みちのく瓦版

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戦国期の家督争い・御家騒動・内乱を語る その2


136: 人間七七四年 2009/02/16(月) 03:33:38 ID:0juTdWzY
豊臣秀次の件で前野とか貴重な古参まで粛清しなきゃならなかった理由ってあるの?
それともボケちゃったのか

137: 人間七七四年 2009/02/16(月) 06:03:50 ID:S4xMyPnE
>>136
毒食らわば皿まで、って事でしょ。

138: 人間七七四年 2009/02/16(月) 06:53:44 ID:TaFa00OH
>>137
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」じゃね?

155: 人間七七四年 2009/03/13(金) 11:11:02 ID:6r5rshLg
長宗我部盛親って大阪の陣の活躍といいそれなりの人物だったようだけど
なんで家督相続するまでに死人まで出たの?

156: 人間七七四年 2009/03/15(日) 20:35:04 ID:LDB2TPnT
>>155
元親が信親の死に動揺したのかちょっとおかしくなったから。
盛親に信親の娘を娶わせようとして、吉良・比江山の反対を受けたが、
吉良・比江山を殺害して婚姻を強行した。
当時叔父姪の婚姻は既に異常視されていた。
信親の娘を娶わせようとしなければ吉良も比江山も死ぬことはなかったろう。

157: 人間七七四年 2009/03/15(日) 21:33:08 ID:+zbAra7+
という事は信親の意思で物事は進んでいたんだよね。
その件で奸臣扱いされている人がいるみたいだけど

158: 人間七七四年 2009/03/16(月) 02:54:26 ID:nT0q15Va
>>157
信親と元親、間違ってね?
奸臣というとまぁ久武親直のことだろうが、
久武を奸臣とする場合は元親の横暴を止めなかったということだろうな。
吉良と不仲だったとされるが、子孫は揃って熊本藩士。
元親を貶めるのは気が引けるので重臣であった久武がスケープゴートにされただけ、
というのが現在では広まりつつあるような気もしないでもない。

159: 人間七七四年 2009/03/16(月) 10:34:35 ID:ImA2eIn0
ちょっと話はそれますが
島津義久は叔母と結婚してますよね?
九州はよくて四国は駄目だったんですか?

160: 人間七七四年 2009/03/16(月) 23:23:46 ID:nT0q15Va
>>159
九州はよくて四国はダメなのではなく、地域によって可不可があるってこと。
土佐岡豊では不可で、薩摩鹿児島では可能だったということだろう。
現代日本でも叔父姪間の事実婚が許可される場合があるが、
その条件の一つに住地で叔父姪・叔母甥の事実婚が許容されてきた習俗の有無がある。

九州では島津義久のほか、伊東祐兵(妻が姪)の例もあるけどな。
あと吉良らの死に関しては婚姻反対よりも長幼を守れという主張のほうが主だったらしいが。

161: 人間七七四年 2009/03/16(月) 23:39:13 ID:uUc1HeiO
何やら極悪人・久武の子孫が喚いておるな

163: 人間七七四年 2009/03/17(火) 01:34:25 ID:pM4XeiVl
>>161
久武の陰謀について進んで肯定はしないが、否定もせんよ。
一次史料に明確な記載が無い事件については断定しようとも思わん。

162: 奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2009/03/16(月) 23:48:45 ID:MACgtSWB
叔父姪・叔母甥の婚姻は同母か異母かも検討しないと。

163: 人間七七四年 2009/03/17(火) 01:34:25 ID:pM4XeiVl
>>162
母の血は大事だね。
異母の場合は受け入れやすいとされるし。
一応盛親夫妻は石谷氏母、斎藤氏母・祐兵夫妻は河崎氏母、荒武氏母で、母系は違ったと思う。
義久はどうなんだろう? 花舜夫人と貴久が同母なら珍しい例なのかもしれん。

167: 人間七七四年 2009/03/27(金) 11:49:37 ID:kNJvITkT
戦国時代、弟が家督を継いだ場合、
ある程度兄やその一族へ配慮する、というのは共通認識だったのかな?
それとも、当人同士の仲や家督を継いだ人間の判断次第?

168: 人間七七四年 2009/03/27(金) 15:28:19 ID:WaUNwZhr
兄が妾腹なら配慮する必要はとくにないが
兄の母親一族の勢力規模しだいでは配慮しないとだめかもね
同腹の兄弟で弟が家督を継ぐなんて時は
大体兄は戦か家督相続のゴタゴタで死んでるか病弱でまともに働けない人物だったり
素行に問題があり家督を廃されてるなどしてる場合がほとんどで
同腹の兄弟で弟が家督を継ぎ、兄が弟に仕えるなんて事例は私は知らん

169: 奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2009/03/28(土) 15:30:21 ID:EV59n0u3
仕えてはいないけど岩城親隆と伊達輝宗とか。

170: 人間七七四年 2009/03/30(月) 11:30:42 ID:y3f406HS
柳生宗矩もそうだな。
兄(長男)が負傷したのと、柳生庄を取り戻したのもあって
5男の宗矩が家を継いでる。

でも、兄の息子の兵庫助が尾張柳生立てて縁を切り、
本来の嫡流と新陰流の正統を号してたな。

171: 人間七七四年 2009/03/30(月) 14:36:41 ID:8kaS65B2
柳生んとこみたいな弱小豪族だとあんまはっきり家督とか定めていなかったんかね
普通宗矩まで家督回ってこないで利厳か宗章に家督を継がせるって
厳勝が傷でまともに働けなくなった時に石舟斎が決めそうなものだけど

172: 人間七七四年 2009/03/30(月) 16:13:20 ID:y3f406HS
>>171
まあ、厳勝が不具になった時、
宗章も宗矩もまだ子供もいいところだったし、
利厳どころか、久三郎(厳勝の長男)すら生まれてなかったしな。
久斎か徳斎を還俗させるってのもあったかもね。
尤も、所領没収されて、継がせるべき家(所領)もなくなった、
ってのが一番大きかったんだろうけど。

そういう意味では、所領の回復に際して、
何もしてなかった兵庫助が柳生の正統を号するのは
なんだかなー、という感はある。

173: 人間七七四年 2009/03/31(火) 11:33:52 ID:NegBKJNz
尾張柳生が号してるのは”新陰流”の正統と柳生の”元々の”嫡流。
別に柳生家の本家だとは言ってない。
石舟斎自身に廃嫡された上に代々の所領も継いでないんじゃ本家を名乗れないだろう。
正統云々言い出したのも明治以降じゃないのか?

178: 人間七七四年 2009/04/02(木) 01:12:58 ID:B5jdVv/o
>>173
その可能性はあるなあ。
宗矩の相続は家康の後押し承認があり、石舟斎が認めたもの。
「あっちは分家、こっちが本家だ!」
なんて主張は、石舟斎の決定ひいては家康の承認に逆らう行為だ。

174: 人間七七四年 2009/03/31(火) 15:46:52 ID:/EjqRN0w
同腹の兄弟で弟が家督を継ぎ、兄が弟に仕えるなんて事例はあるのかな?
普通はプライド的に仕えてくれないよね

176: 人間七七四年 2009/03/31(火) 23:14:17 ID:1RWbV/IN
>>174
前田利久・安勝・利家は同腹兄弟。
兄が弟に仕えるようになったのは晩年になってからだが。

177: 奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2009/04/01(水) 05:00:06 ID:ufc50TiJ
利家は利久の家督を主の威光を傘に頂戴したんじゃなかったか。
系譜上は父にあたるだけに、弟に「仕えた」というのは違うと思うがなあ。

180: 人間七七四年 2009/04/03(金) 22:25:23 ID:MheQ8W4+
>>177
利久は仕えたというには微妙だが、五郎兵衛安勝は仕えたと言えると思うぞ。
安勝をして利家の家臣と呼んでいる本は見たこと無いけどね。

181: 奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2009/04/04(土) 07:33:59 ID:a6CrRohQ
>>180
安勝って同母兄弟だろうか。あるいは傍系を継いでいないか。

182: 人間七七四年 2009/04/05(日) 05:39:27 ID:1M2GPAP0
>>181
系図上では同腹のはず。
傍系に関しては、実は継いでいたとか、安勝自身が別家を立てていた可能性もある。
しかしいずれにせよ晩年は利家のもとに寄食してるし、
資料にも「筑前殿御舎兄」等で登場するので、
兄ではあるが弟に仕えていたという認識は周知されていた。
安勝にしても弟に仕えるようになったのは50歳頃だろうし、
弟の利家が実家を継いだことに対しては利久同様初めはよく思ってなかったのではないかと。

179: 人間七七四年 2009/04/02(木) 12:07:31 ID:4itevC7s
柳生はなんだかんだで剣で有名になった一族だから、
新陰流の相伝と家の相続を混同する人が多いのはしょうがないのかもね。
剣豪系の本だと「真の柳生の正統は新陰流の正統である兵庫助に~」って書いてるの未だに山ほどあるし。

184: 人間七七四年 2009/05/27(水) 15:16:01 ID:ZoYzkGxi
菊池も内紛がひどい

186: 人間七七四年 2009/05/28(木) 01:30:07 ID:lrYBDX8b
地味に堀家とかもひどい。

188: 人間七七四年 2009/05/29(金) 12:51:48 ID:uuIsaFK+
年少の子をたてようとする親父と嫡男、というパターンが一番多い?

189: 人間七七四年 2009/05/29(金) 14:27:22 ID:lK84txWP
養子と実子、ってパターンが一番多いだろ

190: 人間七七四年 2009/05/29(金) 19:22:23 ID:SmpNXIzL
>>188
兄弟が一番多いんじゃないか?
伊達・長尾上杉・織田とかが相当してる。
188のパターンだと大友・長宗我部・上州沼田とかだな。
叔父と甥というパターンもあり、阿蘇・里見・本荘とか。
息子と女婿というパターンが南部にある。

189のパターンは15世紀まではよく見られるが、16世紀になってからは減ってないか?

206: 人間七七四年 2010/04/10(土) 01:06:28 ID:EL0qC+6N
>>190
大友の場合は、そこまで単純じゃない。

義鑑の肥後政策変更 → 利害対立 → 新政策への反対 → 新政策反対派の更迭 → 義鎮の廃嫡 → 義鎮派(新政策反対派)の逆襲

193: 人間七七四年 2009/08/03(月) 02:33:25 ID:itvA4c8m
松平も松平宗家と桜井松平家間で内乱あったな

194: 国士焼肉ぷらす ◆JUU/.JUU/. 2009/08/03(月) 03:52:48 ID:ILgRhhUU
清康が出るまで徳川本宗は決して松平の宗家ではないからなあ。

200: 人間七七四年 2010/01/04(月) 19:02:01 ID:D+4x+zYx
文弱大名の印象が強いが大内氏は室町初期から独り戦国時代に入っていた

弘世  直冬奉じて幕府と合戦
義弘  九州南朝方の掃討、鎌倉公方と呼応して畿内攻め→敗死
盛見  幕府が推す弟一族ぶっ殺して大内家継承。色々あって少弐により敗死
持世  幕府が推(ry     ぶっ殺して大内家継承。
教弘  少弐・細川・安芸武田と合戦
政弘  少弐・細川・応仁の乱
義興  畿内転戦・大友・尼子・細川と合戦

家督相続で争い、周辺国にちょっかいを出し続け、幕府と争い、幕府を助け、
明でも細川と争い
・・・これだけ合戦していれば衰退しそうなものなのに代を重ねるごとに隆盛
(盛見継承直後は一時的に衰退)という恐ろしい家

201: 人間七七四年 2010/01/07(木) 00:14:35 ID:wGodgJFs
文弱なのは義隆だけだろ
しかも出雲遠征に失敗して以後の10年だけじゃね?w

202: 人間七七四年 2010/04/08(木) 14:02:25 ID:rdiam94w
伊達晴宗は長子(親隆)を岩城家に出して輝宗が家を継いでるけど、
こういう変則的なケースは御家騒動のタネにならなかったんだろうか?

203: 人間七七四年 2010/04/08(木) 14:19:52 ID:tLytfPMW
岩城重隆との約束だし。色んな意味で双方納得の養子だったんだろ。
それに一人っ子ならまだしも弟も既にいたわけで。

204: 人間七七四年 2010/04/09(金) 06:11:54 ID:iI2sK1nr
納得もなにも、下賤な晴宗の身分を嫌い娘を妻にやるのを拒否した岩城氏が
さっさと娘を婚姻させて送り込もうとしたところを
晴宗が山賊行為で略奪レ●プし手込めにして強引に妻にしたから岩城が怒ったが
晴宗が返してくれるわけもなく、やむなく男子がいない岩城氏が妥協し
男児が生まれたら岩城氏に養子を出す約束で嫌々認めただけだし。
これ実は政宗と田村の愛姫の話も同様な強引さだったらしい。

207: 人間七七四年 2010/04/16(金) 14:20:20 ID:gVpulmBL
義久と義弘
この争いに巻き込まれ家久親子は殺害される

209: 人間七七四年 2010/04/17(土) 00:57:48 ID:xqQGSFev
>>207
詳しく

210: 人間七七四年 2010/04/17(土) 01:05:01 ID:aQaLleXx
秀吉の後ろ盾で義弘が増長した

220: 人間七七四年 2010/04/21(水) 00:12:48 ID:M3otNOV+
>>210
義弘が増長したというよりは、豊臣政権との関係や、島津氏領国のあり方を
どうするかという部分で対立していったみたいだな。
旧来の一揆的な家中の結合から、豊臣政権下での軍役などの義務を担いうる
ような集権型への転換を義弘や伊集院幸侃が図ったのに対し、その流れに
抵抗した老中たちが義久のもとへ集まっていったようだ。

211: 人間七七四年 2010/04/18(日) 01:30:46 ID:izT1xgPE
確かに島津四兄弟が鉄の団結を誇ったうんぬんは嘘臭いね。

三男、四男は豊臣への対応という要素こそあれ抗争で死んだくさい。

212: 人間七七四年 2010/04/18(日) 09:58:34 ID:EvMdvu/n
兄弟団結なんてガセでしょ
毛利兄弟もむちゃくちゃ仲が悪かったから
わざわざ元就が訓戒の書状を出して諭してるくらいなんだし。

213: 仙台藩百姓 2010/04/18(日) 10:35:03 ID:+rN30vFS
武家の仲良し兄弟なんて都市伝説みたいなものだおね( ^ω^)

218: 人間七七四年 2010/04/18(日) 22:49:48 ID:YQXEdVOa
長慶・実休・冬康・一存・(冬長)の三好兄弟は仲が良いけどな
まあ…仲良くしないとやってけなかったからね
他の兄弟とは違って長男が傑物なのが他家とは違う所だな

…息子達(長治・存保)+(一英・義継)+(信康・清康)は散々だったが

220: 人間七七四年 2010/04/21(水) 00:12:48 ID:M3otNOV+
>>218
結局冬長って何者なんだろう。
三好氏の史料(これ自体も少ないがw)を当たってもまあ
その名前は見ない。いつごろまで存命で、どういった役割を
担っていたんだろう・・・
軍記なんかだと、長慶と実休の中が松永久秀の讒言で怪しくなり、
三好康長の仲介によって仲直りした、なんて話があるようだな。
・・・まあ、久秀の暗躍ってのも正直話半分で考えたほうがいいような
ものばかりなので、信憑性は?がつくだろうけど。

221: 218 2010/04/24(土) 18:44:19 ID:6SFKwK7O
>>220
冬長は元長が死んだ時はお腹の中か生まれたて
ちなみに1553年の細川持隆の重臣 久米義広が起こした鑓場の義戦で
野口某という人物が相手の武者と一騎打ちとなり相討ちで亡くなっている

この野口某が冬長の養父か冬長本人かだが、野口冬長は原田直正に養子入りして
摂津に住むなんて資料もあるが時期的に冬長の子か養子だろう
確か資料によっては実休から冬長に養子が行っているのもあるが
資料が少なすぎてこれはまだ断定不可
野口某は現時点では冬長と断定していいと思う
弟達の中で一番最初に死んだのは一存ではなく冬長が最初
ちなみに冬長の死亡年齢が1553年の場合、冬長は19~20歳で死んだ事になる

219: 人間七七四年 2010/04/19(月) 18:39:12 ID:vlG9yYWF
種違いの細川真之もおるでよ

223: 人間七七四年 2010/06/26(土) 10:52:52 ID:0OfpEs0W
関東では必ず家中に将軍(関東管領)派と関東公方派 がいて内訌が起きているよな

224: 人間七七四年 2010/09/20(月) 22:44:45 ID:rQS+biQp
古河公方自体も内紛が多かったな

225: 人間七七四年 2010/11/13(土) 12:08:39 ID:0ERRLRXO
古河公方の内乱
・足利政氏×高基(父×嫡男)
・足利晴氏×小弓義明(甥×叔父)
・足利藤氏×足利義氏(嫡男×異母弟)

他にはあるかな?

229: 人間七七四年 2011/02/28(月) 12:06:30.00 ID:jX6gG0mC
関東公方の分裂から爪痕は大きく、なお足利氏姫は喜連川への移住を頑なに拒んでおられた

232: 人間七七四年 2011/03/03(木) 22:05:58.24 ID:1ly7mH+w
『室町幕府』って存在したのかねぇ?
尊氏の頃からもう実質戦国の世じゃないの?
家康以降多少のお家取り潰し等はあるにせよいかんせん多すぎだろう.
やっぱ将軍自身の配下が以内と『所謂』『身内』に頼ってしかもその『身内』
内で争って,室町幕府程クソな幕府はねぇよなあ?とか思うんだがw

233: 人間七七四年 2011/03/03(木) 22:24:38.69 ID:DY8IXE0T
足利義教の恐怖政治はまさに室町幕府だとおもうが

234: 人間七七四年 2011/03/04(金) 05:57:58.00 ID:8c48sjiT
義満なんて日本国王だしな。
まあ義満が西の支配を確立させるべく
関東以東の統治を諦め鎌倉公方に奥羽あげちゃったから
義教が全国再統一に苦労したってのもあんだよ。

236: 人間七七四年 2011/04/02(土) 18:21:32.54 ID:DS0HFbmQ
>>234
ただ、当時の社会システムでは京都と鎌倉を同時に円滑に統治するシステムが確立していなかったから。
秀吉が家康を関東に移した背景の一つとして、大坂の秀吉が後北条氏滅亡後に関東を統治する自信がなかったからだという説も一応存在する。

238: 人間七七四年 2011/11/24(木) 10:29:14.03 ID:BVMyOFvW
畿内の細川家だけど政元に実子がいればだいぶ違うと思うけど。

ま、彼の性癖を見れば無理な話だがw

政元に実子が居ないから養子やら分家やらが家督を巡り相争う状態になる。

242: 人間七七四年 2012/03/23(金) 01:34:21.67 ID:ZZYrRikT
明応の政変で既に戦国時代に突入しているが、

政元暗殺が、戦国時代の混迷振りをより一層決定的にした。

政元暗殺を防げれば、あそこまで畿内政局も混乱しなかっただろう。

また、三好氏もあそこまで下克上出来なかっただろう。



政元は、家督相続直後にも丹波国人と守護代の争いに巻き込まれて誘拐され
一時期廃嫡されてしまい、以前の相続予定者の細川勝之が家臣により擁立されている。

それより前の応仁の乱末期にも山名家との単独講和で勝之廃嫡と政元相続を求められ、
勝之派(対山名強硬派)の十数名の家臣達と勝之自身が反発してモンドリを切り落としている。

政元の家督相続の段階でもう既に色々もめている。

244: 人間七七四年 2012/05/23(水) 10:13:23.62 ID:Km8/nhFo
>>242
細川って大所帯なだけに色々揉めてるんだなー。そのあとの三好も揉めすぎだけど

245: 人間七七四年 2012/05/24(木) 09:36:52.17 ID:E7IwNE2J
細川は当時最強の大大名なのに戦国モノでは登場しなかったりで扱いがいまいちだなあ

246: 人間七七四年 2012/05/25(金) 09:23:34.48 ID:ZLxwBRQa
>>245
その細川の活躍した時期は三傑とかぶらないからね・・・
戦国で細川というと一般的には幽斎、忠興、ガラシャになってしまう

247: 人間七七四年 2012/05/27(日) 23:25:14.03 ID:ewxU8Oqk
応仁の乱中盤から1550年代初頭までの100年間
ずっと細川・大内時代が続いたんだよな。
いわば戦国時代のほとんどは2強時代だったのに
戦国物では1560年代から1590年代ばかり取り上げられる不遇ぶり。

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