。
てかこのスレタイも一般に名の通ってる
晴賢のほうがよかったのでは?

22: 人間七七四年 2007/10/09(火) 00:02:39 ID:0frBxFbw.net
北九州は掌中に出来ないよ。
大内義長を養子に迎え入れる条件として、大友側に
譲渡してしまったからね。
代わりに瀬戸内海交通の利権を直接支配しようと
したんじゃない。
あと、陶晴賢と相良武任の対立は、相良の政策が、
大内氏当主に権力を集中するものだったからと
いう説があるみたいだな。

25: 人間七七四年 2007/11/19(月) 10:08:33 ID:eE2slCiK.net
陶だけじゃなく内藤・杉・弘中まで謀反したのは痛すぎたな

26: 人間七七四年 2007/11/19(月) 10:39:58 ID:aTegSNxi.net
隆房の「隆」は、大内義隆の偏諱。
晴賢の「晴」は、大内晴英の偏諱。

謀反後は主の下の字じゃなくて、上の字(しかも将軍家由来)を貰ってるとは生意気だなw

36: 人間七七四年 2008/06/15(日) 10:49:12 ID:Pg57t0XR.net
この時代どこにでもある、戦国初期の守護代の行動なんだけどな。主君を打ち滅ぼすなんて。

37: 人間七七四年 2008/06/15(日) 13:09:28 ID:QJbgrGJ1.net
>この時代どこにでもある、戦国初期の守護代の行動なんだけどな。主君を打ち滅ぼすなんて。

でも自分も滅んじゃったらな
下克上は出来ても家を存続させる事が如何に難しい事か

40: 人間七七四年 2008/06/18(水) 17:17:15 ID:Aggs1DPf.net
キーパーソンの相良武任って結局のところどうなの?

41: 人間七七四年 2008/06/19(木) 10:30:31 ID:uSgiFN/H.net
>>40
出自もよく分かってない人だね。
肥後の相良氏の一族だったりするんだろうか?

43: 人間七七四年 2008/06/20(金) 01:31:07 ID:RY65kJy1.net
>>41
父親の相良正任は相良の内訌で滅んだ上相良氏の遺子って伝承。根拠があるかは知らん。

44: 人間七七四年 2008/06/20(金) 01:56:19 ID:yPXNICM9.net
正任は最初は隆房の祖父に仕えてたみたいだね
面白いはずなかろうて

45: 人間七七四年 2008/06/20(金) 02:16:08 ID:9BvFxUZQ.net
>隆房の祖父

陶弘護さまか

46: 人間七七四年 2008/06/20(金) 02:21:21 ID:yOC8eW/i.net
つか、陶と右田の関係がいまいちよくわかんないんだが。

なんで右田が、庶家の陶の苗字を名乗ったりしてるん?

49: 人間七七四年 2008/06/21(土) 17:44:15 ID:3gPiSN7v.net
普通に毛利の家臣になってたりするな。

でまかせで子孫を名乗ってメリットのあるような一族じゃないし、案外本当かも知れにょ>>46

47: 人間七七四年 2008/06/21(土) 14:17:41 ID:Tq3rJuwL.net
祖父が陶氏の子孫を自称してるんだが

陶氏は滅んだんだよな?

48: 人間七七四年 2008/06/21(土) 14:21:55 ID:umLd/UVg.net
>>47
大族だから滅んでないよ

64: 人間七七四年 2008/06/29(日) 21:46:48 ID:Tg8erJJX.net
陶が毛利に敗れなかったら、いずれ大内家を乗っ取っていたんだろうか?

65: 人間七七四年 2008/06/29(日) 21:52:28 ID:KNZvB1x3.net
>>64
まあ、軍の指揮権はほぼ掌握していたから、実質のっとってたようなものではあるがな。

66: 人間七七四年 2008/06/30(月) 18:38:25 ID:PMimYyNf.net
>>64
大友からつれてきた当主をその後どうするつもりだったのかは興味がある。

傀儡当主と実権者の関係を代々続けるとも考えにくいが、
正常化後に大内の一家臣に戻る、というのも信じがたい。

長房あたりを大内義長の養子に捻じ込むつもりだったのかな?

67: 人間七七四年 2008/06/30(月) 19:06:36 ID:sxz05gKM.net
大友家との関係を考えると、義長を粗末にはできんだろ。

68: 人間七七四年 2008/06/30(月) 19:14:09 ID:yk0qKf5P.net
越後の長尾氏における上杉氏のように棚上げする感じかな?

69: 人間七七四年 2008/07/02(水) 01:02:49 ID:SdFXpHSL.net
一応、「偽大内を討つ」という大義名分の下、毛利は動いていたわけだから、
戦後の処理がややこしいことになるな。

72: 人間七七四年 2008/09/30(火) 13:17:44 ID:1ZEOGcPm.net
厳島の戦いで勝ってたらどうなってたの
そのまま毛利領呑み込んで尼子攻め?

73: 人間七七四年 2008/10/03(金) 23:05:25 ID:pFcz+0GQ.net
>>72
勝ち方にもよる

74: 人間七七四年 2008/10/05(日) 01:52:44 ID:Ja1aPa/r.net
勝ち方っても毛利方は勝負掛けてるし、
普通に考えたら元就、隆元、元春、隆景は全員討ち死にかな
特に隆景は史実でもちょっとやばい場面なかったっけ?

75: 人間七七四年 2008/10/05(日) 12:30:56 ID:Joj86gKf.net
厳島合戦はあくまで安芸の国人一揆の中心的存在だった毛利家を打倒もしくは屈服させるのが目的
当時の毛利は大内家の指示(と言っても陶の指示なのだが)で備後平定をタダ働きさせられ、
それを不満にもった安芸国衆に担がれ大内家と敵対断絶

石見の吉見家をようやく屈服させた陶隆房(この時は既に晴隆だっけ?)は安芸衆が敵対化する事で、
出雲の尼子の南下、石見銀山や本領の周防が脅かされるのを防ぐ為、毛利討伐の為に出陣

なので、どんな圧勝したとしても、そのまま尼子攻めはないよ
毛利滅ぼしたなら安芸の支配体系の確立、毛利を屈服させたのなら、直参を何名か安芸に置く
そんな処理して大内領と国政の安定化を図るでしょ

77: 人間七七四年 2008/10/23(木) 14:31:13 ID:dLxKi48o.net
同じ毛利のライバルでも、尼子晴久より語られることが少ないのは何故?

78: 人間七七四年 2008/10/24(金) 12:30:32 ID:h6k95Dc3.net
そうか?むしろ尼子のほうが語られていないと思うが。

81: 人間七七四年 2008/12/08(月) 02:07:05 ID:HIVtOs7Q.net
厳島の戦いって見せ場も作ってたしな
尼子はジリジリやられたから派手さにはかける

82: 人間七七四年 2008/12/08(月) 13:11:48 ID:X315X3Z8.net
〇晴賢
×晴隆

83: 人間七七四年 2008/12/08(月) 20:02:39 ID:MbQyu129.net
「大内義隆」個人にとっては逆臣。
「大内家」にとっては忠臣(と本人は思っている)

108: 人間七七四年 2009/01/14(水) 20:26:41 ID:kSFGy/PQ.net
陶って謀叛後に義隆の首と対面した?

109: 人間七七四年 2009/01/14(水) 22:01:19 ID:EVBerQEk.net
火つけて燃やしたんだからそれはないんじゃないかな
義尊とか隆豊とか公家連中の首はみたんだろうけど

111: 人間七七四年 2009/02/08(日) 20:38:04 ID:mRkWSg7c.net
質問スレで半年ぐらいレスもらえなかったから
詳しい人が多そうなこっちで聞く
----
質問です
陶晴賢は次男らしいのですが、
ある本やサイトでは兄の名は興昌で戦死、
また、別の本やサイトでは兄の名は義清で父の興房によって毒殺、
というように名前も死因も全く違うのです
ここまで違うと同じ人物とは考えにくいし、かといって晴賢が三男だったという記述も見当たらず、
どっちが正しいのか気になっています
----
名前の諱(興→大内義興からの偏諱)を考えたら興昌の方が信憑性があるよね?
まさか将軍家由来の義の字もらえるはずがないし

113: 人間七七四年 2009/02/09(月) 21:32:34 ID:F2D5fox5.net
>>111
興昌=義清
で正しいと思います。

死因に関しては、
父興房によって毒殺というのは、陰徳太平記に載っている話のようです。
大内研究で有名な福尾猛市郎氏の本には
安芸で戦死したとあり、こちらの方が信憑性は高いように思われます。

名前については、私の想像なのですが、
大内晴持(義隆の最初の養子)が死んだ時、
その死を悲しんだ義隆が、将軍家より「義」の字を貰い、
義房という名をつけて葬ったと聞いたことがあります。
「義清」という名も同様に、
興房が、夭折した息子の供養のために、
将軍家由来の諱をつけてあげたということではないでしょうか。

114: 人間七七四年 2009/02/09(月) 22:00:39 ID:Icc7sLRC.net
>>113
ありがとう、同一人物の可能性が高いのか
いやーでも義隆レベルならともかく
陶家ぐらいの家格で果たして義をもらえるのだろうか

112: 人間七七四年 2009/02/09(月) 19:01:20 ID:wdzkuMPs.net
義清なんぞ初めて聞いた

115: 人間七七四年 2009/02/09(月) 22:27:03 ID:un88EcEQ.net
隆房の兄はなんか賢すぎて将来を心配されて殺されたとか
「義隆は暗愚だ」とか言い放ったから殺されたとか
いろいろあるな
ちなみにこのお兄さんも義隆の寵愛を受けていたとか

116: 人間七七四年 2009/02/10(火) 06:40:29 ID:GJ91mmxp.net
それも陰徳太平記だな
陰徳太平記の流れは隆房が興房の実子ではなく義清毒殺後、興房の養子になったんだっけ?
正直信憑性薄いよな…
陰徳太平記は毛利マンセーの軍記物語だし、
大内方の歴史は大内義隆記の方がまだ参考になるかもな

117: 人間七七四年 2009/02/10(火) 23:19:01 ID:sEWeacj3.net
>>116
大内義隆記だとどういう記述になってるのかな?
この本あまりお目にかかれないんだけど…

128: 人間七七四年 2009/03/30(月) 20:19:13 ID:TEjWh4xi.net
義隆討った後の動きが何だか怖い
杉を討つ必要はあったのかね

135: 人間七七四年 2009/04/15(水) 20:17:11 ID:GjU3qKYQ.net
大内や毛利関連の小説を読むと陶は若いころは美童で
成長してからは(義隆を討った後からは)デブっていう描写があるんだけど
デブの方のソースって何の本に書いてあるんでしょう
美童のソースは見つけたんだけどデブの方がどうしても見つからない

141: 人間七七四年 2009/04/18(土) 10:32:27 ID:IsGc0NLy.net
>>135
元ネタは軍記物系かも。
松本清張の「私説・日本合戦譚」(これは随筆)に、
晴賢=肥満の話が出て来るんだけど、
(「元来、大兵肥満で、二十二、三貫もあるうえに、
重い鎧を着ていることだし、長く歩くことができない云々」)
文末に、厳島合戦は正確な資料がないので「吉田物語」「陰徳太平記」「芸侯三家誌」
などの俗書に拠った、と但し書きしてあるから。
でも、正八幡宮(宇部市の?)所蔵の晴賢像(板に描いてある)は、太ってないのが不思議。
墨がかすれてよくは見えないけど、頬の線などはむしろ少し細め。
板描きで神社に残っているということは、絵馬みたいなものと思われるし、
絵馬ならば後世のものとは考えづらいんだけど、どうなのかなあ。
地元の方とか、詳しい人の話が聞きたい。

136: 人間七七四年 2009/04/16(木) 01:06:24 ID:tcW89AhH.net
太めだったのは隆房の祖父の陶弘護じゃないかな
こっちは雪舟が描いたはっきりした肖像画が残ってるから
祖父似ってことにして小説ではデブ設定なのかなあと

137: 人間七七四年 2009/04/16(木) 07:20:41 ID:E6X2Gili.net
>>136
なるほど、ありがとう
どの小説読んでもガチムチだったりぶよぶよだったりと差はあれど
長じた後は一様にピザってるから何か有名なエピソードがあるのかと思った

148: 人間七七四年 2009/05/14(木) 10:28:16 ID:0U7SrU10.net
陶って名字の由来はどこ?

149: 人間七七四年 2009/05/14(木) 11:12:28 ID:/H+/y9JI.net
>>148
大内氏に従って山口に来たときに住み着いた地名(陶村)から
元々は多々良氏

153: 人間七七四年 2009/05/17(日) 22:48:52 ID:HeLbPgTr.net
ところで陶晴賢は忠臣なんですか?
逆臣なんですか?

154: 人間七七四年 2009/05/26(火) 20:18:13 ID:zlsQuNVS.net
>>153
それは残った資料からお前が判断することなんじゃないの

161: 人間七七四年 2009/06/16(火) 11:54:19 ID:VU6w4qB6.net
陶は忠臣でしょう。
義隆公に統率力なんてなかったし、大友家が増長し始めてる。

165: 人間七七四年 2009/06/16(火) 21:14:23 ID:XS3ref3p.net
>>161
謀反のときにその大友家にずいぶん塩を送っちゃった面もあるんだけど

181: 人間七七四年 2009/10/02(金) 20:31:34 ID:Gh36JUCZ.net
だれか陶晴堅はなんで大内義隆を暗殺して乗っ取ろうとしたのか理由を教えて下さい

182: 人間七七四年 2009/10/02(金) 20:59:11 ID:H4kxu7Xk.net
>>181
乗っ取ってはいない、つか暗殺じゃねー
形だけでも大内の血を引いた義長を当主に据えている

謀叛人の例に漏れず色んな説があるけど、
・暗愚化した義隆を討って大内家を立て直したい
・政局から遠ざけられて領地没収されそうになったりしてその事に危機感を覚えた

よくあるのはこんな所かね

228: 人間七七四年 2010/06/20(日) 09:17:29 ID:vsxXtTCw.net
>>181
痴情の縺れ

201: 月孔雀 2010/03/05(金) 09:36:49 ID:blYJ6f2u.net
山口県民の意見を聞きたい。

212: 人間七七四年 2010/06/12(土) 15:05:48 ID:YEHyjD+L.net
>>201
朝日が若山城から昇るのを毎日見てる者ですが、地元の教育や市政でもあまり注目された存在では無いです。
ぶっちゃけると逆臣だし最後は大敗してるからかも知れませんが?
実際に城の規模などの調査もあまり行われていません。
例えば毛利に勝っていれば英雄扱いになったかもしれませんね。
陶については地元でも詳細をあまり知らない人が多いので毛利を地元の殿様として認知している人が多いです。
防府市には毛利庭園などもありますから(^-^)

私としては毛利氏よりも大内氏の方がすきですね・・・多分山口では少数派でしょう?

地元でもあまり知っている人が少ないのですが昭和初期までは若山城の近くに埋蔵金があると噂があり多くのトレジャーハンター(素人?)が沢山訪れたみたいですが(^-^;

204: 人間七七四年 2010/03/06(土) 07:50:29 ID:FrPUAvyh.net
でもそれは萩の方だろ
山口市内や周南市の方までそうとは限らないはず

211: 人間七七四年 2010/03/16(火) 10:08:43 ID:pTiGeOCP.net
まあ、主家の存在自体をつぶそうとしていたわけじゃないし。

それなりの実績があってやや自信過剰気味になってる若手が無為無策の主君に業を煮やして、
才覚溢れる自分がカリスマ性を発揮して沈み行く船を立て直そう!と思ったら
逆にトドメさす結果になってしまったでござる、

って流れは、自身と重ね合わせて共感してしまう人が多いんじゃないかな。

214: 人間七七四年 2010/06/12(土) 17:24:28 ID:H+CAAXJN.net
小倉史によると
元就が厳島合戦をする前に
小倉城を攻撃したと特記しております。
これは陶の指令に従って小倉を強襲したと想像できます。
陶は当時、北九州で宗像事件などを引き起こしており、
元就は義隆殺害の共犯者でした。
ここらへんは毛利史料からは隠蔽されたのか記述はないので
存在自体が黙殺されてきました。
しかし小倉市は毛利にも大友にも肩入れせずに
中立的に記述してる点で好感が持てます。
厳島合戦を前に元就が陶の指令で渡海し小倉を襲うとなれば
なかなか興味深い話です。

215: 人間七七四年 2010/06/12(土) 17:37:57 ID:7nJ+4VhW.net
その頃の小倉城って今のと同じ場所にあったの?

216: 人間七七四年 2010/06/12(土) 18:00:04 ID:H+CAAXJN.net
すまん、小倉じゃなくて門司城だった・・・すまん

217: 人間七七四年 2010/06/13(日) 10:03:08 ID:H33fW5De.net
元就と比較すると、晴賢は圧倒的に若い(元春世代?)。
それで若くして厳島で死んだのに、息子や孫までいるのですね?
そのあたり、詳しい方おられませんか?

218: 人間七七四年 2010/06/13(日) 10:22:07 ID:v4uGr0v/.net
>>217
隆房は1521年生まれで同世代には武田信玄がおり、
年齢でいえば元春(1530年生まれ)よりも隆元(1523年生まれ)に近い

1539年、隆房が数え年で19の時に内藤隆時の娘を嫁にもらい、
翌年には子の長房が生まれている
孫と言われている陶鶴寿丸だが長房の年齢を考慮すると隆房の子である可能性が高い

220: 人間七七四年 2010/06/13(日) 21:37:36 ID:H33fW5De.net
>>218
そう考えると尼子晴久の1514年生まれってのも、なんか納得できない。
少なくとも、もう5年くらいは上なんじゃ...

219: 人間七七四年 2010/06/13(日) 10:43:08 ID:0o20PoE6.net
長房に相良が愛娘差し出そうとしたときは隆房が拒否ったんだけっか。

240: 人間七七四年 2010/07/06(火) 06:28:44 ID:IwBWBHBq.net
陶隆房が謀反起こす経緯について、よく相良武任の名は挙がるけど、
武断派と文治派でもめてたというのなら、他の文治派の人間はどうしてたんだろう?
他の文治派は「陶は武断派だけど、義隆様の贅沢三昧はヤバ過ぎだろ」って陶に同調して、
義隆にべったりな相良だけ取り残されたんだろうか?

241: 人間七七四年 2010/07/06(火) 07:07:52 ID:UTs1vOr0.net
冷泉隆豊がいるじょない
この人は文治派だとか武断派だとかで分けることが出来ない気骨の人だけど

242: 人間七七四年 2010/07/06(火) 07:44:37 ID:57afm4MS.net
他の武断派・文治派って誰がいるの?

243: 人間七七四年 2010/07/06(火) 21:47:03 ID:vILtIsYI.net
隆房と武任がはっきりと性格が違うから、武断派・文治派って言われてるけど実際は違うよな。
正直義隆についていってる奴も義隆・武任のやる政治に諸手挙げて賛同していたとは思えない。
隆豊の隆房を討ちとろうなんていう進言は本来なら武断派のやり方だし。

244: 人間七七四年 2010/07/06(火) 22:11:38 ID:BeDRqk1w.net
隆房・武任のは政策論争じゃなくて単なる対立にしか見えない

245: 人間七七四年 2010/07/08(木) 20:46:56 ID:Qz+bw5Ux.net
だな。内藤興盛とか弘中隆兼とか、武断派か文治派かってきかれたら
真ん中なんじゃねと思うし。

246: 人間七七四年 2010/07/08(木) 22:04:23 ID:axrY2O5u.net
武任が歩み寄りを見せているのに
全く乗らないところを見ると、
どうやら隆房は政争関係なしに本気で武任を嫌っていたようだな
もう少し器用だったら違う付き合い方もあっただろうに

247: 人間七七四年 2010/07/08(木) 23:22:25 ID:c1+bXgyW.net
杉なんかは陶晴賢と元来対立してたくらいだし、武断派VS文治派という構図には
必ずしも当てはまらないんじゃないか?
守護代なんかを勤めてきたような連中と、義隆が重用した側近層の対立じゃないかな

248: 人間七七四年 2010/07/08(木) 23:41:40 ID:EnP6Xl5B.net
杉は杉でも筑前守護代のほうはどっちの味方なんだかよくわからん行動を取ってるしな…

249: 名無しさん@そうだ選挙に行こう 2010/07/10(土) 07:45:12 ID:N8xpbohm.net
讒言しまくって義隆に討たせようとしたのに
その義隆が動こうとしないから見限って一緒に謀叛したら
謀叛後、隆房に討たれたでござる
しかも全ての元凶にされてしまったでござる

273: 人間七七四年 2012/07/29(日) 09:15:08.27 ID:Kyf5Ykxy.net
晴賢は生き急ぎ過ぎて失敗した感じ

274: 人間七七四年 2012/08/06(月) 13:08:46.77 ID:2Mhyad36.net
何かドラマでも映画でも作ってくれないと今一盛り上がらない(´・ω・`)

逆臣で滅んでしまったのが災いしたとしか・・・勝ってたら歴史を変えてる大名になれたかもしれないのに。

今となっては各地の史跡も放置状態だし・・・若山城のある周南市も史跡の修復観光化には力入れないから。

ドンドン寂しくなる・・・orz

277: 人間七七四年 2013/09/06(金) 06:11:53.25 ID:X6Hjk65A.net
>>274
逆臣っていうより
陶を上げたら、大内が上がる。
大内が上がったら、毛利って?てなる。
長州代表みたいな扱いの毛利が、実は簒奪者だったなんて歴史ストーリーを喜ぶ長州人なんているのか?

279: 人間七七四年 2013/12/04(水) 16:10:59.21 ID:8l8YmUyM.net
明治期に長州閥の維新功労者が力を持ったのも大きいよね。
それによって長州藩士の主である毛利の敵である陶はかなり低く
扱われる様になってしまった。

280: 人間七七四年 2013/12/16(月) 12:26:08.22 ID:+D03zaiE.net
>>277,279
昔学校の課外で簡単に調べたけど、冷泉隆豊たちの方が分かりやすい忠臣で感情移入しやすいし、
その人たちの嫡子とかも陶の追っ手をかわしてから、毛利に仕えて陶を討つ側に回ったりしてるんだよね
大内義尊なんて、最期が悲惨すぎて同情した村人が祭った神社みたいな観音様が未だに残ってる
大内の富の源泉だった日明貿易も打ち切られちゃうし……
義隆って観点から見るとどう考えても逆臣だし、どうしても印象が悪くなるね

281: 人間七七四年 2014/02/23(日) 13:59:36.47 ID:Q4TipkAK.net
『伽婢子』で、陶晴賢に火あぶりにされたという厚狭弾正は、実際に殺されたりしたかどうかはともかく、
実在したか、少なくともモデルになった人物がいたんじゃないだろうか。
厚東弾正忠という人物宛ての、毛利に靡くよう誘った元就・隆元連署の書状が、東大史料編纂所に
所蔵されてる。

282: 人間七七四年 2014/09/25(木) 20:19:12.73 ID:H9kuzmjf.net
>>281
弾正忠は官職名であり、戦国期は自ら名乗る者もいたから、
元就・隆元連署の書状の宛て名にある「厚東」とは苗字ではなく
地名(厚東郡など)だと思うのだが…。

283: 人間七七四年 2014/10/04(土) 01:08:47.81 ID:kAuC9IXX.net
>>282
隆房め、義隆の息子のムスコを削ぎやがって、なんて残酷な

284: 人間七七四年 2015/11/05(木) 08:51:11.63 ID:eyTPuTVz.net
陶(大内)も尼子も、戦国時代初期には大きかったけど
下克上により落ちぶれていった家だから人気ないのは当然
戦国時代って下克上が成立した時代だから面白いんだし
はっきり言ってやられ役的立場でしか活躍の場が無い
三好なんかもそうだけど

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